同点に追いついたのは、59分41秒。「あの時点でチャンスだと思いました」 名物のりんごパイか、それともクッキーか。2025年12月の全日本選手権で、7年ぶりに優勝したレッドイーグルス北海道のGK・成澤優太は、長野で家族のおみやげに何を買ったのか問われると、「いえ、特に何も買っていないんです」と答えている。
「今回は長野のビッグハットに、家族を呼んでいたんです。妻と、上の2人の子どもと、釧路から僕のお父さんとお母さん。みんなに会場に来てもらっていたんですよ」
7年前の2018年12月。東京・東伏見で行われた全日本選手権で、成澤は初めて「胴上げGK」になっている。まだチーム名が「王子イーグルス」の時代だ。
その2カ月後の2019年2月。成澤家で初めての子どもが誕生している。現在、成澤は3人の子どもに恵まれているが、子どもたちにとって、全日本で胴上げされる「パパ」の姿を見るのは、今回が初めてだった。
「2018年の大会で優勝しましたが、僕はそれまで、試合で氷上に立っていて優勝したことがなかったんです。あれから7年間。チームにとって、そして僕と家族にとっても、長い時間が経ったということです」
2025年12月21日。「7年ぶりの優勝」というタイミングを最終確認するように、今年の全日本選手権は、レッドイーグルスにとっては長く、密度の濃い時間だった。
決勝の相手は、栃木日光アイスバックス。レッドイーグルスは開始3分と8分に2点を先制したものの、1ピリ中に同点に追いつかれ、31分には勝ち越し点を奪われている。
3-3に追いついたのは59分41秒。相手のペナルティに乗じ、レッドイーグルスはGKを除き6人対4人の「エマージェンシー」、ここでFW高橋聖二がダイレクトで同点ゴールを決めている。
成澤は、こう振り返っている。
「同点になったのは、1年前の決勝と同じです。ただ違っていたのが、1年前はウチがリードしていた試合を、同点に追いつかれたこと。去年は途中までウチが4-3とリードしていて、59分26秒に追いつかれたんです。全日本は同点に追いつかれたチームが、メンタル面でじんわり来る。延長になった時、今年はウチのチャンスなんだと思いました」
優勝が決定すると、一目散にベンチに駆け寄った。優勝インタビュー中、成澤は涙を見せていたが、精神状態が「極限状態」だった裏返しでもあるのだろう(写真提供・レッドイーグルス北海道)PSで光った、冷静で粘り強い守り。「1年前の経験が生きていました」 5分間の延長戦は、レッドイーグルス、アイスバックスともに無得点に終わった。試合の行方は、両チーム5名ずつのPS戦に委ねられた。
PS戦に入る直前、レッドイーグルスのベンチは、やたらと明るい雰囲気に包まれている。シュートアウトまで持っていけば、こっちのもの。そんなムードが、チームメイトから伝わってきた。
ベンチの前では、ほかでもない成澤だけが冷静だった。というより、勝敗がまだ決まっていない以上、笑顔になることができなかったのだ。
「あのとき、雰囲気的にはウチのムードがすごくよかったんです。えー、PSのメンバーを発表します…。勝也さん(小川監督)のジョークを含めて、終始、ノリがよかったんですよ。レッドイーグルスは、PSに自信を持っている。選手としては本当にありがたいことですが、実際に守っている人間からすると、早くゴールを決めてもらいたい、1秒でも早くこの重圧から逃れたい、そう思っているものなんです」
ベンチの明るい雰囲気、裏腹に成澤の複雑な心持ちが相まって、PS戦が始まった。
シュートアウトで目を引いたのが、アイスバックスのシューターの動きを見切ろうとする、成澤の粘り強さだった。シュートアクションの最後の最後まで、相手のシュートに対応する。成澤の覚悟のほどは、セービングのそこかしこから伝わってきた。
PS戦の2人目。レッドイーグルスはFW小林斗威がシュートを決める。残るは3人。アイスバックスはいずれもショットを決めることができず、レッドイーグルスの7年ぶりの優勝が決まった。
「去年の全日本での思いが実った。そう思いました。1年前から、普段の練習からパックに最後まで食らいつこうと思っていたんです」
成澤には、昨年の記憶が残っていた。DFのベテラン・佐々木一正と同じように、昨年の延長戦で、アイスバックスのFW・古橋真来に引っ掻き回されたプレーが忘れられないのだ。
1年前、古橋はレッドイーグルスのゴール裏をドライブしてきた。DFの佐々木が、スティックを懸命に伸ばして邪魔しようとしたものの、古橋はパスをゴール前に通している。それを左に詰めたFW鈴木健斗が、フィニッシュへとつなげたのだ。
ゴールを守る成澤の前方に、古橋から鈴木健へのパスが通っていく。時間にしたら、1秒もないだろう。このパスをどうしようか。成澤は悩み、一瞬、躊躇をしてから、鈴木健のゴールを許した。
「あの瞬間のことは、今でもはっきりと覚えています。キーパーの世界で言うと、リバースVH。座ったまま反対方向にも反応する、いわばラップアラウンドをしてくる相手に向き合う技術です。1年前、古橋選手が強引にラップアラウンドするのではなく、結論として、古橋選手はパスを選びました。座ったままではなく、僕が早く立って反応すればよかったんです。あのときは上体が古橋選手の方向に行き過ぎていて、僕は1歩も動けなかった。思えばあの試合は、59分26秒に同点に追いつかれてのオーバータイムでした。いま考えると、頭が冷静に回っていなかったと思うんです」
それから1年間が経過した、今年の全日本選手権の最終日。疲れたのだろう、成澤は宿舎の夕食で、酒の席もそこそこに宴を切り上げている。「試合が終わった後、チームメイトはビッグハットの風呂場でビールかけをやったみたいです。ただ、会場が風呂場のシャワールームなので、全員は入れなかったと聞いています。僕ですか? 僕は試合後、ドーピング検査で参加できなかったんですよ」
成澤はこうも言っている。
「この大会は冗談抜きで、僕の寿命が確実に縮んだ。そう思っているんです」
年齢の近いDFの佐々木(右)、橋本僚(右から2人目の奥)とプレーの細部を確認する。「一家に一台。成澤優太」。名付け親は、成澤より2つ年下の佐々木だ「チームにどこかで恩返しをする。それはずっと思っていたことです」 全日本の決勝から、すでに1週間が経過した。成澤は、「2025年での目標は一応、達成しましたから。今はホッとしているところなんです。まだ優勝に、浸っているといいますか(笑)。練習をしていても、いつもより楽しく過ごせているんです」
週末のスターズ神戸との2連戦では、ベンチを外れている。全日本選手権ではサブに回った、2年目の佐藤永基。ベンチを外れていた、10年目の小野田拓人。週末は2人のサポートに回っていたのだ。
「特に小野田は、シーズン前半にケガしていたんです。小野田も佐藤も、夏場からいい練習をしてきた。この週末、僕は防具を着ませんが、スタッフの判断には納得しているんです」
成澤は、王子製紙の時代からチームに何人もの先輩を送り出してきた、釧路工高の卒業生だ。時代がそうさせるのか、アジアリーグ全体を含めてみても、工業のOBは成澤ただ1人。そこから東洋大学を出て、「王子製紙の社員」としてチームに加わっている。
「入団して、早いもので16年目です。7年前に全日本で優勝して、でも、その後は結果を出せていなかった。チームとしては、普通だったら、GKを代えようと思っても不思議ではないですよね。でも、僕をこうして先発GKとして使ってくれた。小野田、佐藤というキーパーがいるのに、そこを代えないで僕を使ってくれたんです。どこかで恩返しをしなきゃいけない。それはずっと思っていました」
「日曜日(12月28日)、先発は小野田だと聞いています。小野田はこれまでにも、僕のサポートをしてくれていました。だから僕は、彼のサポートを万全にしなくちゃいけない。2016年の全日本で王子は優勝しているんですが、当時、小野田がメインとしてゴールを守っていたんです。なんで僕ではなくて、ルーキーの小野田なんだろう。当時を振り返ってみると、そうやって顔に出していた記憶が僕の中にあるんです。新人の小野田に負けてしまった。それが、自分の中ですごく腹立たしかった。小野田にはGKとして負けていたし、人間としても負けていたんです。いま小野田は控えに回っても、態度にこれっぽっちも出さない。虎視たんたんと練習に打ち込んで、試合になると僕のサポートに回ってくれるんです。同じポジションでライバル関係。これってけっこう、難しいものじゃないですか。でも彼は、裏表をいっさい出さない。僕は1人の人間として、小野田のことを見習っているんです」
アイスホッケーはいつも動いている。たとえ思うに任せない結果だったとしても、そして満足に試合に出ていない時でも、アイスホッケーは、そのすべてに意味がある。
さあ、手元のカレンダーに「2026」の文字を。いつの時代もアイスホッケーは新しく、いつの時代もアイスホッケーは面白い。
成澤優太 なりさわ・ゆうたレッドイーグルス北海道・GK。背番号「39」。1987年4月14日生まれ、北海道釧路市出身。9歳の時にアイスホッケーを始め、釧路駒場小、釧路北中、釧路工高、東洋大学を経て王子イーグルス(現レッドイーグルス北海道)へ。2023年の世界選手権ディビジョンI・Bで最優秀GKを受賞。幾多の名選手を生んできた釧路工高のOBとして、現在はただ1人のアジアリーガー。