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2026-07-05

“こけし”本間朋晃が故郷・山形で引退を発表! 古傷の首の不調で決意【週刊プロレス】

新日本プロレス山形大会のリング上で、自らファンに引退を発表した本間朋晃

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7月4日、新日本プロレス山形大会の第1試合開始前、本間朋晃がリングに登場した。この日の対戦カードに名前がないことから、欠場のあいさつをするのかと思われたが、本間の口から飛び出したのは「引退します」の言葉。その瞬間、会場は驚きの声に包まれた。

最終的に決断を下したのは「レスリングどんたく」を終えたゴールデンウイーク明け。古傷の首の調子が悪くなり、当初は復帰を目指していたものの不安が残り、「プロレスはできるのかできないのかわかんない状態でできるようなものじゃない」「十分なパフォーマンスができない」と判断して引退に踏み切った。

一方で自らファンに伝えたかったことと、故郷であり中心性ケイ髄損傷の重傷から復帰した思い出の地であるビッグウイングでとの強い希望から、この日の発表となった。

引退試合の日時は未定ながら、本間自身、「やっぱり山形のデカイ所でやりたいですね。で、“おお、山形ってこんなプロレスがあるんだ”っていうのを再確認した上で辞めたい。たくさんのお客さんに来ていただきたいですね」と故郷での開催を希望。

「発表したからには、もう引退に向けて突き進むしかないんで。引退に向けて、最高のこけしを披露したいなと思います」と、トレーニングを積んで最高のコンディションを作り上げて臨むことをファンに誓った。

 

<プロフィル>

ほんま・ともあき 本名・同じ。1976年11月18日生まれ、山形県東根市出身。高校2年の時、新日本プロレスの入門テストを受験するも不合格。その後、アニマル浜口トレーニングジムで練習を積んでみちのくプロレスに入門したものの、1週間で逃げ出す。それでもプロレスラーになる夢あきらめられず、大日本プロレスへの入門を果たして1997年5月18日、益子町大会における高橋秀幸戦でデビュー。その後はデスマッチファイターとして活躍するも、2000年10月に退団。そのフリーとして全日本プロレスに参戦。あらためて2002年3月に入団し、宮本和志と「ターメリック」を結成。2003年暮れのアメリカ遠征では、CMパンク&コルト・カバナ組と対戦する。2005年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」をヘルニアにより欠場。2006年5月1日付で退団すると、フリーとしてインディー団体を転戦。2007年2月にG・B・Hの一員として新日本マットに参戦、2009年に正式に入団したものの、2012年3月に契約を解除された。その後、インディー参戦を続けるなか、2013年3月にフリーとして新日本マット復帰。2015年、2016年と真壁刀義とのコンビで「ワールドタッグリーグ」2連覇を果たし、IWGPタッグ王座も獲得する。2017年3月、試合中の負傷により緊急搬送される。中心性ケイ髄損傷と診断されるも、1年3カ月後に2018年6月、故郷・山形のリングで復帰を果たして現在に至る。

 橋爪哲也

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