2月の大阪マラソンで、日本歴代5位、初マラソン日本歴代最高となる
2時間05分39秒で日本人トップの2位となり、
世界選手権の男子マラソン代表に選ばれた。
実業団でめきめきと力をつけた25歳のアスリートは、
競技人生2度目のマラソンで日本代表のユニホームをまとい、
東京の街を駆け抜ける。
初マラソンの大阪で2時間5分台、日本代表内定へ――2月の大阪マラソンで、初マラソン日本最高記録となる2時間05分39秒(日本歴代5位)をマークして、世界選手権代表の座を射止めました。代表内定までの心境はいかがでしたか。
近藤 初マラソンに向けて、やれることはすべてやり尽くしたので、結果を待つだけでした。東京世界選手権の代表内定に向けて、自分の出した2時間05分39秒を誰が抜くのか、という状況でしたが、自分の記録を破るのであれば、翌週の東京マラソンを走ったチームメートの井上(大仁)さん、山下(一貴)さんだといいな、という気持ちでいました。世界選手権の代表に内定したときは、素直にうれしかったですが、同時に選ばれなかった選手の分も走らなくてはいけないという、ちょっとした重圧も感じました。
――大阪マラソンのペースメーカーは、1㎞を2分58秒ペースで設定していて、中間点を1時間02分29秒で通過しました。初マラソンにしては速いペースだと思いますが、30㎞までの身体の状態はいかがでしたか。
近藤 チームの先輩、定方(俊樹)さんと一緒に、そのペースで走る練習を積んでいたので、30㎞通過時点では余裕がありました。しかし32㎞からの上り坂で力を使ってしまい、その後、右のふくらはぎにけいれんが起きました。ここまで良いレースができているし、余裕もあったので、とにかく最後まで走り切ろうと目標を切り替えました。
――35㎞付近で再び追いつく展開でしたが、けいれんが治まったのですか?
近藤 けいれんが治まったのは、36~37㎞辺りでした。集団に追いついたのは、一定のペースで走っていたら、前が上げ切れずに落ちてきたという印象でした。けいれんが治まってからは、どこかで仕掛けようと思っていました。試走のときに、定方さんから『39.5㎞の小さな橋で足が止まった』という経験談を聞いていたので、そこがポイントだと思いました。
――黒木純総監督も「残り3㎞を過ぎてから集団を抜け出したときは、力があると思った」と言っていました。
近藤 40㎞手前で身体がスタートのときと変わらないくらい回復したのを感じたんです。外国人選手が一人落ちてきたので「行けるぞ!」と思いました。ラストはエチオピアの(イフニリグ)アダン選手と一騎打ちだったので、1位を取る気持ちで走っていました。アダン選手がゴールした瞬間は悔しかったのですが、そのときタイムが見えて、(2時間)5分台ということを知りました。自分がゴールするまでの2秒ほど、悔しい気持ちと、5分台でゴールできるうれしい気持ちが交錯していました。目標としていた山下さんの記録(2時間05分51秒)を上回った喜びは、フィニッシュ後に込み上げてきました。
▲2003年から監督として、24年からは総監督として選手を育てている黒木純氏(右)と近藤(左)。三菱重工マラソン部からまた一人、日本代表選手が誕生したチームのノウハウ生かし入念に行う暑熱対策――黒木総監督が、近藤選手の強みは「走りのリズムが良く、無駄のない走りをすること」と言っていました。
近藤 ペースが上がるとストライドが伸びるタイプだと思います。慣性の法則をイメージしていて、重心移動を一定の高さで行って、脚は着いた瞬間に支えているだけ、という感覚で走っています。立った状態から前に身体を倒すと、自然に脚が1歩出ると思うのですが、それを続けて走っている感じです。初マラソンに向けても、力を入れないこと、リラックスすることを大事にしていました。
――世界選手権は酷暑のレースも予想されますが、暑さはいかがですか。
近藤 夏のレースは強いと思います。高校(島原高)時代、自分が初めて長崎県大会で1位になった国体予選も33~34℃の7月に行われたレースでした。コンディションが悪い方が、みんな力を発揮できないんじゃないかと、前向きにとらえています。あとは気持ちの面で、暑いと言わずに練習します(笑)。
――7月25日から世界選手権の直前まで、ボルダー(アメリカ)で合宿を行うそうですが、そこで強化したいことは?
近藤 標高が高いので、心肺機能を追い込みたいです。あとはボルダーも夏なので、暑熱対策をしたいです。
――汗の成分を調べるなど、科学的知見からも暑熱対策をされていくとか。
近藤 そうですね。給水ドリンクの選定や補給する量、水温まで突き詰めていきたいと思っています。チームとして、松村(康平)さんのアジア大会(2014年仁川・韓国)銀メダル獲得以降、井上さんのアジア大会金メダル(18年ジャカルタ・インドネシア)、山下さんの23年ブダペスト世界選手権、定方さんのアジア大会(23年杭州・中国)と国際大会の経験、ノウハウが蓄積されていると思います。
――チームの先輩から、世界選手権へ向けたアドバイスはありましたか?
近藤 大阪マラソンから戻ってきた日に、井上さんから『やったな! 面白かったぞ!』と声をかけていただきました。山下さんには、ブダペストでどのような駆け引きがあったか、レースの動きを詳細に教えてもらいました。画面では伝わらないところで、細かい駆け引きがあって、見極めが大事、というアドバイスをいただきました。
――日本代表が決まって、5月4、5日に試走を行ったそうですが、コース対策はどのように考えていますか。
近藤 図面よりも高低差がなく、フラットに感じました。試走の際は、太陽の方角や木陰の場所などもチェックしました。フラットなコースなので、いろいろなレース展開が考えられますが、海外選手の駆け引きにもできるだけ無駄な力を使わずに、自分のリズムで淡々と押していくことが大事になると思いました。40㎞辺りの2つの坂が勝負どころかもしれませんね。
――最後に、東京世界選手権へ向けた目標をお聞かせください。
近藤 地元、東京での世界選手権。多くの注目を浴びるなかでのレースになり、緊張もすると思いますが、2回目のマラソンなので、伸び伸びと自分らしく走りたいと思います。応援してくださる方々にワクワク感、感動をお届けできる走りをし たいと思います。そのなかで8位入賞を目指しますので、応援よろしくお願いします!
こんどう・りょうた◎1999年10月5日、長崎県生まれ。島原一中→島原高(共に長崎)→順大。順大4年時には全日本大学駅伝(7区9位)、箱根駅伝(10区14位)に出走している。実業団に進んでからみるみる力をつけ、初マラソンに挑んだ2025年2月の大阪マラソンでは日本歴代5位、初マラソン日本最高となる2時間05分39秒、日本人トップの2位でフィニッシュした。自己ベストは5000m13分42秒08(2024年)、10000m28分16秒14、ハーフ1時間00分32秒(共に23年)。