始まりがあれば、必ず終わりが来る。
これがものの道理です。
令和3年名古屋場所、この終わりがあるのかどうか、注目を集めたのが横綱白鵬でした。
白鵬ファンか、アンチ白鵬かは置いといて、多くの相撲ファンが固唾を飲んでその一挙手一投足を見守り、中にはハラハラ、ドキドキ、手に汗握って熱い視線を送ったことでしょう。
白鵬と言えば、このコーナーでもおなじみです。
欠かせない人材といっていいでしょう。
なにしろ15年も横綱にいたんですから。
その間、いかに強いプライドと自信を持ち、強気にふるまったか。
今回はそんなエピソードに絞って紹介しましょう。主役は白鵬です。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
壁になり続けた白鵬がよく口にする言葉の一つに、
「壁になる」
という言葉がある。令和3年名古屋場所も、自分のことで手いっぱいだったが、おそらく心のどこかで綱取りに挑んだ照ノ富士(現伊勢ヶ濱親方)の前に立ちはだかり、邪魔してやる、という思いを抱いていたに違いない。白鵬がこの言葉を、さらにもう一歩踏み込み、
「来るなら来てみろ」
と逆に挑戦状をたたきつけたのは平成28(2016)年夏場所13日目のことだ。
この場所は、白鵬と綱取りを目指す稀勢の里(現二所ノ関親方)の2人が激しく優勝を争い、日本中の相撲ファンが熱狂した場所だった。終盤の12日目を終えて両者ともに土つかずの12連勝。がっぷり四つのまま、13日目に全勝対決したのだ。
稀勢の里は勝てば、待望の初優勝に大きく近づき、横綱昇進も見えてくる。時や来たれりとばかり、稀勢の里ファンが声をからして応援したのも当然のことだった。
白鵬も、そんな空気を忖度したのかもしれない。軍配が返ると、あえて稀勢の里の得意の左四つになった。白鵬の得手は逆に右四つだ。おそらく稀勢の里は、
「しめた」
と思ったに違いない。しかし、ここからの白鵬の勝負に対する気迫、意気込みはすごかった。相手十分、自分不十分にもかかわらず、すぐさま右下手から投げを連発。最後は頭を抑え、土俵を半周しながらこらえた稀勢の里を投げ飛ばしたのだ。このショックからか、稀勢の里は翌日も鶴竜(現音羽山親方)に連敗し、綱取りの夢は一気にしぼんだ。
この左四つになったことについて、白鵬は、
「勝つなら勝ってみい。それで横綱になってみろ、という感じだった。でも、勝たなかったな。(オレに勝つには)何かが足りないんだろうね。強い人が大関になる、宿命のある人が横綱になる。横綱白鵬を倒すのは、日頃の行いが良くなければ。それしか思いつかない」
と取組後、話している。
快勝した白鵬は、この余勢を駆ってこの場所、全勝優勝した。敗れた稀勢の里が白鵬に雪辱し、横綱に昇進するのは、この4場所後の平成29年初場所後のことになる。
月刊『相撲』令和3年8月号掲載