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2025-02-09

棚橋弘至がラスト大阪府立を前に振り返った“西の聖地”レインメーカーショックから至宝奪回までの4カ月【週刊プロレス】

2002年8月の棚橋弘至

大相撲三月場所の開催地であり、プロレスのビッグマッチやボクシングの世界戦がおこなわれ“西の格闘技の聖地”といわれる大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)が今年4月から大規模な改修工事に入るため、2027年1月末まで利用停止される(第2競技場は2026年4月から)。そのため、来年1・4東京ドームで引退する棚橋弘至にとって、2月11日の大会が大阪府立で最後の試合となる。

これまで棚橋が大阪府立のリングに立ったのは77回(第2競技場を除く)。京都で大学生活を送った棚橋にとって身近な存在であり、デビュー後も強く思い出に残る会場でもある。そんな中で特に印象に残ってる大会は……。

棚橋弘至が初めて大阪府立のリングに立ったのは、デビューからちょうど2カ月後の1999年12月10日。

当時、新日本プロレスは年内最後のビッグマッチを大阪で終え、年明けの1・4東京ドームを迎えるというスケジュール。棚橋は第1試合に登場し、同日デビューの井上亘相手に6分半ほどで勝利を収めている。ちなみに棚橋が初勝利を挙げた相手も井上で、デビュー3戦目の福岡国際センター大会(同年10月19日)。その後、広島サンプラザ、愛知県体育館と地方の大会場を経験して大阪府立を迎えている。

その後しばらくタッグでの出場が続いたが、2度目のシングルマッチは7戦目となった2002年6月5日。バス・ルッテン相手にわずか4分足らずで敗れている。

同年、「G1クライマックス」に初めてエントリーされた棚橋は開幕を大阪府立で迎え、越中詩郎、佐々木健介相手に2連勝。当時のランクからすれば大金星といっていいスタートだった。しかしその後3連敗を喫し、Aブロック4位で終えている。

U-30の防衛戦や矢野通との敗者髪切りマッチなど、特別ルールでの試合も闘っているが、棚橋自身、真っ先に印象に残っている試合として挙げたのは、2012年2月11日のオカダ・カズチカ戦。レインメーカーショックとして歴史に刻まれた一戦だ。

当時の棚橋はIWGPヘビー級王者として一通り主力の挑戦を退け、V11を果たしていた。同年の1・4東京ドームに凱旋して挑戦を表明したオカダに、目新しい挑戦者が不在だったこともあってチャンスを与えた。

試合以上に記憶に残っているのが、王座奪回を果たした6月までに起こった出来事。

「その4カ月の間にプロレス仲間である大学の同級生が亡くなって。ベルトを取り戻す気持ちはもちろんですけど、彼に恥ずかしい姿を見せたくないという思いも背負ってリングに向かいました」

そして迎える真壁刀義とのシングルマッチ。「あれから干支が一回り以上したんですね。最後の大阪府立でも頑張ってる姿を届けますよ」と誓った。(つづく)

橋爪哲也

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