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2025-11-27

【アイスホッケー】スターズ神戸とアイスバックス⑧ 寺尾勇利

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日光東中の後輩にとって、そして全国の中学ホッケー小僧にとっても「太陽」だった寺尾勇利。試合で用いていたヘアバンドに憧れる選手も多かった

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今季からアジアリーグに加盟した「スターズ神戸」。開幕以来11試合を行なっており、まだ勝ち星を挙げるに至っていない。11月29日・土曜日は16時から、30日・日曜日には14時から、地元・兵庫の尼崎スポーツの森アイススケートリンクで「栃木日光アイスバックス」2連戦が予定されている。これまで日光にゆかりのあるスターズの選手・スタッフに話を聞いてきたが、中でも「特別な存在」として名前の挙がった選手がいる。日光東中で絶対的な存在だった、アイスバックスのFW・寺尾勇利だ。寺尾は今週末の試合をどう戦おうとしているのか。シリーズの特別編としてお届けする。


「アイスバックスと日光東中と。
俺たちのほうが強いんじゃね?」

 強烈だった。取材時間は朝の9時半。スターズ神戸のDF・在家秀虎は、ついこないだの出来事を話すかのように目を輝かせて言ったのだ。「日光東中時代の思い出です。FWと1対1の練習がありますよね。あ、次の順番は寺尾さんだ。そう思いながら向かっていく瞬間が好きだったんです。寺尾さんは誰にも負けない気迫があった。その気持ちが寺尾さんの体を動かしていた気がするんです」。朝からやたら話が熱かったのは、寺尾の気迫ゆえか、それとも単に在家の「目力」の強さが理由だったか。ただ、当時のホッケー少年たちの間で、日光東中のエース・寺尾の存在がいかに大きかったのか、それは想像できるのだ。

 アイスバックスのFW・寺尾勇利。日光で生まれ、清滝ドラゴンから「怪物」と評判の選手だった。チームの得点は、一に寺尾、二に寺尾。三、四がなくて…と言いたいところだが、三も四も、五までが寺尾のものだった。

 小学生のころ、全国のホッケー少年の間で「寺尾伝説」がささやかれる。

「寺尾はテレビを見ないらしい。目が悪くなるから」

「でも、目のトレーニングになるという理由で、テレビゲームをやることは許されている」

「細尾のリンクで1日中、練習しているんだ」

「でも、細尾で練習しているのは、学校のある平日の昼間らしいぞ」

 真偽のほどはわからない。ただ、今よりももっと、噂がまことしやかに語られていた時代だ。寺尾勇利という選手は、日光における「夢伝説」だった。

 日光東中で「伝説」の第1章が完結する。寺尾は2年生(2010年)と3年生(2011)で全国中学校大会で優勝する。特にキャプテンとして臨んだ3年の大会では、試合で敵に当たられて、途中で医者に診てもらい、再びリンクに帰ってきてハットトリック。映画の主人公そのままの活躍だった。

「不可能といわれた全国2連覇をなしとげた。それが、一番の思い出です。練習は、とにかく厳しかったですよ。今年も絶対に優勝するんだよと、洗脳のように教えられてきたんです。いま、あらためて思うのですが、日光東中の仲間のことをほめたいと思います」

「当時、アイスバックスは最下位から2番目の6位だったと思います。霧降に試合を見に行っても、なかなか勝てなかった。日光東のメンバー同士で、言い合っていたんです。俺らのチームのほうが強いんじゃね? って」

 寺尾の将来への関心は、日光の「外」へ向けられていたのだ。

試合での活躍はもちろん、寺尾の練習のハードさも、後輩選手にとっては衝撃だった。常に自分を追い込むストイックさ。それは今でも変わっていない
試合での活躍はもちろん、寺尾の練習のハードさも、後輩選手にとっては衝撃だった。常に自分を追い込むストイックさ。それは今でも変わっていない

「スターズはまとまりが出てきている。
力の差を見せつけて、本気で倒したい」

 15の春、寺尾は駒大苫小牧高に進んだ。日光東中では「ヘアバンド」で髪を整えていた寺尾だが、駒澤の1年生は、当時は坊主頭。3年生のセンター大澤勇斗、同じく3年生の髙田航太とともに、1年生で1つ目のセットで試合に出ていた。

 このときの寺尾の仕事は、「犬になる」ことだった。Oゾーンまで持ち込むと、いったんパックを大澤へ。そこで寺尾は相手のチェックを受け、立ち上がったら敵のゴール前まで一直線に向かう。そこで大澤からの、あるいは髙田からのパス、シュートリバウンドを拾ってスコアするのだ。試合中に、これをひたすら繰り返していく。訓練されたアサイメントを寺尾は実行していった。

 インターハイの決勝は、主将で坊主の大椋舞人率いる白樺学園高を破り、駒澤が優勝する。4-4から延長になり、3年・髙木健太のゴールが決まって優勝したのだ。

 そんな中、寺尾の心境に変化があった。

「同じセットの大澤さん、髙田さんは、王子イーグルスに入ったんです。もし、僕も王子に入ってしまったら、ホッケー界が盛り上がらないだろうなと思った。高校で一緒のチームでやってきたからこそ、アジアリーグでは別のチームで、先輩に勝ちたい。そう思ったんです」

「当時、アイスバックスは弱くて、でも、自分が入ることで強いチームになれるんじゃないかと思った。それに日光から離れてみたことで、バックスのよさを知りました」

 今週末、アイスバックスはスターズ神戸と対戦する。スターズは開幕から11連敗。アイスバックスはスターズと10月に霧降で2連戦を行い、8-3、6-2で勝っている。

「小野寺(真己)、虎(在家秀虎)、(渡邉)亮秀。あのとき日光東中はどんな生活を送ってきたのか。彼らがそれを伝え始めたら、チームは変わると思うんです。最近の神戸さんを見ていると、まとまりが出てきている。油断できないと僕は思っています。勝ち始めるのは、遠い未来じゃない。では、これまでアジアリーグで戦ってきた選手が、何をしなくちゃいけないのか。それは力の差を見せつけることです。とことん本気で神戸さんを倒す。僕たちの使命はこれだと思うんです」

 11月29日と30日。どんな試合が尼崎で見られるのか。寺尾勇利は、そして日光東中の後輩たちは、どんな「伝説」を尼崎のリンクに残すのだろう。

※11月29日(土)と30日(日)の「スターズ神戸」と「H.C.栃木日光アイスバックス」2連戦の詳細は、スターズ神戸の公式サイトをご参照ください。

寺尾勇利 
寺尾勇利 てらお・ゆうり
H.C.栃木日光アイスバックス・FW。背番号「88」。1995年4月29日生まれ。栃木県日光市出身。清滝小から日光東中に進み、中2と中3の時に全国中学校大会で連覇する。駒大苫小牧高を経て2014年にアイスバックスへ。2015-2016シーズンにUSHLのウォータールーでプレーし、2016-2017シーズンにアイスバックスへ復帰する。2019-2020シーズンに再びECHLユタに渡ったが、翌シーズンにケガをしてしまい、再びアイスバックスに復帰。現在までチームの主力として活躍している。父・一彦さんは元国土計画DF、兄の裕道は東京ワイルズのFW。最近のマイブームは「自分のカラダの動きが、人の眼にどう映っているのか。それを研究している」とのこと。「まあ、僕もいろんな経験をしているので、渋い年のとり方ができていると思います」。だから今年の名鑑写真では「笑顔なし」なのか? なんでだよー。

山口真一

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