アメリカンフットボールの世界最高峰、NFLを50年以上にわたり撮影してきた写真家のタック牧田(牧田隆)さんが亡くなった。93歳。3月30日、アメリカンフットボール・マガジン編集部に連絡が入った。
1966年からニューヨーク・ジェッツのフォトグラファーとなり、スーパーボウルは第4回、第5回を除いて50年以上撮影した。写真に加え、辛辣ながら愛のある、現場の空気感を伝える記事やコラム、著書が、40年以上にわたり、日本のファンの支持を得ていた。
2022年8月に刊行の「NFL 2022 カラー写真名鑑 」に掲載された「老兵は死なず」が、公的には最後のコラムとなった。
牧田さんは、1932年10月、米国ワシントン州シアトルで生まれた。両親は日本人で移民1世。第2次大戦前に日本に帰国し、神戸で暮らした。
「第二次大戦前に日本と連合国との合意があって、交換船というのがあって、在日の連合国人と在米日本人を政治的配慮で同数交換したのですね」関西学院大学に進み、ファイターズでアメリカンフットボール部でRBをプレーした。1953年、54年に甲子園ボウルを連覇したチームの一員だ。牧田さんが大学3、4年だった。
「私は、二年生の時に四年生に中型戦車タイプの上級生がいて,三年生では重戦車の四年生がいて,私が四年生になってRBが弱体化したとせめられました。卒業後30年ほどたって,『私は、生まれた時からジェット戦闘機だった。ジェット戦闘機をそのまま戦車のかわりに使って、弱くなったといわれても私の知るところではない。ジェット戦闘機にはジェット戦闘機の使い方がある。その作戦を考えられなかった指導者の落ち度である』と雑誌(TOUCHDOWN誌)に書きましたが、馬の耳に念仏。私の主張など通りませんでしたね」卒業後、1961年に再び米国へ。アメリカンフットボールの競技写真撮影を志し、当初は観客席の最前列から撮影をした。1950年代のセッティングしてポーズした選手の写真が、試合中の実際のプレーを写すものへと変わる時代だった。食事を1日1度にして、高額な超望遠レンズを購入したという。
その写真が認めらて、1966年からは新興リーグAFL(アメリカンフットボールリーグ)ニューヨーク・ジェッツのフォトグラファーとして、サイドラインで撮影するようになった。
後にスーパーボウルと呼ばれるようになる、NFL-AFL選手権は第1回から取材した。第3回のボルティモア・コルツ対ニューヨーク・ジェッツの1戦は、ジェッツのQBジョー・ネーマスの記者会見における有名な「ギャランティー発言」、そして劇的なアップセット勝利も撮影した。
「私が高揚した唯一のスーパーボウル・ゲームは、ジェッツ(旧AFL)16-7コルツ(旧NFL)だけであると再び思う。これは、当時AFL側にいて、泣く思いを経験したものでないとわからない。旧NFL側は、監督、プレイヤーはむろん、単なるファンでもAFL側の人間をマイナー・リーガーとして嘲笑し続けていた。第1回、第2回のパッカーズの圧勝がこれを証明したことになっていた」ジェッツの勝利は、米国スポーツ史上屈指の大番狂わせと今でも言われる。勝利の瞬間、AFLのラマー・ハント会長とジェッツのウィーブ・ユーバンク監督は、サイドラインで狂喜した。ユーバンク監督は興奮のあまり、牧田さんにまで抱きついて男泣きしたという。
この試合が転機となった。翌年の第4回NFL-AFL選手権から、試合はスーパーボウルという名称に変わった。
真の王者を決める戦いとして注目度がアップしたため、余波として、牧田さんは第4回、第5回スーパーボウルは取材できなかった。全米から取材申請が殺到したために取材枠が足りなくなってしまったからだ。
「私は、はみだされたわけです。もちろん日本のメディアは全然NFLには関心がなかった」「『フットボールはアメリカのスポーツである。日本人にわかるとは思えないし、わかってもらえなくてもいい』これは当時のNFLの報道部長に面談ではっきりいわれた言葉です。私は何も腹をたててはいません」1970年代は、猛然と写真を撮った。レギュラーシーズンだけで30数試合を撮影した年もあったという。13時開始のゲーム撮影を途中で切り上げ、16時開始のゲームに移動する。移動は航空機(定期便)を使うこともあった。
私生活では結婚、離婚を経験。
それでもNFLゲームの撮影からは離れることはなかった。2000年代に入って、撮影機材の一眼レフカメラも、銀塩フィルムからデジタルに変わった。牧田さんは70代になっていたが、フィルムカメラに拘りはなく、デジタルに乗り換えた。
「ナイトゲームを絞りf8、シャッター速度1/1000秒で写せる時代が来るとは予想もできませんでした」=2014年のシーズン前。
2014年の10月、82歳の時に、心臓の病気で倒れ、入院を余儀なくされた。
「入院中の10月5日のゲームは休みました。予定したゲームを休んだのは49年めではじめてでした。10月10日に退院し、12日から毎週ゲームを写しました」2015年2月のスーパーボウル後には、こんな意気込みを聞かせてくれた。
「ともかく次のシーズンはフル・パワーでやり抜くつもりです」 ◆
2021年を最後に撮影から引退した。
「ただ消え去るのみ・・・の時期が来た。左眼が失明し、カメラマン引退を決意しました」「読者諸賢、お別れです。長い年月ありがとうございました。消え去る時期がきました。An old soldier never dies,he just fades away」=NFL 2022 カラー写真名鑑 に掲載された「老兵は死なず」から
2026年3月末永眠。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
タック牧田語録
2014年8月のジャイアンツvsペイトリオッツ戦でタック牧田さん撮影。プレシーズン戦でのベストショットという牧田さんは2014年シーズンに向け手ごたえを感じていた。「うめく選手、飛び交う怒号、激突するヘルメットとプロテクター。それをサイドラインから見聞きしないといられない性分です。私はもう何年もフットボールを観客席から見たことがないのです」「私は、カレッジ・スターを無視する。新人を買わない…といわれます。実力主義なもんで……」ーー第40回スーパーボウル、スティーラーズvsシーホークス戦を前に
「公式戦終盤から登り坂で,プレイオフ、チャンピオンシップにも負傷者がでなかったスティーラーズが勝つものとみています」「負ける筈のティームが勝つからフットボールはおもしろい。スティーラーズが負けるゲームになれば,いいゲームになるでしょう」ーー2014年シーズン前に
「この年になって進歩するのが嬉しくて、毎週やるつもりです。何とか体力はあるようです」「まったくどうでもいいことでずが、私が使う(撮影)器具は17kgです。計算しましたが、私が公式戦ゲームで動くのは,1ゲーム平均10kmとでました」ーー空港やスタジアムで、フォトグラファーに対する、より厳しい質問や検査について。
「人間には、誰かが自分より劣ると思いたい本能があるのではないですか」ーーなぜ日本人のNFL選手が出ないのか、との問いに。
「プロ野球に比べ、フットボールはまだまだ日米の差があまりに大きい」「現在のところ,日本のフットボールは学校にせよ,クラブティームにせよ、同好者が集まる宿命ですね。聖徳太子の「和をもって尊しとする」で纏め易いものがありますね。「競合による進歩」から産まれるティーム・ワークと違うのですね」「フットボールは、各ポジションごとに、そしてディフェンスとオフェンスと、練習時には敵であるはずです。全員が総力を出してからそののちに来るものがティーム・ワークなのではないですか」「日本のフットボール界のなかでは進歩していると見ます。あたりまえのことです。ですが、アメリカのフットボールもNFLのフットボールも年々進歩しています。格差はむしろ広がっていると思います」「メディアとして、日本のフットボールとアメリカのフットボールを見て、その差が判らないのかと苛立ちますね。見たら判ることではないですか」ーーフォトグラファーとして。
「『オレは写されるのが嫌いで写真家になったのか』と思う時があります。劣等感かな。大きなツラして生きているのにね」「50年、むだな努力だったのかどうか判りません。周囲をみても因果な職業だとは思いますが、自分にとっては、おもしろい半世紀でした」ーー金稼ぎの仕事について。
「身すぎ,世すぎとわりきって,魂をぶち込む対象をもてばいいじゃないですか」ーー「どうぞ、良い写真を」との声掛けに。
「はい。淡々とあるがままに……。ではまた……」