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2026-02-20

海賊男乱入で暴動!  観客が放火で消防車出動!! “燃える闘魂”を撮り続けて半世紀“猪木カメラマン”原悦生が選ぶ“関西プロレス事件簿”第2位【週刊プロレス】

左から海賊男、マサ斎藤、アントニオ猪木

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新日本プロレス旗揚げシリーズから半世紀以上、アントニオ猪木を撮り続け、キューバやイラク、北朝鮮にも同行した原悦生カメラマンが2月12日、ABCラジオ「ますだおかだ増田のラジオハンター」にゲスト出演。同局が配信しているPodcast番組「ますだおかだ増田の関西プロレス事件簿」の番外編として、番組内で原カメラマンがファインダー越しに目の当たりにした関西マットにおける事件をトップ3として挙げてもらった。その第2位は……。(文中敬称略)


<第2位>
・アントニオ猪木vsマサ斎藤(1987年3月26日、大阪城ホール)

新日本プロレス三大暴動事件のうち大阪が舞台となったのが、アントニオ猪木vsマサ斎藤がメインイベントの「INOKI闘魂LIVE Part2」だった。斎藤は1984年4月、ケン・パテラが起こした器物破損事件に巻き込まれる形で宿泊先に踏み込んできた警官と乱闘事件を起こして有罪判決を下され、翌1985年6月から収監され、1986年末に出所。大阪城ホールでの猪木戦は斎藤にとっては日本マット復帰戦でもあった。

それと並行して動いていたのが、長州力の新日本マット復帰。ジャパンプロレスを率いて全日本プロレスに上がっていた長州。同年1月17日、故郷である徳山でカート・へニング相手にPWFヘビー級王座防衛に成功すると、生中継のリング上で藤波辰巳(当時)との対戦をぶち上げ、次期「エキサイト・シリーズ」を欠場した。しかし、日本テレビとの契約から他局への出演ができず、3・26大阪城ホールへの参戦はかなわなかった。

一方で1985年からUWF勢が新日本マットにUターン参戦して大きな話題にはなったものの、視聴率には反映せず。長州復帰はそのテコ入れの一環だったが、それまでのつなぎとして1987年2月から海賊男を再三にわたって乱入させた。

前年10月、両国国技館で開催された「INOKI闘魂LIVE」での猪木vsレオン・スピンクスが期待されたほどの内容でなかったことから、その汚名返上の大会でもあった3・26大阪城ホール。最終的にメインカードが決まったのは大会1週間前。前日の記者会見には斎藤の代理として長州が出席、藤波のカードが発表されていなかったこともあって強行参戦への期待も高まった裏で、海賊男の乱入も噂されていた。

リング内外の動きが複雑に絡み合うなかで迎えた記念大会。序盤は互いに闘いを楽しんでいるようなストロングスタイルの好勝負が繰り広げられていたが、海賊男が乱入。自分と斎藤を手錠でつないで控室に連れ去った。

しばらくしてチェーンを引きちぎった斎藤が戻ってきた。右手首にはまだ手錠をつけたまま。その手錠で猪木を殴りつけ流血させる。さらに制止するレフェリーにまで暴行、斎藤の反則負けが宣せられた。

しかし、それはファンが望んでいなかった展開。いや、“それだけはやめてくれ”と強い拒否感を示すほどだった。猪木がリングを去っても大半のファンが不満を爆発させた。同大会を観戦していたますだおかだの増田英彦は、「自分が座ってた2列前のファンが火をつけたと思うんですけど、場内が煙で真っ白に包まれた」と番組内で証言。消防車が出動する騒ぎにまで発展した。

場内が騒然としているその時、原カメラマンはすでに会場を後にしていた。試合後のバックステージで猪木の取材を終えた直後、「ワールドプロレスリング」の実況を担当していた舟橋慶一元アナウンサーに「飲みに行くぞ」声をかけられ、連れ出されるように会場を出た。そして飲み屋のテレビで“大阪城ホールで暴動”のニュースが流れるのを観た。

舟橋氏から「あんなことになってるけど戻らなくていいのか?」と言われたが、「今から戻っても、もう落ち着いてるからいいよ」とそのままグラスを傾けた。翌日、当時の大会担当営業部員と田中秀和リングアナが城東警察署に出向いて謝罪。猪木vsショータ・チョチョシビリの再戦がおこなわれた1989年5月25日まで約2年間、大阪城ホールが使用できなかった。(つづく)

橋爪哲也

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