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2019-06-04

私の“奇跡の一枚” 連載18 長谷川家創業者 呼出し勘太郎

私ども、いわゆるお茶屋の生き甲斐は、土俵上の熱戦に加え、国技館の相撲情緒を十分に味わったお客様が「今日は本当に楽しかった」と笑顔でお帰りになるお姿をお見送りするところにあります。

※写真上=左から露払い・両國、16代木村庄之助、横綱常陸山、呼出し勘太郎、太刀持ち・稲川(明治36年ごろ)
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

お茶屋の心意気

 相撲界を支えているのは力士や親方ばかりではありません。行司、呼出し、床山さんなどの裏方、そしてお客様と直に接している私たちがおります。

 協会とは運命共同体で歩んできた20軒の茶屋は、先人たちの熱い思いを受け継ぎ、それぞれに誇りをもって働いています。血というより心意気の伝統と申せましょうか。

 私ども長谷川家は、明治期の呼出し勘太郎とその妻・ふくが基盤を築き、勘太郎がこの男と見込んだ誠次郎の妻・いとが大正、昭和と受け継いでまいりました。その長男・茂の連れ合いが私で3代目、そのまた長男の太郎の嫁が尚子と4代目として皆さんのお世話をさせていただいているわけでございます。

 女が中心になって働いているお茶屋でございますが、創業者の精神はしっかりと受け継いでいると自負しております。

「行司の神様も絶賛」稀代の呼出し

 勘太郎が素敵な人であったことは、義母・いとから折にふれ聞きました。土俵上の姿、声、動きともかっこよく、『呼び勘』と親しまれ、たっつけ袴の呼び上げ写真がブロマイドにもなったほどだとも。人間的にも非常に穏やかで優しく、それでいて親分肌で、人にも慕われたこと。両国の回向院にある歴代呼出しの霊を祀る太鼓塚もその昔、勘太郎の肝煎りで建てられたとか。

 ここにそんな我が家の応援歌ともいうべき相撲甚句があるので、最後にご紹介させていただきたいと存じます。

 勘太郎の素晴らしさから、店を守ってきた女たちの意地まで謳い込まれており、一読、頑張らなくっちゃ、という気にさせてくれます。私どもが大事にしている常陸山関との写真への思い入れを代弁してくれているようでもあります。

 写真と見比べながら、ふーん、明治に、そんないい呼出しがいたんだと、一瞬でも思っていただければ幸いでございます。

ハアーエー
あっぱれ “呼び勘”
裏方 鑑(かがみ)ヨー
アー 近代相撲の 花咲ける
梅と常陸の黄金期
明治の土俵で 堂々と
相撲ったあまたの名力士
されど忘るな その裏に
稀代の人物 いたことを
相撲の歴史を司る
二十三世<吉田>追風が
絶賛いとわぬ傑物は
上覧<相撲>ならば その昔
「言上行司」「名乗り上げ」
錬成ノドの呼出しで
たっつけ袴も颯爽と
白扇開いた粋姿
「太鼓」に「柝」の音
「呼び上げ」で
人々見せたる『点唱』は
その名 長谷川勘太郎
親分肌の面倒見
太郎や小鉄 弟子育て
先達供養も「太鼓塚」
ふくと開いた相撲茶屋
親子四代 脈々と
我が子誠次郎といと夫婦
茂と節江の鴛鴦に
太郎・尚子と伝え来て
順風満帆 「長谷川家」
これも “呼び勘” ヨーホホイ
アー 遺徳なり ヨー

※『点唱』とは、他人が真似できない勘太郎の素晴らしい喉を称賛するため23世追風が考案した造語

語り部=長谷川節江 長谷川家(国技館サービス15番)店主
写真:月刊相撲

月刊『相撲』平成25年7月号掲載

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