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2022-07-07

「格闘技の祭典」で大仁田厚と歴史的な異種格闘技戦…青柳政司さん伝説(4)プロレス参戦【週刊プロレス】

1989年7月の大仁田厚vs青柳政司さん

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7月6日、空手家でプロレスラーの青柳政司さんが永眠。享年65。青柳さんは「誠心会館」の館長であり、生前は「青柳館長」の呼び名で親しまれた。1989年10月、FMW旗揚げ時に大仁田厚と抗争を繰り広げ、そこからプロレス界に本格参戦。新日本、NOAH、プロレスリング・マスターズで活躍してきた。

青柳さんのご冥福をお祈りして、生前の2014年に週刊プロレスで語っていた半生を紹介。第4回目はプロレスデビューについて。

        ◎

青柳の名声は空手界に広まり、梶原一騎原作の劇画「四角いジャングル」にも「愛知に強豪がいる」と描かれた。そんな中でプロレス参戦の話がやってくる。士道館の大会に出場した際に真樹日佐夫さんから「プロレスラーになりたかったらしいけど、プロレスラーと闘うことはできるよ」と「格闘技の祭典」へのオファーをもらったのである。

31歳の青柳は1989年7月2日、後楽園ホールでおこなわれた「’89格闘技の祭典」のメインイベントで大仁田厚と初めて日本人同士による異種格闘技戦で対戦。空手家ながらも胸にしまい込んだプロレスラーへのあこがれは、せきを切るようにあふれ出てきた。

「すごく興奮しましたよ。格闘技の祭典は空手のイベントだから、空手のお客さんばかりで9割以上はボクの応援。大仁田のセコンドに今の邪道、外道、(スペル・デルフィン)がいて、少しプロレスファンも会場にいたけどね。ボクのセコンドには佐竹(雅昭)とか角田(信朗)とか空手のチャンピオンクラスがいっぱいいた。あれは壮絶なケンカ。もうグチャグチャでガンガン殴り合いましたよ。それがきっかけでFMW旗揚げにつながっていくわけです」

試合で青柳は大仁田のイス殴打を食らい、頭突きで額を割られた。観客だけでなく、両セコンド陣もヒートアップ。異様な熱狂空間を生み出してプロレス史の1ページになった。

その後も大仁田とは2回対戦。壮絶な死闘を繰り広げ、青柳は「プロレスラーは強いと思ってたから、ボクの蹴りで倒せること自体が快感でこれだ!と思いました」と手応えをつかむも、その一方で満足してしまった。ちょうどFMWがデスマッチ路線へ舵を切ったこともあり、弟子の松永光弘を送り出し、自身はプロレスのリングからは一歩引く。

しかし、時代は青柳を放っておかなかった。剛竜馬からのオファーを受け、パイオニア戦志に参戦することになったのだ。

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