取材・構成/小室功
写真/上野弘明、gettyimages
植田 大津高校1年生のときです。インターハイの熊本県予選までフォワードだったのですが、その大会の準決勝で負けてしまったのです。「学校に戻って練習するぞ」ということになって、そこで平岡和徳・監督(当時)に「これからはセンターバックだ」と言われました。
植田 いやもう……、監督は絶対ですので(笑)、「分かりました」と言うだけでした。
植田 はい。監督に言われた通り、とにかくチャレンジしてみようと思いました。
植田 そうでもなかったのです。というのは、子供の頃からさまざまなポジションをやってきたこともありましたし、ポジションにそれほどこだわるタイプでもなかったからです。自分に与えられたポジションや役割に徹するのが選手として大事だと思っていました。
植田 ヘディングです。高校の練習グラウンドにボールが吊るされているところがあるのですが、そこで毎日練習していました。OBの巻誠一郎さん(現在はロアッソ熊本)もよくやっていたと聞いています。
僕たちは「ヘディング・マシン」と呼んでいたのですが、平岡監督から「センターバックにとってヘディングは大事。これを使って練習すれば上達する」と言われたので、ひたすら練習しました。朝練のときも全体練習が終わったあとの自主練のときもよくやっていました。だから上達したのだと思いますし、現在ではヘディングは自分の持ち味の1つだと思っています。
植田 いませんでした。もともと持っている力だけでやっていけると思っていましたし、十分に通用している部分があったからです。U-17日本代表として、2011年のU-17ワールドカップに出場したときに海外の同世代のフォワードとも対戦してきましたけど、「これは敵わない」と感じるような選手もいませんでした。
しかし、鹿島アントラーズでプロになって、いろいろなタイプのフォワードとぶつかるようになったのですが、「高校時代のような感覚ではやっていけないな」と思うようになりました。本当にレベルが高いですし、ポジションどりや相手との駆け引きなどに対しては、きめ細かく考えて対応しなければいけませんでした。経験を積めば積むほど、センターバックというポジションの奥深さを感じています。
植田 「1対1」の部分です。その中で「相手に負けない気持ち」や「ヘディングでの競り合い」などは僕の強みだと思います。「対戦するフォワードに自由にプレーさせない」と、ずっとそういう気持ちでプレーしてきました。
植田 センターバックは誰よりも戦えないといけないポジションです。相手にやられてばかりいたら話になりません。血を流すくらいは何でもないです。そのくらいの気持ちでプレーしています。
2015年から日本代表候補として名を連ねていた植田。12月12日の中国戦で日本代表デビューをついに果たした
植田 大津高校は土のグラウンドです。朝練を6時から行ない、午後に全体練習、そのあとに個人練習という流れです。週末はだいたい試合を行なっていました。素走りのようなフィジカル・トレーニングは週1回だけ行ない、基本的にはボールを使う練習が多かったですね。
「100分間という時間の中で密度の濃い練習をしよう」というのが平岡監督の指導方針でした。しかし、個人的にはたくさん練習したいほうでしたので、全体練習が終わったあと、その日に見えた課題を自主練という形でやっていたのです。僕は3年間、学校まで徒歩で10分から15分くらいの寮生活でした。そういう面でもサッカーに打ち込める環境でした。
植田 高校1年生のときからU-16やU-17の日本代表に呼んでもらっていました。そのため、代表の合宿に行って、週末に帰ってきて、大津高校での試合に出場し、それが終わったら、また代表の合宿に行く、という繰り返しの時期もありました。
ただ、全国から集まってくる同世代のトップレベルの選手たちと一緒に練習するのはすごく刺激になりましたし、有意義な時間でした。そのため、代表チームの合宿で僕が感じたことを、大津高校のチームメイトにもできるだけ伝えるようにしていました。
植田 練習に取り組む姿勢ですね。日本代表の選手たちは個々の技術レベルが高い上に、「もっとうまくなりたい」という気持ちも強いと感じました。やはり、一つひとつの練習に集中してプレーしていたり、ていねいに取り組んでいたりします。同じ練習をするにしても意識の違いを感じました。
大津高校のチームメイトも確かにレベルが高いのですが、チーム全体がレベルアップするためには、意識をもっと高めて練習に取り組むことが大事なのです。高校1年生のときは先輩に言葉で言うのはなかなか難しかったですが(笑)、練習に率先して取り組むことで、何かを感じとってもらえればいいなと思っていました。
植田 練習をただこなすだけではなく、集中して取り組むこと、少しでもプラスになるように意識して取り組んでいました。何でもそうですけど、考え方1つで大きく変わっていきます。チーム全体として考えても、日々のトレーニングの質を上げられるかどうかは、一人ひとりの意識にかかっていると思います。
鹿島アントラーズの選手として5年目のシーズンを終えた植田。16年シーズンからセンターバックのレギュラーの座をつかみ、「常勝軍団」を後方で支える
植田 僕のサッカー人生をつくってくれた恩師です。サッカー選手という職業に就けたのも、高校1年生のときにセンターバックを勧めてくれたからです。高校の3年間でいろいろなことを教わりました。
植田 いえ、僕自身は怒られたという記憶はほとんどありません。自由にやらせてもらったというか、任せてもらっていた、という気がします。その分、責任を持ってやらなければいけないと思っていたので、それは自覚していました。
植田 たくさんあります。例えば、「一技二万回」という言葉です。1つの技を自分の中に取り入れるには繰り返し練習しないといけない、ということなのですが、コツコツと積み重ねていくことの大切さや、反復練習の重要性を意味しています。
これは、平岡監督から言われた言葉の中でも忘れられない言葉の1つです。センターバックになったとき、「まずヘディングの練習をした」と言いましたが、それこそ数え切れない回数を練習していました。
植田 やはり、日々の積み重ねが大事です。意識を高く保ってやるべきことを続けるというのは大事ですし、この言葉はすべての面につながっていくと思います。「一技二万回」という言葉のほかにも「24時間をデザインしなさい」や「凡事徹底」などは、大津高校時代に平岡監督から言われた言葉の中で特に大事にし、今でも心がけています。
植田 アントラーズを選んだのは毎年のようにタイトルを取っていたことと、チームの雰囲気が良かったこと。そして何より、チーム内の競争が激しく、試合に簡単には出られそうにないチームだと感じたからです。
自分のサッカー人生を振り返ってみても、苦しい思いをしたほうが自分のためになると思っていますし、成長できると考えています。そういう意味でも「自分に合っている」と感じていました。アントラーズで試合に出て、1つでも多くのタイトルを獲得していくのが現在の目標です。
植田 やはり、意識の部分は重要だと思います。意識の持ち方1つで何でも変わっていきますので、高い意識を持ってサッカーに向き合うことを目指してほしいと思います。ただ漠然と練習していたら成長はないのです。
<プロフィール>
植田直通(うえだ・なおみち)/1994年10月24日生まれ、熊本県出身。スピードとパワーを兼ね備えたセンターバック。中学時代はテコンドーで日本一を成し遂げた。大津高校2年生のときにはU-17日本代表としてU-17ワールドカップに出場(ベスト8)。3年生のときにはキャプテンとして全国高校サッカー選手権大会に出場した。高校卒業後の2013年に鹿島アントラーズへ加入。16年はU-23日本代表としてリオデジャネイロ・オリンピックに出場。17年12月12日の中国戦で日本代表デビューを果たした。186cm、79kg
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