大学生の2026-2027シーズンが、もうすぐ始まろうとしている。2025-2026のインカレで中央大学が2年連続5回目の頂点に立っているが、今回はその時のキャプテン・FWの角丸陸斗(かくまる・りくと、4年)に、最後のインカレについて振り返ってもらった。インカレ前に味わった、2つの負け。 その経験が最後の優勝につながった。 ――まずは、秋の関東大学リーグ戦について伺いたいと思います。春の秩父宮杯は、逆転優勝。中央は「大学3冠」を目指していましたが、秋は2位で終えています。
角丸 リーグ戦では自分がケガをしてしまったというのもあるし、10月の終わりから11月の下旬まで、正GKの川合温大(かわい・はると、4年)が教育実習で抜けたのもあったんです。温大は夏の間に教育実習に行けずに、秋に行くことになったんですよ。それとチームにインフルエンザがはやっていて、全員揃って試合で戦うことができなかった。それでもファーストリーグ、セカンドリーグとなんとか食らいついていって、ファイナルリーグを迎えたんです。11月15日の東洋戦にオーバータイムで勝って、優勝まで「あと2勝」。ところが翌日の11月16日に、法政に2-4で負けてしまったんです。法政との負けが響いて、結果的に優勝がなくなってしまった。リーグ戦は人がいない中でもいい戦いができて、でも、勝ちきることができなかった。僕としても、悔いが残った戦いになりました。
――法政戦はファーストリーグ、セカンドリーグともに中央が連勝しましたが、セカンドリーグでは、1ピリに法政が4-0とリードする場面がありました。結局、その試合は中央が5-4と逆転勝ちするのですが、法政とすれば「次、試合したら勝てるんじゃね?」という気持ちがあったと思います。
角丸 確かに法政には勢いもありましたし、GKの和田怜穏(わだ・れおん、2年)君も当たっていて、ウチは思うようなホッケーができていなかったんです。アンラッキーな失点があって、2ピリまで0-2で終えてしまった。チームにだんだん焦りが出てきて、ああいう結果になってしまったんです。
――法政戦のあと、チームでミーティングが行われたと思います。どんな話し合いがあったのでしょう。
角丸 長いリーグ戦の中で、負けてしまったことはもう仕方がない。法政戦で敗れたことで、限りなく優勝の可能性が薄くなってしまったのですが、リーグ戦はあと1試合、明治戦が残っているわけです。公式戦には「負けてもいい試合」はないし、最後の明治戦は、インカレにつなぐ意味でも勝たないといけない。そう言いました。
――法政戦の負けから、中2週間あけて明治戦を迎えました。結果は4-3で60分勝ち。東洋に続いて明治にも勝って、リーグ戦を終えることができました。
角丸 誰かが欠けても戦える、勝つことができる。この経験はチームにとって、大きかったと思うんです。目標だった優勝はできなかったんですが、それぞれが成長してくれた。それが、インカレの戦いにつながったのは間違いないです。
――そして大学日本一を決めるインカレを迎えた…と言いたいところですが、その前に、全日本選手権が長野のビッグハットで行われました。中央は1回戦で釧路厚生社と当たって、4-6で敗れています。
角丸 正直、負けるとは思っていませんでした。さすがに「このままインカレに進むのはよくないな」と。
――あの試合は、2ピリを終えた時点で3-3。3ピリは立ち上がりに失点して、中央は「乗り切れない」印象がありました。トーナメントではありがちなことですが、1回戦よりも、次の2回戦(勝てばレッドイーグルス北海道との対戦が決まっていた)に神経がいっていたのかな、と。
角丸 厚生社さんに負けてしまった後に5~6時間、ミーティングをしたんです。思えばシーズンを通じて、試合ではさほど負けてはいなかった。実際、メンバー全員がそろった時には全部勝っているんです。「まあ、勝てるっしょ」みたいな気持ちが、心のどこかにあった。どのチームが相手でも「試合に貪欲にならないといけない」のに、それを忘れていたんです。試合内容でいうと、ターンオーバーの多さ、Dゾーンでのプレーをチーム全体で統一できていないところとか、練習の細かい部分をもう一回、やり直す必要があった。インカレ前の練習メニューに、いっそう真剣みが増したと思います。
秋のリーグ戦では、ケガで欠場する期間もあった角丸。インカレでは計6ゴール8アシスト、5試合すべてにポイントに絡む活躍を見せている準々決勝でチームを終わらせられない。それを乗り越えて「決勝は楽しかった」――大会2連覇を目指してインカレが始まりました。1回戦は福岡に28-0。2回戦は同志社に9-0。「アフター厚生社」の意識の強さが感じられて、両試合ともに「失点ゼロ」で抑えました。
角丸 特に2回戦の同志社戦から、セットが固まってしっかり戦えた感じがします。チームが完封勝ちした記憶が僕にはそんなになくて、でも、それが2試合続けて完封で終えることができた。気を抜かずに最後の最後まで、試合に勝ち切れたんです。
――準々決勝では、関東リーグ戦王者の東洋とぶつかりました。
角丸 東洋戦は「大一番」だとは思っていましたが、「これが事実上の決勝戦だ」とは思っていなかったんです。明治も、東洋と同じくらい力のある相手だと思っていましたから。ただ、矛盾するようですが、「この東洋戦に勝つために1年間やってきたんだ」というマインドは持っていました。
――試合の立ち上がりに東洋に先制され、しかし3分に角丸選手が同点のスコア。結局、60分を終わって2-2の同点でした。
角丸 あの日は、試合前のアップの時から気持ちが入っていて、負ける気はしなかったんです。ですが、僕とセンターの関椋太(せき・りょうた、1年)が、3ピリ後半から両足がつっていて、全然動けなかった。内心、「これ、延長になったらまずいよな」と思っていたんです。
――59分に相手がリンクの外へパックを出したことで、オーバータイムは(GKを除いて)中央の4人対3人になりました。
角丸 延長での4人対3人は、言ってみればたいてい「入る」んです。NHLを見ていても、4人対3人は得点が入るシーンが多いですからね。あの場面は、1年生の中谷采士郎(なかや・さいしろう、FW)が決めてくれましたが、安心して見ていられたと思います。
――準決勝は大東文化に7-2。決勝は、2年続けて明治が相手でした。決勝は32分に2-2に追い付いたあと、中央はその8秒後にDF高崎泰成(たかさき・たいせい、3年)が3点目を決めました。
角丸 2点目のアシストは僕だったんですが、盛り上がりは最高潮でした。とはいえ、その8秒後に3点目が入るとは思ってなかったので、水を飲みながら他の選手と話をしていたんです。高崎本人は「ダンプしてキーパーに当てようというつもりで打った」と言っていたんですが。
――39分にFWの横須賀大夢(よこすか・だいむ、4年)が4点目を入れました。2点リードで最終ピリオドを迎えることになります。
角丸 それでも、「これでいける」という気持ちはなかったです。勝ちを意識したのは、3ピリの45分に1点差に詰められて、49分からのPKを守った直後から。流れからいって「いけそうだな」と思ったんです。でも、そうなる以前から、そのとき、そのときに全力集中でした。
――まさに「試合に貪欲だった」と。
角丸 はい。でも、決勝は本当の意味で楽しかったんです。2日前に準々決勝で東洋と当たって、「前年度の優勝チーム(中央)をここで終わらせるわけにはいかない。ベスト8で敗退させられない」という、キャプテンとしてのプレッシャーを感じていました。そして準々決勝を乗り越えられることができて、あとは「楽しい」感情のほかに、僕には残っていなかったんです。本当に、いつまでもプレーしていたかった。足がつらない限りは…なんですが(笑)。
――59分に、中谷選手がエンプティを決めて5-3。そのまま「優勝決定」のブザーを聞きました。
角丸 3年生のインカレで、生まれて初めて全国優勝をして、「1年後にまた、こういう景色を見たい」という気持ちで1年間やってきました。安堵したというよりも、感情が爆発しそうな、そういう気持ちでした。
――最終学年で、キャプテンとしてインカレに優勝できた。完全燃焼したんですね。
角丸 いやあ、でも秋に優勝を逃がしてますからね…。そこだけが若干、心残りかな。
――リーグ戦はファイナルリーグの法政戦で負けて…。でも、それを糧に、インカレを獲ったともいえます。
角丸 そうですよね。法政との敗戦は、それだけ価値のある経験だったと思います。終わりよければ…じゃないですけど、結局、インカレを獲った大学が「王者」の称号を与えられる。そういう意味では、これでよかったんだと思います。それに、いま思い返せば…なんですけど、インカレの前に厚生社さんに負けてよかった。あそこで負けていたからこそ、その反省を生かしてインカレの戦いに臨むことができた。あれがなかったら、インカレも「普通」な感じで大会に入ってしまって、また違う結果になっていたんじゃないかと思います。
僕はもともと、中央大学は第一志望じゃなかったんです。でも、縁があって中央大学に入れていただいて、4年生ではキャプテンとして優勝させていただいた。1年生から試合に出してもらって、2年目まではチームの結果が出なかったんですけど、個人の努力と、チームとして何か変化を起こそうと思っていたことが形になって、結果を出せた。これは本当によかったと思うんです。大学のアイスホッケーは、ひたすら楽しかった。思い残すことは、1個もないんです。
角丸陸斗 かくまる・りくと中央大学国際経営学部4年・FW。背番号「81」。体育会スケート部アイスホッケー部門の2025-2026シーズン主将。2004年2月18日生まれ、神奈川県川崎市出身。ドイツのハイデルベルクに住んでいた5歳の時にアイスホッケーを始め、帰国後は新横浜ジュニアでプレー。三田国際学園中から北海道・苫小牧東高に渡り、中央大学に進む。最終学年は春の秩父宮杯、12月のインカレで優勝を果たし、ともに大会MVP。このオフは卒業旅行へ出かけており、「1月は同期とグランピング(豪華なキャンピング)。2月後半には、部員と3人でヨーロッパを回ってきました」。春から一般企業に就職予定で、アジアリーグでのプレーも内定している。