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2026-02-22

大仁田厚がアントニオ猪木を超えた! “燃える闘魂”を撮り続けて半世紀“猪木カメラマン”原悦生が選ぶ“関西プロレス事件簿”第1位は日本初のファイアーマッチ【週刊プロレス】 

炎の中で闘う大仁田厚

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2月12日、ABCラジオ「ますだおかだ増田のラジオハンター」にゲスト出演した原悦生カメラマン。同局が配信しているPodcast番組「ますだおかだ増田の関西プロレス事件簿」の番外編として、番組内で原カメラマンがファインダー越しに目の当たりにした関西マットにおける事件をトップ3として挙げてもらった。“猪木カメラマン”として知られる原氏が挙げた第1位は意外な試合だった。(文中敬称略)


<第1位>
・大仁田厚&ターザン後藤組vsザ・シーク&サブゥ組
 (1992年5月6日、兵庫・三田市ニチイ駐車場特設リング)

1990年代に突入するまでは、日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレス、新旧UWFが主要団体として日本プロレス界の歴史を紡いできた。テレビ局のバックアップがないと団体は運営できないという概念をぶち破ったのが第2次UWFならば、スター選手不在でも団体は存続できることを証明したのが大仁田厚だった。

旗揚げ当初は元全日本の前座レスラー程度の認識でしかなかった大仁田が1989年10月にFMWを旗揚げ。当初は“何が飛び出すかわからない”“おもちゃ箱のようなリング”をうたった。これは老舗である新日本、全日本と同じ路線では生き残れない。また、無名の選手ばかりで格闘技路線を進んでもUWFに太刀打ちできないことからの策。

結果、海外武者修行時代に見たテキサスマットにヒントを得て、デスマッチ路線を開拓。翌1990年8月の電流爆破マッチを機にデスマッチ路線を確立してスターにのし上がると、“大仁田にできるのなら……”と次々とインディー団体が誕生していった。そのなかでFMWと同じデスマッチ路線で対抗したのがW★INGプロモーションだった。

FMWのフロントだった茨城清志氏が大仁田との意見が合わず独立した形で旗揚げされたW★ING。当初は少し形を変えて旗揚げ当時のFMWのコンセプトを打ち出したが、大仁田のワンマン体制に不満を募らせてFMWを離脱した選手が合流するなど、次第にデスマッチ路線に移行。互いに意識する存在となっていったが、FMWの人気には及ばなかった。

電流爆破マッチを上回るデスマッチで逆転を狙ったW★INGは1992年春先に、夏に日本初のファイアーマッチを開催すると発表した。これに危機感を抱いたのが大仁田だった。デスマッチ団体の先駆者として先を越されてはならないと、現行のシリーズ中の屋外会場の大会のカードを変更して緊急開催に踏み切った。

ロープのかわりに長さ約1.5メートルの角材に布を巻いて灯油を染み込ませたトーチをトップに2本、セカンドに1本をつけた有刺鉄線を四方に張った。4選手がリングに揃った瞬間、どちらからともなく殴りかかり、それを合図にトーチに点火。最初は火の勢いもそれほどでなく、セコンドを務めていたサンボ浅子や若手が「大丈夫かな?」と不安視していたが、瞬く間に大きな火柱が立ち上がった。

あまりの熱さに、リングサイドで観戦していた観客が避難するほど。若手はリングが燃えてしまうのではないかと、予防策としてエプロンに水を巻いた。しかし想定外に強い炎に熱せられてすぐに水蒸気となる。それによってリング内は酸欠状態となった。

3メートル先で燃えさかる炎。息をすると熱せられた空気を吸い込んでしまう。とても試合どころではない。サブゥが機転を利かせてトーチが設置されていたないサード有刺鉄線の下を滑り抜けて避難。それを合図に大仁田とターザン後藤、ザ・シーク、伊藤豪レフェリーもリング下へ逃げ延びた。

その後も4選手は場外乱闘を繰り広げたが、とても試合を続けられる状態でなく、わずか4分31秒、ノーコンテストが告げられた。うち3分の2はリング下での乱闘だったわけで、わずか1分半ほどであれほどまでに炎の威力が増すのか……と恐怖を突きつけられた。
 
ちなみにノーコンテストなったのは「火災の危険があるため」と、とてもプロレスの試合とは思えぬ理由だったが、事件はこのあとにも待ち受けていた。

会場となったニチイ駐車場には木造アパートが隣接していた。試合開始当初は「ウチの裏でプロレスをしてるのか」程度に思っていたことだろう。すっかり日が落ちて暗くなったと思っていたら、なにやら騒がしくなった。窓を開けて見ると、大きな炎が立ち込めている。その周りを大勢が取り囲み大騒動になっているのだから、さぞかしビックリしたことだろう。そして住人の1人が「オマエら、オレの家を燃やす気か!」と怒鳴り込んできたという。

関西での事件とはいえ、アントニオ猪木を半世紀以上撮り続けてきた原悦生カメラマンが猪木の試合でなく大仁田の試合を1位に挙げた。“涙のカリスマ”が“燃える闘魂”を超えた瞬間でもある。それもあって猪木は、大仁田の執ような対戦要求を無視し続けたのかもしれない。(おわり)

橋爪哲也

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