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2026-07-03

後世の日本マット史に「物議を醸した」超大物新人・谷津嘉章のデビュー戦【プロレス史あの日、あの時1981年6月24日/週刊プロレス】

谷津嘉章のデビュー戦を報じた「プロレス」1981年8月号(週刊プロレスmobileプレミアムで配信中)

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1981年6月24日
蔵前三大スーパーファイト◎アントニオ猪木&谷津嘉章vsスタン・ハンセン&アブドーラ・ザ・ブッチャー@蔵前国技館

本稿のワンナイト特別興行は、5月下旬の発表段階ではアントニオ猪木とダスティ・ローデスがドリーム・タッグを結成し、スタン・ハンセンとタイガー・ジェット・シンの凶悪コンビと対戦することが発表された。ところが、6月中旬にシンが全日本に引き抜かれてドタキャン(7月3日から移籍)。さらに、ローデスが6月21日にアトランタでハーリー・レイスを破りNWA世界ヘビー級王者となったことで来日不能となったため、急遽、猪木のパートナーが谷津嘉章になり、ハンセンのパートナーがブッチャーに変更となった。

アメリカで武者修行中だった谷津にとっては、いきなり日本デビュー戦という大舞台。前年12月29日にMSGでホセ・エストラーダを破りデビュー戦を飾っており(元旦の夜に録画放送)、この日も90分特番の生中継。谷津からすると「マジですか? 勘弁してくださいよ」という心境で、過去にアマレス・ヘビー級からオリンピック出場を経て転向してきたマサ斎藤、ジャンボ鶴田、長州力の何倍もプレッシャーをかけられる形でのデビュー戦となった。

1本目のスタートでハンセンを肩車で投げ、ドロップキック2連発で先手を取ったが、そのあとはハンセンのエルボー攻撃で守勢一方。ブッチャーの凶器で額を大きく割られて悶絶したあと、ハンセンのラリアットを浴びて1本目を失った(9分6秒)。2本目もブッチャーの暴走で反撃の隙を与えられずに反則勝ち(38秒)。3本目は猪木がビール瓶を持ち出して反則負けになったが(1分16秒)、ダメージの大きい谷津は最後まで戦意喪失を余儀なくされ、本人いわく「最悪のデビュー戦」となった。

後年、これは「猪木が谷津に与えた愛のムチ」、「プロの洗礼」みたいな解釈がされたが、アマレスで頂点を極めた超・逸材をデビューさせる舞台としては、明らかに失敗だったと思う。全日本から引き抜いたブッチャーの(新日本における)初戦だったから、ブッチャーを売り出したい意図はわかる。かといって、わざわざ相手として谷津を起用し、凶器地獄で「潰す」必要は全くなかった。「センスのない最悪マッチメイク」と評価するのも酷だが、日本のプロレス史上、稀に見る失敗例だった。

私は2020年の1月に新宿で谷津トークショーの司会をさせてもらったことがあるが、そのときに谷津は「猪木さんが自分をパートナーに起用した理由は、今でもわからないです。試合前も、試合後も、猪木さんからは一言もなかった。あれでよかったのか、悪かったのか、今となっては苦い思い出しかない」と述懐してくれたが、「もう少し、自分でどうにかすべきだった」との悔恨が感じられて気の毒に思った。オリンピックのヘビー級で上位入賞を果たした技術を駆使してブッチャーを転がすことなど「赤子の手をひねる」如き容易な所業だったろうが、谷津は全くグラウンドを選択せずに、ブッチャーのフォーク攻撃を受け続けた。コーナーで見ていた猪木にとっては「満点のやられっぷり」だったかもしれないが、この試合でブッチャーを売り出すのと、谷津を売り出すのとでは、後者のほうが重要であるとは考えなかっただろうか? 45年も前の試合を今更ぶり返しても虚しいだけではあるが、これほど後世に議論、批判を呼んだデビュー戦もほかにはない。本年1・4に完璧なデビュー戦をやってのけたウルフアロンには、この一戦が残した「教訓」が遂に生かされたと感じた。

流 智美

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