毎年12月、二所ノ関一門では、親方・関取・関係者が揃って、一門の祖・玉錦の墓参り(墨田区本所吾妻橋・清雄寺)を行うのが恒例となっている。
※写真上=若き双葉山の属する立浪部屋へ祝福に出かけた玉錦。負けた自分の悔しさよりも若きホープの成長を願い、喜んだのだ。後列左は元横綱太刀山の老本氏。右は師匠の立浪親方(元小結緑嶋)
写真:月刊相撲
長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。
実は私はその玉錦の息子で、父が昭和13年(1938)12月4日、盲腸炎をこじらせ、現役で不帰の客(34歳)となったときは、まだ満1歳の赤ん坊だった。そんなわけで、正直な話、私には横綱玉錦の記憶はおろか、二所ノ関との二枚鑑札で100人を超す弟子たちを引っ張っていた総帥としての記憶もない。ただ、父の仕事、心の持ちようは、母から話はよく聞き、玉錦という人間の歴史を、今日まで人よりは身近にたどってきた。
私がやや長じてから、父の生き方を見る思いがして一番衝撃を受けた写真はここに挙げた一枚をもって筆頭とする。
若いころの父は稽古熱心だったが、その言動はやんちゃを極めていたようである(あだ名も“ボロ錦”“ケンカ玉”!)。
そのため、大関として3連覇(昭和5~6年)を遂げて玉錦天下を迎え、横綱も不在だったにもかかわらず、小部屋の悲哀もあって、なかなか横綱にさせてもらえなかった。さらに、昭和7年には協会の旧体質に対して関取衆が反旗を翻した天竜事件が起きるなかでも、玉錦は、改革は内側にいて起こすものという心境にあり、残留組の総帥として頑張った。そこでようやく7年10月場所後、第32代横綱に推挙されたという。8年1月場所、消えていた横綱の文字が、2年7場所ぶりに甦った。これらのことで、自分が頂点に立ち続け、横綱として立派な勝ち方を心掛けつつも、部屋を超えて強い後輩をつくらねばと使命感がいっそう強まった。
そこで横綱自らあちこちの部屋に出稽古に赴くようになったという。中でもこれと目をつけたのが双葉山だった。最初立浪部屋に出向いたときにはその用意もなく、気が抜けた印象の稽古場だったが、次回からは双葉山が先頭に立って朝早くから掃除をし、水を撒くなど礼を尽くして迎え入れるようになった。
初めは二人の実力に雲泥の差があったが、双葉山がだんだん強くなると、父の負けん気も燃え盛り、本場所では激しい火花を散らした。
写真は、双葉山に初めて敗れたとき(後世“覇者交代の歴史的一番”と評されるようになった)、玉錦が双葉山初の全勝優勝を祝福に出掛けた昭和11年5月場所千秋楽のスナップである。
「双葉よ、よくやった!」「よくぞ、オレを負かしてくれた」という父の豪快な笑い。テレながら、「本当にありがとうございました。お蔭さんで」と応えている若武者双葉山の純情な表情のなんと清々しいことか。
このときも、まさか玉錦が双葉山の祝福に訪れてくれるなど、誰も予想だにせず、立浪部屋ではあわてて席を整えてこの写真が撮られたという。
しかし、この後父に、双葉山を本場所で倒すチャンスは訪れなかった。神話ともいうべき無敵69連勝の時代に突入したからだ。
それにしてもこの光景、私は本当に素晴らしいと思う。一門意識が強烈だった時代に、何たるサプライズであろう。自分も負けず嫌いのプレーヤーでありながら、相撲界の将来のための後輩育成を自らに課して実行していった玉錦の心中を思うとき、血のつながりを超えて私は、彼に「男だねえ」と声を掛けたくなるのである。
月刊『相撲』平成25年1月号掲載
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