3季連続でアジアリーグのプレーオフをHLアニャンと戦った、レッドイーグルス北海道。苫小牧での初戦で勝ち星を落としたものの、2戦目に勝ってタイになり、アウェーの安養に赴いた。しかし、そこから2連敗し、またもアニャンの前に屈してしまう。浮き沈みの激しい今シーズンを送った今季。前年に引き続き、キャプテンの中島彰吾選手に1年を振り返ってもらった。
レギュラーリーグの終盤に連勝できた。もう、やるしかない状態だったんです。――まず、シーズンの後半戦から振り返っていただきます。レッドイーグルスは、レギュラーリーグは4連勝で終了しました。終盤まで栃木日光アイスバックスで次いで「3位」の期間が長かったのですが、何か変化があったのでしょうか。
中島 目に見えるもので言うと、失点が減ったと思います。前半戦は、大量失点をしていましたからね。 数字で見えない部分で言うと、 バックチェックとかブロックショットとか、個人個人の貢献度が上がったと思います。
――2月2日の試合では、中島選手はケガで1試合、欠場しています。
中島 2月1日(土曜日)の東北フリーブレイズ戦でケガをしてしまって、日曜日は「リンクに乗ってから(出場の可否を)決めます」と試合前の練習に出たんですよ。1分ぐらいで無理だとわかったので、リンクから上がったんです。結局、日本代表の遠征の途中から試合に復帰しました。
――中島選手に限ったことではありませんが、今季は開幕からセットが固定できませんでした。中島選手は3月になって、高橋聖二選手(22日、23日はケガで欠場)、相木隼斗選手とラインを組みました。
中島 僕と高橋選手は一緒のセットになることが多かったのですが、「あと1人」を誰にしようか、スタッフもずっと考えていたと思うんです。そこに相木が入ってきた。僕がチームに入って6年目になるんですが、彼と組むのはこれが初めてだったんです。組んでみると、すごくやりやすかった。 足を生かしてチェックを一番先に行って、それでいて、一番速く守りに帰ってくれるんです。相木は攻撃で目立つ選手というイメージですが、守りの意識も高いし、ずいぶん助けられました。僕はもともと、いろんな相手と組んでみて、お互いの長所を組み合わせたほうがいいと思っているんですよ。メンバーを入れ替えたことによって、パートナーも僕も、いいところを出していけばいい。長い間パートナーを組んでいると、お互いのことがわかっているぶん話し合いが少なくなっていきますよね。でもパートナーが変われば、どうしても話し合わなきゃいけなくなっていく。今までのレッドイーグルスは、セットを固めて、それからはあんまり変えないパターンが多かったんですが、僕自身は「セットを変えたいと思っている派」なんです。
――3月8、9日の試合では、苫小牧でアニャンに連勝しました。チームに自信をもたらすという意味でも、これは大きかったのではないでしょうか。
中島 自信というよりも、「やるしかない」という気持ちのほうが強かったです。やるしかないし、やらなきゃいけない。「このままじゃプレーオフに行けないぞ」という危機感は、チームのみんなが持っていたと思います。3月の試合は、1つも落とせないゲームだった。その中で意識も変わっていって、いい方向に向いていったと思うんです。
――レギュラーリーグの最終カード・横浜グリッツ戦(3月22、23日)で、レッドイーグルスは「2位」を確定しました。
中島 シーズンの最後になって、試合に自信を持って臨めたのは事実です。ですが、もちろんアニャンも力があるチームというのはわかっていましたし、「簡単にはいかないよ」という気持ちはありました。シーズンの最後のほうで失速しましたが、アニャンはしっかり切り替えてくるチーム。ロースコアの戦いになるだろうなと思っていました。
アニャンとは、体力の差は感じなかったという中島。「でも、相手はホームリンクでの戦いが一枚、上手でした」(写真提供・レッドイーグルス北海道)去年の第1戦の経験があったから、メンタルが上手に切り替えられた。――プレーオフの第1戦、中島選手の読み通りロースコアの展開が続き、1年前と同じように延長戦に入りました。第2オーバータイムの第5ピリオド、81分に3点目を取られて1戦目はアニャンが勝利しました。
中島 第1戦を取りたかったというのはありました。 どちらかと言うと勢いがあったのは僕らだったと思いますし、でも、ウチのミスを逃がさずにアニャンは決めてきましたね。でも、チームの雰囲気としては全然悪くなくて、 それほど動揺もせずに「大丈夫だよ」というのがあったんです。去年の第1戦は(延長の第6ピリオド)103分で負けて「マジでかいな」と思っていて、正直、気持ちの整理もつかないまま第2戦を迎えていたんです。今年はメンタルの切り替えが、みんな上手に運べたと思うし、第1戦を引きずることなく気持ちを切り替えて、第2戦は新たなゲームとしてモノにできた。これは成長した部分だったと思います。
――去年のプレーオフは、2連敗でのスタートでした。今年は第2戦、延長61分で3-2で勝って、アウェーの地に向かいました。精神的にも「アゲて」いけたのではないでしょうか。
中島 欲を言えば、苫小牧で連勝して安養に乗り込みたかったですけどね。でも、最低限の1勝1敗で行くことになった。雰囲気としては「勝てるぞ」というか、ポジティブな気持ちで韓国に乗り込めたんです。ただ、木曜日(第3戦)に、あんまりいいゲームができなくて負けてしまった。 土曜日(第4戦)もしっかりとした、いいゲームはできていたんですが…。
――アニャンが5-1で勝った第3戦、前半はそれほど悪いゲームではなかった印象があるんです。1ピリに2点を先行されて、2ピリの25分にレッドイーグルスが1点を返した。31分にレッドイーグルスのDFが攻撃に参加して、しかし、カットされて3点目を奪われました。レッドイーグルスとしたら同点に追いついた可能性もあったわけで、そうしたらまた違った試合展開になったのではないか、と。
中島 ウチが1点返して、1-2で「2点ビハインドにしない」ゲーム運びのまま行きたかったですね。1-3にしないで、1-2のまま時間を消化するのが理想だった。そこから、ちょっとズルズル行ってしまったと思います。
――レッドイーグルスの1点目は、中島選手が左、小林斗威選手が右のキーマンで、Dが橋本僚選手、三田村康平選手がゴール前のスクリーンに入って、安藤優作選手がバンパーでした。とりわけ三田村-安藤というユニットが、このプレーオフの新鮮なニュースだったような気がします。
中島 プレーオフに入って、PPをやっていたメンツを変えたんです。スタッフが「ゴール前の選手を2枚入れ替えてやってみよう」と話があって、相手も知らないから、何をしてくるのかわからない状態だったと思います。
――4月4日、中1日での練習は、去年とは(前回のプレーオフ第3戦は0-5で勝った)雰囲気が違っていたと思います。
中島 そうですね。去年は確か20分くらいの調整で終わったのですが、今回はきちんと「練習」をしました。バックチェックのフォワードの戻りの部分で、第3戦は3人目までは戻れていたんですけど、4人目、5人目が守れていなかった。あとは自存での守りです。この日は、守備をテーマに練習しました。
――4月5日(4戦目)は、今回のプレーオフで3試合目となる延長戦でした。28分に小林選手がPPゴール。このプレーオフで、初めて先制点を挙げました。しかし5分後に追いつかれて、1-1のまま延長に入って、70分に2点目を決められました。
中島 数字的に見たら、やっぱりペナルティが多かったと思います(反則はレッドイーグルス6、アニャンは4)。アニャンの選手は、ホームリンクの使い方が慣れているんです。フェンスの対応の仕方も、ものすごく上手なんですよ。
――70分の2失点目は、レッドイーグルスがパックを放って、それをゴールに叩き込んだシーンでした。レッドイーグルスがパックを放って、アニャンがパックを保持して…それを3回繰り返してゴールを決められました。4試合アニャンと戦ってみて、体力的にはどう感じたのでしょう。
中島 アニャンとの運動量の差は、僕はそれほど感じなかったです。最後のシーンは、実は見ていなかったんです。その前まで試合に出ていて、疲れて座っていた。ベンチで「やばい!」と声がして、僕も身を乗り出そうとしたら失点していたんです。その前に、ウチは得点するチャンスもあったし、 逆にアニャンは、ゴール前にパックを集めることで生まれた得点だった。 ゴール前に入った選手も、それを見てしっかりとゴールに集めていた選手も、素晴らしかったと思います。
4月10日から、世界選手権の代表合宿に参加している。「奥さんが作ってくれたハンバーグが食べたいです」。苫小牧にいながら、早くも家庭の味が恋しくなっている(写真提供・レッドイーグルス北海道)苦しいことや辛いこともあったけど、成長のためには「面白い」経験だった。――この1年を振り返ってみて「いい経験だった」と思ったのは、どんなことでしたか。
中島 勉強になったというか、自分に影響があったと思うのは、2月にケガした時に、上から自分のチームを見られたことです。ケガしたことがよかったわけじゃないんですけど、いろんな意味で発見になった。レッドイーグルスの試合でも、日本代表でもそうです。これまでケガで欠場することがなかったので、上からチームを見ることがなかったんですよ。「自分だったら、こうしてるな」とか、「こう来ているから、こうした方がいいな」とか、いろんな考えを持てるようになった。「考える」という意味での成長につながったと思います。あとは先ほども言ったように、セットが組み変わったこと。そこはポジティブにとらえながら、いろんな選手と、いろんなセットを組めて、楽しいシーズンだったと思います。
――レッドイーグルスのファンの総称である「ワシスタント」も、だいぶ浸透してきました。今年はプレーオフの「見送り」がなかったのですが、それでも4月1日、nepiaアイスアリーナの練習の後に、リンクサイドから大勢のワシスタントの皆さんが見守っていましたよね。プレーオフ後の日本代表合宿でも、地元のファンの方たちが、これまで以上にリンクに足を向けていると思います。
中島 ワシスタントの方が友達であったり、家族や知り合いの方を連れてきてくれて、どの会場でも応援してくれる人たちを増やしてくれていますよね。本当にワシスタントの方のおかげだと僕たちは思っているし、 リンクでたくさんの声援を聞けば聞くだけ、僕たちの力になっている。昨シーズンよりも今季のほうが声援が大きくて、本当に、僕たちにとってかけがえのないシーズンを送れていると思います。ワシスタントの方は、僕らが勝っている姿が見たくて応援してくれていると思うんですけど、シーズンの最後に喜ばせてあげられなかった部分は、本当に申し訳なく思っています。たぶん去年も、同じことを言っていると思うんですけどね…。感謝を伝える機会はあまり多くはないんですが、選手1人1人、強く思っているんです。
――今季は、キャプテンとして2年目のシーズンです。王子時代から「キャプテンの任期は2年」という人が多かったのですが、来季はどうするのでしょう。
中島 こればっかりはわかんないですね。チームからは「来季もやってくれ」と言われてないし、「今季で終わりだ」とも言われていないので。監督とコーチが決めることですし、これから順調にいけば僕は世界選手権に行くんですが、世界選手権が終わって、日本に帰ってきて、それからの話だと思います。
――中央大学ではキャプテンとして3冠(関東大学選手権、関東大学リーグ戦、インカレ)を獲得して、でもレッドイーグルスでCマークを着けている2年間は、タイトルは「なし」でした。大学時代を知っているファンは、「それでいいのか、中島彰吾」という人もいるんじゃないかと思います。
中島 僕自身、大学のときのように「勝ってキャプテンを終わりたい」とか、「今季、勝てなかったから、もう一度やりたい」とか、そういった考えはあんまり…というか、まったくないんですよ。特に今シーズンは、正直に言っちゃうと、めっちゃ大変だったんです。チームがなかなか思うようにいかなくて、自分のことも思うようにいかなくて…。それでも自分がプレーする前に、チームのことを考えないといけない状況だった。ストレスも、めちゃくちゃありました。本当に大変だとは思ったんですけど、そうやっていろいろ試行錯誤しながら自信をつけていった。そういう部分ではすごく面白いっていうか、僕自身、いい経験になったんです。だから、スタッフが望むのであればもちろんやりますし、「降りてくれないか」と言われたら、もちろん従いますし…。今は本当に、そういう気持ちなんですよ。
中島彰吾 なかじま・しょうごレッドイーグルス北海道、センターフォワード。背番号「19」。1993年10月26日生まれ、北海道釧路市出身。鳥取西小、釧路北中、武修館高から中央大学に進み、2016-2017シーズンに日本製紙クレインズ入団。2019-2020シーズンから王子イーグルスに移籍する。アジアリーグでは2019-2020シーズンにポイント王、2022-2023シーズンはアシスト王とポイント王。今季はアジアリーグの最終戦でシーズン20ゴールを挙げ、大学の後輩・鈴木健斗(栃木日光アイスバックス)と最多得点のタイトルを分け合い、ベストFWにも輝いた。キャプテンとしては今季が2年目。今年3月には、苫小牧に住んで6年目にして、初めてのパーマをあてた。「10年後、20年後の頭皮のことを考えて、髪があるうちに伸ばそうと思ってパーマをかけました」