10年前の小学生の全国大会。優勝したのは「愛知」だった。 アイスホッケーでは12月から「選手権」の季節に入る。男子の日本一を争う全日本選手権に始まり、12月24日から始まる日本学生氷上競技選手権(インカレ)、1月に苫小牧である全国高校選手権(インターハイ)など、その部門の全国一を決める大会があるのだ。
小学生は単独チームの日本一を決める大会は行われていないが、3月に行われる「風越カップ」、あるいは夏休みの「JTB杯」が全国1位を決める大会になっている。
今から10年前の2014年。JTB杯で優勝したのは愛知県選抜だった。決勝は、FW勝見斗軌(6年生、現・慶應義塾大学3年)のゴールで1点を先制。終了間際にエンプティで2-0、GK川合温大(5年生、現・中央大学3年)が完封して東京を下したのだ。ちなみに3位は青森で、4位は長野。釧路は5位で、苫小牧は6位だった。
愛知県選抜は、名古屋スポーツセンターで活動する「中日クラブ」が主軸だった。
DF棚橋俊太(現・早稲田大学4年)、DF振津青瑚(ふりつ・せいご、現・慶応義塾大学4年。現在はFW)、FW袴田平(現・大東文化大学4年)、そしてFWの堤虎太朗(現・中央大学3年)。FW勝見を加えた6年生の5人と、一学年下のGK川合が、中日クラブの「不動の6人」だった。
今年の関東大学リーグでは、このうちの3人がキャプテンに選ばれている。早稲田の棚橋、慶應の振津、大東の袴田だ。
秋のリーグ戦では、終盤の2試合を棄権してインカレにかけた早稲田。棚橋の目標は「インカレ優勝」から一歩も動いていない「愛知を出て勝負する人がうらやましかった。でも地元に残った意地もあったんです」(棚橋) 中日クラブの6人の中で、高校でも愛知に残ったのは棚橋俊太だけだった。
名古屋では進学校として知られる東海高に通った。棚橋は地元に残って、ホッケーだけじゃなくて学業でも頑張りたかったのだ。高校3年のときに早稲田を受験。推薦ではなく、一般受験で合格している。
「愛知を出てアイスホッケーで高いレベルで勝負する人には、うらやましさも正直、感じていました。でも、私は地元に残った。勉強で頑張ろう、そして志望校に受かるんだという意地のようなものがあったと思います」
念願の早稲田のアイスホッケー部に入ったものの、ここで面食らった。棚橋にとって部活動自体が初めての経験だったからだ。
「特に1年生の時は慣れませんでした。上下関係もそうだし、ハードな練習も初めてでしたから。最初のころは、相当ストレスをためていたと思います。しかも早稲田は朝の3時とか4時とか、早く起きなきゃいけない。4年生になって、ようやく慣れた感じです」
昨季の4年生が卒業するタイミングで、棚橋はキャプテンに任命された。3年生でAマーク(副主将)を着けていたから、人望もあったのだろう。
今季の早稲田は、ここ数年で最小の選手「20人」で戦っている。棚橋は「今年の4年生は8人。4学年のうち一番、数が多いし、存在感が大きいものがあります」という。
春の秩父宮杯は6位。秋のリーグ戦は5位で終えた。秋は1部上位6校のセカンドリーグに勝ち残ったが、GK2人が負傷してしまい、リーグ終盤の2試合が棄権になった。
残るはインカレ。これが公式戦としては最後の舞台になる。
「人数が少ない中でケガが相次いだので、厳しいリーグ戦でした。今シーズンは悔しい思いをすることが多かったし、チーム全員でインカレ優勝のタイトルを取りにいきます」
早稲田は大学アイスホッケーの名門校。棚橋としては、それだけは絶対に譲れないところなのだろう。
秋のリーグ戦では、念願の1部A復帰を果たした振津。「インカレの目標はベスト4。慶應として、歴史に残るインカレにしたい」「あの時の6人が集まってプレーする。岡山の国スポが楽しみです」(振津) 秋の関東大学リーグ戦では、3人のキャプテンの中で唯一、順当に戦いを終えたのが、慶應の振津青瑚だった。
1部Bで1位通過。Aの7位・8位と、Bの上位4校によるセカンドリーグでも1位でリーグ戦を終えた。慶應は来季の「A昇格」が決定している。
「1部Bのファーストリーグで専修に負けてしまいましたが、そのおかげで練習では緊張感が高まったと思います。キャプテンとしても、役割は果たせたんじゃないかなって。昇格は春からずっと目標だったので、ほっとしています」
インカレの目標はベスト4だ。「順当に行くとベスト16で法政と対戦するんです。これに勝つことがすべてですね。それに勝ったらベスト4に行けるチャンスがある。慶應の歴史に残るインカレにしたいです」
振津は、中学までは中日クラブ、高校は埼玉栄高に進んだ。
「栄はもともと、兄(直弥)が行っていたんです。栄も慶應も、言ってみれば兄の影響です」。小学2年から4年の途中まで、父親の仕事の関係でイギリスで生活していた。愛知から埼玉への寮暮らしも、振津とすれば「慣れていた」のかもしれない。
「栄高校では、他の部員は保健体育科でしたが、僕は普通科でした。でも、3年間は他の部員と同じ過ごし方をしていたんです。高3ではインターハイ(3位)と国体(準優勝)に出場して、2週間後に大学受験。けっこう大変でした」。棚橋と同じように、振津も一般入試で慶應に合格している。
しかし、その先はキャンパスライフを謳歌して…とはいかなかった。高校時代の後半からコロナが出回っていたためだ。これは誰が悪いというものではなく、しかし振津たちの学年がもっとも被害の大きかった年代だった。
「高3の冬に高校が休みになりましたが、思い出づくりになるようなことは何もできませんでした。大学でも、入学して2年間くらいは友達をつくれなかった。慶應は内部進学が多いんです。僕たちのような外部進学は、そもそも知り合いがいないんですよ」
卒業後は棚橋と同様に、金融機関への就職が決まった。「最近、思うんです。僕は本当にアイスホッケーが好きなんだなって。引退したら、卒業後は仕事を中心にして生きていかなきゃならない。今はちょっと、想像がつきません」
2月には、国民スポーツ大会が岡山県で行われる。中日クラブの6人全員が「愛知県」としてプレーするのだ。「今から岡山が楽しみです」。振津はそう言った。
秋は1部B降格となった大東。袴田は「大学4強の一角を崩したい。春に立てた目標を、インカレでかなえて卒業します」「このままホッケーをやめるのは嫌だ。僕は替えのきかない選手になりたい」(袴田) 大東のキャプテン・袴田平は、対照的な春と秋のシーズンを過ごした。
「春の秩父宮杯は5位。大東にとって5位は46年ぶりだったと学校の人に聞きました。よし、秋リーグはベスト4を目指していこう。そう思ったんです」
ところが、夏合宿の途中で靭帯を痛めてしまった。全治2カ月。しかし、袴田はそれよりも前に復帰した。なぜなら、大東が秋のリーグ戦で1回も勝てなかったからだ。
「テーピングでグルグル巻きにして、日大との試合に出たんです。そうしたら3-2で勝つことができた(袴田は2ゴール)。日体大との試合も延長戦で負けたけど(同じく1ゴール)、勝ち点1をとることができたんです。よし、ファーストリーグ最後の試合の早稲田戦に勝てば、1部のセカンドリーグに残ることができる。(棚橋)俊太のことは、考える余裕がなかったです。後輩たちに、1部Aでプレーさせてあげたい。早稲田に勝つことで、残留ができると思いました」
大東は、セカンドリーグで3年生以下の5選手が、試合に出られないことがわかっていた。その早稲田戦は点の取り合いに。袴田はこの日2ゴールを決め、しかも58分、59分にチームが得点を取って同点に追いついた。しかし、PS戦は早稲田が7-6で勝利する。大東と早稲田が勝ち点5で並んだものの、「当該校の勝ち点」で早稲田が1部Aのセカンドリーグに進むことになった。大東はBの上位4校との順位決定戦に進むことになり、最下位の6位に。来季の1部Bへの降格が決まっている。
「4年生のこの時期に、なんで…いう気持ちにもなりました。でも、後悔は不思議とないんです。これも含めて、自分の人生だよなって。キャプテンとして、こういう経験をすることって珍しいと思います」
袴田は愛知の中学を出ると八戸工大一高に進んだ。大学は、最初は関西の大学を志望していた。「でも、関西に行くよりも、関東のほうがレベルが高くて面白いんじゃないかなって。それで大東を選んだんです。同期は3人しかいなくて、でも3人だからよかったこともある。大東はアンダー代表も1人もいませんが、だからこそいいんだと思います」
大学を出たら、地元へ戻ろう。袴田はそう決めている。そこで愛知のチームに入って、いつかトップリーグに出場したい。そんな希望を持っている。
「僕は、ホッケーが楽しくなかったらやめようと思っているんです。大学に入った当時は、学生ホッケーを完全燃焼して終わろうと思っていました。でも、こんな形でホッケーを終えてしまうのは嫌だなって。よし、まだやろう。続けよう。自分にしかできないことも、きっとある。僕はアイスホッケー選手として替えのきかない選手でありたいんです」
中日クラブの3人の「それから」のことを思った。
棚橋は大学に入るまで中日クラブに在籍して、中学時代はキャプテンを務めた。「俊太はホッケーに関しては熱い人間です。でも、ホッケー以外ではけっこうおもしろい人ですよ」。振津はそう言った。
振津は「とにかくアイスホッケーが好きなヤツです」と、袴田が教えてくれた。「ホッケーを好きになれたのは青瑚のおかげです。もし青瑚がいなかったら、僕はここまでホッケーをやっていなかったかもしれません」
袴田は「ストイックな男です」と棚橋は言った。「だけど正直、平がキャプテンをやるなんて、愛知にいたころには想像できなかったですけど」と笑った。
10年前に小学生の選手権大会で、彼らは日本一になった。そして今季、自ら選んだ大学で、キャプテンとして戦った。
袴田が言う「替えのきかない選手」に、もうすでに彼らはなっていたのではないか。一度きりの大学ホッケーで、3人は3人なりの青春像を描き、それを懸命に生きていたからだ。