バックスと2年連続、決勝での延長戦。佐々木、成澤は今回も氷上に立っていた。 アイスホッケーは、いつも動いている。そう感じさせたのが、今年2025年12月の全日本選手権で、38回目の優勝を果たしたレッドイーグルス北海道の2人のベテラン選手を見た瞬間だった。
日本のアイスホッケーでは、常に「横綱」としての扱いを受けるレッドイーグルス。それでも全日本選手権のタイトルは、2018年の東京・東伏見大会で優勝して以降、縁がなかった。いや、縁がなかったというよりも、はっきり言うと「勝てなかった」のだ。
2018年以降、レッドイーグルスは決勝にも1度も勝ち残れなかった。昨年2024年の日光大会。ここでレッドイーグルスは、6年ぶりの「ファイナリスト」になる。対戦相手は、地元の栃木日光アイスバックスだった。
試合は3ピリの60分を戦い終えて、4-4の同点。規定により、通常より2人少ない4人対4人の「延長戦」に入る。
レッドイーグルスのスターティングメンバーは、GKの成澤優太、DFの佐々木一正、FWに入倉大雅、髙木健太。対するアイスバックスはGK福藤豊、DFに佐藤大翔、FWは古橋真来、鈴木健斗だった。
5分間行われる延長戦は、立ち上がりの20秒で決着がついた。アイスバックス古橋が、Oゾーンにエントリー。相手ゴール裏を回って、佐々木のチェックをかわし、ゴール前でパスアクロスする。パックの処理をどうしようか、GKの成澤が迷っている間に、左に詰めていた鈴木健が合わせて、アイスバックスがサヨナラ勝ちを決めたのだ。
それから1年後の2025年12月21日、長野ビッグハット。アイスバックスとレッドイーグルスは、2年続けて決勝戦でぶつかっていた。試合はまたしても、3ピリを終わって3-3。このまま5分間の延長戦に入った。
アイスバックスのスタートのメンバーは、1年前とGKが大塚一佐に代わっていたものの、スケーターは佐藤、古橋、鈴木健と同じ陣容。対するレッドイーグルスは、GKの成澤とDFの佐々木が1年前と一緒で、ほかにDF橋本僚、FW中島彰吾が入っていた。
1年前の決勝では、開始20秒でアイスバックスにサヨナラ負けを喫したレッドイーグルス。それから1年後。成澤と佐々木は2年続けて、この場面で氷上に立っていたのだ。
DFでありながら、高校までは「ポイントありきの選手だったんです」。ところが、アジアリーグ1年目は試合出場ゼロ。「チームにとって必要な選手になるにはどうしたらいいのか。それを考えるようになったんです」開始20秒での延長サヨナラ負け。「去年の経験が今年に生きました」 条件的には、1年前とほぼ同じ。佐々木はこう思っていた。
「1年前は、アイスバックスの戦術にうまくはまってしまった感じでした。あのとき、僕は1人目(鈴木健)を見ていて、そこに2人目として古橋選手が入ってきた。とっさのことで、古橋選手に対応する力が不足していたと思うんです」
1年前の延長戦。パックを持っていない鈴木健を追い抜く形で、古橋がエントリーしてきた。レッドイーグルスにとっては、Dゾーン右側の位置。佐々木は当初、鈴木健をカバーしようとしていたのだが、その外側から古橋がドライブしてきたのだ。
古橋はゴールの背後を回ってパス、これを鈴木健が難なく流し込んだ。
「古橋選手にゴール裏を回られるのは仕方ないとしても、最悪でもゴール前にはパスを出されたくなかったんです。でも僕のスピードが古橋選手に合っていなかったぶん、1歩先にゴール裏を回られてしまった。もしスピードが合っていれば、多少後追いになっても、スティックの届く範囲で何とかなったはずなんです。でもあの場面は、そもそも初めからスピードが合っていなかった」
それから1年の月日が経過した。「去年のことがあったので、十分な準備をして臨めたと思う」と佐々木は言っている。
「去年は、決勝の60分を終わって、延長戦の前にはアップアップの状態でした。僕は本来、守備につく前にいろいろ考えるタイプなんですよ。相手がこうきたら、こうしよう。今年の場合、延長戦の前に、自分の中で戦術を整理して組み立てられていたんです。去年の経験があったからこそ、いい準備をして迎えられたと思います」
結局、延長の5分間は、両チームとも無得点に終わる。レッドイーグルスは、アイスバックスにPSを取られて冷や汗をかいたものの、佐々木個人は万全の内容で、5分間を終えることができた。
試合の決着はPS戦に委ねられた。レッドイーグルスは2人目のFW小林斗威がショットに成功する。アイスバックスは5人ともネットを揺らすことができずに、レッドイーグルスの7年ぶりの優勝が決まった。
「準決勝も、決勝も、いい時間帯までビハインドでした。正直な気持ちを言うと、ちょっとまずいなというのもあったんです。ただ6人攻撃をかけたときに、終始、ウチのパックでポゼッションを取れていた。このメンバーなら、残りの時間で点を取ってくれる。僕はそう思っていました」
「ウチは、毎年のように優勝候補だと言われ続けていて、でも、決勝まで勝ち上がれないことが多かったんです。今回の優勝で、肩の荷が下りたといえば大袈裟に聞こえるかもしれないけど、そういうものから解放された選手は、きっと多かったんじゃないかな。正直に言うと僕も苦しかった。だって7年ですからね。その間、人の入れ替わりもあって、勝つことを知っている選手がどんどん抜けていった。今回、若い人が試合の中で勝つことを覚えていったのが大切なことで、今後につながる、価値のある優勝になったと僕は思っているんです」
1年前の表彰式で、佐々木はチームで唯一のベスト6に選ばれている。
「あれは何というか……評価していただいたのはうれしいんですけど、僕が求めていたのはそれじゃなかった。複雑でしたね」
「でも、去年の延長戦での出来事があったから、それが今回、生きたと僕は思っているんです。あの20秒間の経験が、今年につながったんじゃないかって」
今回の優勝で、ゴールを守っていた成澤は試合の後に大泣きしていた。テレビの画面で映されていたので、ご存じの人も多いだろう。
「年齢が近いこともあるし、お互いに長くやっているんで、ナリさんとは普段から一緒に過ごすことが多いんです。全日本の前に、今年こそ優勝したいよねって話をすることもありました。去年のことがあって、ナリさんもつらかったと思うんです。ようやく勝てたね。試合後に2人でそういう話をしたんです」
レッドイーグルスでは今季、チーム最長の18年目を迎える。「入団した当初は、下手をすれば2~3年目ぐらいで引退するだろうなと思っていたんですよ」「このままなら2~3年でクビを切られる。チームにはいない選手になるしかないんだ」 佐々木は2008年春、レッドイーグルスの前の「王子イーグルス」に入団している。チームの地元・苫小牧の出身。隣町の白老町の北海道栄高を卒業し、今季で18年目のシーズンを迎えている。
佐々木の持ち味は、北海道弁で言う「きかないプレー」だ。相手が危険なパス、シュートを打つ瞬間に、スライディングやボディレシーブでわが身を投げ出し、パックをゴールに届かせない。ゴール付近では、相手にウザがられるプレーをする。それは佐々木の「代名詞」でもある。
入団1年目。アジアリーグでの試合出場はゼロだった。
「あのままでいたら、2~3年でクビを切られていたでしょう。高校までは攻撃が大好きで、点数を決めてナンボ、アシストしてナンボという選手だったんです。王子に入って、でも試合に出られなくて自信をなくして…。そんなとき、ふと自分で考えたんです。チームにはいないタイプの選手になったら、もしかしたら試合に出るチャンスをもらえるんじゃないかって。そこから、今みたいなプレースタイルに変えていったんです」
「試合に出始めるようになったら、5年目までは生き残ろう、その次は10年間は頑張ってみよう、その次は30歳まで現役を続けようという感じでした。18年もプレーできるなんて、考えてもいなかったんです」
プレー以外でも、佐々木は活躍している。旧ツイッターの「X」で毎週、ファンへのメッセージを書き残しているのだ。アジアリーガーが約150人いるとして、書き込み数はナンバーワン。リーグでも5本の指に入るベテランが、こまめにSNSを活用している。
「レッドイーグルスの試合じゃなくてもいいんです。メッセージを見て、アジアリーグに出かけてみようという人が1人でも増えたら、アイスホッケー界にとっていいことじゃないですか。おかげさまで最近はレッドイーグルスのお客さんの数が増えていて、でも王子イーグルスの最後のほうは、自分の眼から見ても、お客さんの数が減っていることがわかった。そんな空気を知っているから、選手の立場から、ファンの人にメッセージを送りたいんです」
2025年の11月で佐々木は36歳になった。1つ目のDFを張って元気な姿を見せているが、現役生活の「最終盤」であることを自覚している。
「あと何年も現役を続けられるわけじゃない。それは、自分でもわかっているんです。僕がチームに感じていることをプレーの中で見せていって、それを見た若いDFが、何かを感じてくれればうれしい。チームに足りないものって何なのかな。チームにできることって何だろう。それを若い選手に伝えていくのが、現役最終盤の僕の役目と思っているんです」
「アジアリーグって、高校で一緒にやっていたとか、大学で同級生だったとか、そんな関係性の選手が多いんです。でも、リンクに上がったら、そういうのはナシだと思うんですよ。特にDFの選手は、戦っていく気持ち、闘争心が必要なんです」
まだ10代の試合に出られないころ、佐々木は自分の中で「目指すイメージ」を変えている。本来ならばスターになりたいのに、あえて、その夢を消したのだ。プロレスラーは「ベビーフェイス」だけではなく、「ヒール」がいて初めて興業が成り立つ。それと同じように「痛みを伴うプレー」に、佐々木は自らの存在感を反映させた。
出身は、アジアリーグではただ1人の北海道栄高。プロの世界で相談できる先輩はいなくて、だから自分で考えて、自分でプレーを変えるしかなかった。それが、この年齢まで「プロの世界で生きる」道につながった。
これは、佐々木一正を思う「仮説」に過ぎない。ただ、まんざら外れてもいないと思うのだが、どうだろうか。
佐々木一正 ささき・かずまさレッドイーグルス北海道・DF。背番号「88」。1989年11月12日生まれ。北海道苫小牧市出身。錦岡小、凌雲中・啓明中から、カナダ・ウエストアイランドカレッジへ留学。高校2年生の秋から日本に戻り、北海道栄高で活躍する。卒業後は王子イーグルス(現レッドイーグルス)へ。18年目の今季、バディ橋本僚と1つ目の地位を保っている。GKの成澤優太とは、苫小牧の社宅に住む「ご近所さん」。