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2019-05-29

<注目指導者インタビュー> ルート・ファンニステルローイ 「天才ストライカーが 挑む監督業」後編

オランダ、イングランド、そしてスペインで得点王となったルート・ファンニステルローイ。数々の名ゴールを決めたゴール・ハンターは2012年に引退すると指導者として歩み始めた。指導指針と選手育成に対する提言を聞いた。

出典:『サッカークリニック』2019年5月号

前編はこちら→https://www.bbm-japan.com/article/detail/6276

上の写真=2018年からPSVアイントフォーヘンのU-19で指導にあたっているルート・ファンニステルローイ

(取材・構成/アンドリュー・ハスラム 翻訳/山中忍 写真/gettyimages)

一翼

──2012年に、そのキャリアに終止符を打ったときの心境を聞かせてください。

ファンニステルローイ(以下、VN) つらい決断だった……。とは言え、プロ選手である以上、引退は避けて通れない。

 ただし、「現役続行は不可能だ」と自分で思えるまで、「ストップ!
限界だ!」と体が叫ぶまではやめられなかった。そうなったのが12年だった。そこまで続けられたため、つらい決断だったが、ためらうことなく引退を決められた。未練などまるでなかったし、後悔も微塵もなかったから第2の人生をすんなりと歩み始められた。

──つまり、指導者への転向もスムーズだったのですね。

VN 随分前から将来的には指導者となってサッカーの楽しさを伝えたいと思っていた。ライセンスの取得に2年半くらいを費やしたが、無事に終えた瞬間には「長年の目標を達成した」という満足感を覚えていた。

 自分は、コツコツ続けることが性に合っていると感じているし、少しずつ成果を積み上げていった選手だったとも考えている。だから指導者としても、着実に成果を積み上げていきたいと思う。

──13年にはPSVアイントフォーヘンの育成部門で指導を始め、14年にはオランダ代表のコーチング・スタッフにもなりました。

VN PSVではU–17やU–21を指導し、UEFAのコーチング・コースで得た知識や経験に現場経験を肉づけできた。貴重な体験の数々を通じて本当に多くのことを学ばせてもらった。代表のスタッフ入りに関しては、チャンスを与えてくれた『KNVB』(オランダ・サッカー協会)に対する感謝しかない。と言うのも、テクニカル・スタッフの仕事を代表選手として見ていたから理解しているつもりだったが、それが大きな間違いだと気づけたからだ。あれほどの時間と労力を要求される仕事だとは思いもしなかった。今後、指導を続ける上での大きな財産になるだろう。

──ところで、近年のオランダ・サッカーは苦境にあるように見えます。打開策といったものはありますか?

VN ブラジル・ワールドカップで3位になったのに、EURO2016とロシア・ワールドカップには出場さえもできていない。大きなショックを個人的に受けているし、オランダという国にとっても見逃せない事態だ。しかし冷静に分析すれば、オランダとライバルの差はそれほど広がったと言えるだろう。受け入れ難い状況なのだが、実際には即効性のある解決策などない。だから、高いポテンシャルを秘めた若手を中心とする新たなチームを地道につくり、それを継続するしかないと思う。つまり、オランダ・サッカーの未来は、タレントの存在、そして有望な若手を国内のクラブが積極的に起用して育てるという姿勢の有無にかかっているとも言えるだろう。とは言え、それに関わる人間の一人としてはチャレンジングなことでもある。

──18年に就任したPSVのU-19監督としてその一翼を担っているのですね?

VN 育成年代におけるタレントの発掘と育成はやりがいのある仕事だと思うし、指導者としてのキャリアを考えても受けるべきだと判断した。もちろん、信頼する人に相談もした。勘違いしてほしくないが、指導者として大きな野心を抱いているし、さらなる上を目指す上でもU–19の監督は必要なステップだと思う。もちろん、今回の仕事で結果を残せる保証などないが、チャレンジしなければ前に進めない。

──現状を顧みた場合、選手育成に問題点はありますか?

VN まったく問題がないとは誰も言えないだろう。

 言うまでもなく、プロクラブの育成部門は子供たちをサッカー選手にするために存在している。確かな存在意義もある。一方で、子供は子供らしくあるべきだし、家族や友人との時間を楽しむ必要もあると思う。しかし現状を見渡すと、7、8歳の子供が「クラブという体制の一員」となり、選手や家族を必要以上に焚きつける代理人までいる。中学校を卒業する頃にはサッカーにうんざり、という子供を見たこともある。週に8回もチーム練習をこなす日々を繰り返せば、無理もないだろう。そもそも、子供はプロの卵ではない。子供としての時間がサッカーのために犠牲となるのは良くないと思う。異論もあるだろうが、それほどの犠牲を払わなくても、本物のタレントは遅かれ早かれ陽の目を浴びるはずだ。必ず浴びる。それこそが本当の才能だ。

 その点、とても小さい町(オス)で育ったこともあり、少年時代をのびのびと過ごせた自分は幸せだ。14歳のときにスカウトされるまで、放課後の『ストリート・サッカー』を存分に楽しんだよ。思えば、大きなクラブのスカウトたちは住んでいた町の存在さえ知らなかったような気もするよ(笑)。

──では、育成年代の指導者としてサッカーの楽しさを伝えられそうですか?

VN 指導者を志したのは、私がプロとして感じていたサッカーの魅力や楽しさ、そしてサッカーに対するパッション(情熱)を若い選手に伝えたいと思ったからだ。それらを若い選手と共有することが、彼らの成長を後押しするとも考えている。そもそも、選手として成功するための基本は「ボールに触れていたい」というパッションだ。パッションのない選手はキャリアを築く土台を持っていないようなものだ。私の指導の根底、いや中心にあるのも「パッション」だ。

──マンチェスター・ユナイテッドで共に戦ったサー・アレックス・ファーガソンも「熱い」監督でした。彼は、「ファンニステルローイ監督」の手本のような存在なのでしょうか?

VN プロのキャリアを通じて15人ほどの監督の下でプレーしたが、サー・アレックスは私にとって最も偉大な監督であり、5年間も濃密な時間を過ごした特別な存在だ。今でも敬意を込めて『ガッファー』(親分)と呼ばせてもらっている。ただし、『ヘアドライヤー』(選手への激しい叱咤)はマネできそうにないな(笑)。自分のキャラクターにないからだ。自然体のまま、第2のキャリアも地道に築きたいと思う。

2001-02シーズンからマンチェスター・ユナイテッドでプレー。1年目からプレミアリーグとUEFAチャンピオンズリーグで活躍するなど、ワールド・クラスのストライカーとなった

ルート・ファンニステルローイが『ガッファー』(親分)と呼ぶアレックス・ファーガソン元監督(写真右)。「最も偉大な監督」と位置付ける存在だ

プロフィール

ルート・ファンニステルローイ(Ruud Van Nistelrooij)/本名はルトヘルス・ヨハネス・マルティヌス・ファンニステルローイ。1976年7月1日生まれ。デンボスでプロとなり、ヘーレンフェーンを経てオランダの強豪、PSVアイントホーフェンに加わった。その後、2シーズン連続で得点王に輝き、2001―02シーズンより移籍したマンチェスター・Uでも得点王となり、さらに06―07シーズンから加わったレアル・マドリードでも得点王となった。その後、ハンブルガーSVとマラガでプレーして2012年に引退。チャンピオンズリーグでも3度の得点王となった(01―02、02―03、04―05シーズン)。オランダ代表としては70試合出場35得点

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