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2019-06-21

【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・逆鉾伸重編 屈辱こそは勝負の世界における飛躍の秘薬――[その2]

やんちゃで、向こう見ず。自分より輝いている者を見ると、無性にからみたくなる、というのが二男坊の“共通項”と言っていい。

※写真上=昭和56年名古屋場所、兄の鶴ノ富士(当時鶴嶺山、右)とともに十両昇進を果たした逆鉾(左)
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】幼いころから初代若乃花にあこがれ、高校を中退して角界に入門。出世の足取りは順調だったが、怖い者知らずの性格で兄弟子たちのいじめを受け脱走を図る。病で入院している母に会いに行くが、それから3カ月後、最愛の母はこの世を去ってしまう――

自信を打ち砕かれた元学生横綱との対決

 ――へん、何が元学生横綱だい。幕下付け出しの学生さんと違って、こちとらは前相撲から苦労して這い上がってきたんだい。ちゃんこの味のしみ方が違うぜ。

 逆鉾が唇をとがらせたのは、それから3カ月後の秋場所初日の“割り”(取組表)を見たときだった。母の死で、一段と稽古にも実が入るようになった逆鉾は、この場所、早くも幕下に昇進している。初土俵からわずか10場所目。入門1年目で、足を骨折し、2場所も道草を食ってしまったことを割り引くと、目をこすりたくなるようなスピード出世である。

 その記念すべき幕下デビュー戦の相手が、昭和53(1978)年の学生横綱をはじめ、計11個のタイトルを手土産に佐渡ケ嶽部屋に鳴り物入りで入門した、同志社大出身の琴藤沢(初土俵のときの四股名は本名の藤沢。ここでは琴藤沢で統一)だった。この琴藤沢にとっても、この年の春場所に初土俵を踏む予定が、稽古中に右ヒザのじん帯を痛めたために大幅に遅れ、この日が注目のデビューだった。マスコミや、大相撲関係者たちも、このピッカピカのエリート力士がどんな滑り出しを見せるから、固唾を飲んで見つめている。

 そのフィーバーぶりが、ただでさえ旺盛な逆鉾の負けん気をいやが上にもあおったのだ。しかし、相手の琴藤沢は、体重が100キロ足らずの逆鉾よりも50キロ余りも重く、年齢も4つも上。そのうえ、学生時代のキャリアもたっぷりで、まともに行ってはとても逆鉾の勝てる相手でない。

 勝負は、実にあっけなかった。差し身の良さが売り物の逆鉾に対し、琴藤沢は150キロの巨体を生かした出足が武器。立ち合い、逆鉾はこの琴藤沢のぶちかましをモロに受けてしまい、そのまま一気に押し出されたのだ。

 意気込んで土俵に上がっただけに、このときの逆鉾のショックは計り知れなかった。その証拠に、この場所、とうとう立ち直ることができず、2勝5敗と惨敗している。

「当時の実力差じゃ当然の結果だったんですが、全く相撲になりませんでしたからねえ。もう悔しくて、悔しくて。今度会ったら、何が何でも土俵にたたき付けてやる、とホントにその晩は朝まで一睡もせず、布団の中で歯ぎしりしていました」

 と、井筒親方(元関脇逆鉾)はこの15年前の痛恨の1敗を振り返る。

母が亡くなった直後、三男の寺尾(中央)が入門。右は父で師匠の先代井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)
写真:月刊相撲

2度目の対決を機に甘さと最後の決別

 それから4場所後の55年夏場所11日目、ついに逆鉾が待ちに待った日がやってきた。琴藤沢と、また顔が合ったのだ。初対決のときとは違って、今度は逆鉾も幕下の水に慣れ、それなりの自信もふくらんでいる。

 ――ようし、今度は、目にもの言わせてやるぞ。

 この場所前、逆鉾は、前章で触れたように自分の能力に対する限界を感じて2度目の脱走劇を起こし、父をはじめ、周りからそれこそ寄ってたかってアブラを絞られている。それらの人たちに、やる気を出して頑張っているのを見せたい、という思いも重なって、逆鉾は前日からはやる気持ちをなかなか抑えることができなかった。

 ところが、またしても勝負の女神は逆鉾にソッポを。まるで最初の対決のビデオでも見るように、逆鉾はあっさりと琴藤沢の軍門に屈し、この敗戦が尾を引いて、この場所もまた、負け越してしまった。

「何でなんだ、と、このときは自分の非力さを責めましたよ。あの年の九州場所、琴藤沢さんは右ヒザが悪化して廃業してしまったので、結局、2人の3度目の対戦はありませんでした。もう一度やりたかったですねえ。でも、2連敗したのがかえってよかったのかもしれません。あの後、今度こそは、と稽古にも身が入り、それからなんと8場所連続して勝ち越し、2度目の対決の1年後には十両入りしましたから」

 と井筒親方は苦笑いする。

 屈辱は飛躍の秘薬。逆鉾は、唇をかみ締めて花道を下がりながら、心の隅に巣食っていた土俵に生きる者の甘さと最後の決別をしたのだった。(続)

PROFILE
逆鉾伸重◎本名・福薗好昭。昭和36年6月18日、鹿児島県姶良市出身。井筒部屋。182cm124kg。昭和53年初場所、福薗で初土俵。56年名古屋場所新十両、57年夏場所最十両時に逆鉾に改名。同年九州場所新入幕。幕内通算57場所、392勝447敗16休、最高位関脇。殊勲賞5回、技能賞4回。平成4年秋場所限りで引退し、年寄春日山を襲名。6年4月、実父で師匠の停年に伴い井筒部屋を継承する。横綱鶴竜を育てた。

『VANVAN相撲界』平成6年7月号掲載

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