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2025-05-09

“鉄人”小橋建太さんが地元・福知山市のがん検診アンバサダーに「早期発見、早期治療。そのためにも怖がらずに検査を受けてほしい」【週刊プロレス】

福知山市ガン検診アンバサダーに就任した小橋建太さん

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“鉄人”“絶対王者”と称された元プロレスラーの小橋建太さんが福知山市のガン健診アンバサダーに就任。その就任式が5月9日、同市役所でおこなわれた。

同市のガン検診受診率は国、京都府と比較しても低いことから、市民の健康を守るためと受診率向上を目指す方針を打ち出した。そこでガンの早期発見から闘病、そしてリング復帰を果たした実体験をもとに市民に届くメッセージを発信して協力していただくべく、福知山市出身で引退後は健康と命の大切さをテーマにメッセージを発信している小橋さんにアンバサダーとして協力を要請。

「小橋さん自身、腎臓ガンを患われて、大変な苦労もあったでしょうけど、リングに復帰されて今こうして元気されておられるというところを見ていただいて、小橋さんから発信していただいて、こういう方もおられるんだということが市民の皆様に伝わっていくことによって、市民の皆さんに検査を受けてして、もしガンが発見されても早期発見で治療を受ければまた元気になれるという思いにつながっていくことで検診率を上げていきたい」との期待を語った。

大橋一夫福知山市長から任命状を受け取った小橋さんは、就任式の席で「私自身、19年前に健康診断で腎臓ガンが発見されました。早期発見、早期治療をしたおかげで今も元気に過ごしています。現在、2人に1人がガンになる時代です。自分のため、家族のため、そして周りの仲間のためにもガン検診をしっかり受けましょう。それから私は、福知山市の皆さんの健康増進を後押しして応援していきたいと思ってますので、皆さんよろしくお願いします」とあいさつした。

その後、同市役所内の健康医療課の窓口で初仕事。事前に募集した市民から当選された安達知佳さん(45)のガン検診受診の申し込みを受け付けた。その際、自身の体験談を話し、「頑張ってください」と激励。さらに安達さんからの希望で逆水平チョップで“鉄人魂”を注入した。

初仕事を終えた小橋さんは、「直接申し込みを受けることはできませんでしたけど、受診される方とお話させていただいて、元気づけてあげられたかなと思います」と語った。また、「NHKで『麒麟がくる』(大河ドラマ、2020年1月19日~翌2021年2月7日)が放送されるとなって福知山が盛り上がると思ったんですけど、コロナになってしまって盛り上がらなくて残念だった。今回、微力ではありますが、こういう形で福知山が盛り上がってくれれば」と地元への思いも口にした。

2006年、ガンの告知を受けた時、“死”という言葉が頭に浮かんだという。「当時の自分に言葉をかけるとしたら?」の質問に小橋さんは、少しの間をおいてから「『恐れず突き進め』と言いたい」と答え、「突き進んでよかったなと思います」と振り返った。「今は医療も進んでいるので、完治できるガンもある。それには早期発見、早期治療。そのためにも怖がらずに検査を受けてほしい」と語った。

小橋さん自身、ガンが発見されて気持ちを切り替え、リング復帰を目指し、口にもした。ただ腎臓摘出手術を受ける前日、主治医から「腎臓ガンの手術をして復帰したプロスポーツ選手はいません」と絶望的な言葉を伝えられた。「小橋さん、生きていたら何でもできるじゃないですか。まずは生きることを目標に考えましょう」とも。それから小橋は「復帰」の言葉を胸にしまい、口にしなくなったという。それでもリングへの思いはなくならなかった。

闘病する中で支えとなったのは「ファンの声援」だった。「5カ月ぐらいたったところで、自分の中にやり残していることがある、このままフェードアウトしたら後悔として残る」との思いがわき上がってきた。それは「一度でいいからリングに上がりたい。一度でいいから試合がしたい。ファンの前で一度はリングに立ちたい」というもの。それを伝えたところ、小橋さんの思いをくんだ主治医から「いっしょに頑張りましょう」との言葉をいただいた。

もちろん主治医からストップがかかればそこまで。小橋さんもそれを受け入れて復帰を目指した。結果、絶対王者といわれたころのイメージを損なわない闘いを披露。“奇跡の復活”とまでいわれた。

あらためて小橋さんは、「僕にとってはリングはものすごく力が湧いてくる場所ですね。それだけプロレスに人生すべてを懸けてましたから。1997年1月、当時三冠ヘビー級王者だった小橋さんが三沢(光晴)さんの挑戦を受ける時に、母親に電話して『もし自分に何かあっても三沢さんを恨まないでほしい』と言ったんです。その試合だけでなく、ほかの試合もその思いを持ってリングに上がってました。どれだけの思いでプロレスをやっていたかは自分でわかってますので、だから引退した今、プロレスに対して後悔はないし、引退してからリングに上がりたいと思ったことは一度もないですね」と振り返った。

最後に、「検診の申し込みは難しいと思ってるかもしれないですけど、簡単にできますから。もちろんガンが発見されないことがいいんですけど、もしガンになってるとしたら早期治療が一番。早期発見のためにも検診を受けてください」とメッセージを送った。

橋爪哲也

<プロフィル>
本名・小橋健太(こばし・けんた)。1967年(昭和42年)3月27日生まれ、京都府福知山市出身。高校卒業後、就職するも、1987年6月、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入門。同年12月16日、東京・後楽園ホールでおこなわれたハル薗田メモリアルセレモニーにおいてバトルロイヤルでプレデビュー。翌88年2月26日、滋賀・栗東町民体育館での大熊元司戦で正式デビュー。全日本時代にはアジアタッグ、世界タッグ、三冠へビー級各王座を獲得したほか、「世界最強タッグ決定リーグ戦」では三沢光晴とのコンビで1993年から3連覇、1998年、1999年は秋山準とのコンビで連覇を果たしたほか、2000年の「チャンピオン・カーニバル」で優勝を飾る。同年6月、全日本を退団。三沢が旗揚げしたNOAHに参加するとともに、リングネームを建太に改める。2003年3月、三沢を破ってGHCヘビー級王座を獲得。力皇猛に敗れるまで13度の連続防衛を果たし、「絶対王者」と称される。在位735日は現在でも同王座の最長記録。2006年6月、腎臓ガンと診断されて摘出手術をおこない、治療に専念するため長期欠場に入る。翌2007年12月2日、日本武道館で復帰。2013年3月17日、日本武道館での8人タッグ戦を最後に引退する。2010年6月、演歌歌手のみずき舞さんと結婚。2025年5月、福知山市ガン検診アンバサダーに就任。
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