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2026-09-18

「定番相手のタイトル戦」に「マンネリ感」を感じさせないアントニオ猪木、究極の技量【プロレス史あの日、あの時1980年9月11日&25日/週刊プロレス】

猪木が“逆ラリアット”を放った広島でのシンとのNWA戦を報じたプロレス1980年11月号(週刊プロレスmobileプレミアムで配信中)

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1980年9月11日&25日
NWFヘビー級選手権試合◎アントニオ猪木vsスタン・ハンセン@大阪府立体育会館&広島県体育館
 
数年前、ふと「過去に主要タイトルを懸けて最も多く対戦したのは、誰と誰だったか?」と疑問に思って、時間をかけて調べたことがあった。かなりの小都市で開催されたケースは記録として残っていないものも多く、正確には断定できないが、ざっと総括すると以下のリストになる。まずNWA世界ヘビーだが、ハーリー・レイス対リック・フレアーがトップで、これは軽く100回を超える。次にフレアー対ワフー・マクダニエル、フレアー対リッキー・スティムボート、レイス対ダスティ・ローデスが続くが、やはりプロレスラーの絶対数が少なくなってきた1980年代からは(レイス対フレアーのような)「定番カード」が増加してきて、マンネリ気味の乱発だった傾向は否めない。60年代から70年代にかけて黄金カードだったドリー・ファンクJr対ジャック・ブリスコ、同じく50年代から60年代にかけて全米各地で満員の観衆を動員していたルー・テーズ対パット・オコーナーも40回くらい対戦しているが、レイス&フレアー時代のような乱発感はない。AWA世界ヘビーではバーン・ガニア対マッドドッグ・バション、バーン・ガニア対ニック・ボックウィンクルというカードが双璧で、それぞれ約80回。AWAは実質的にガニアのワンマン会社であり、ガニア自身の好みで挑戦者をセレクトできたので、傘下の都市にあわせて絶妙にカードを変えて対応し、マンネリ感を解消していた。WWWF(WWF、現WWE)世界ヘビーだと、ブルーノ・サンマルチノ対ゴリラ・モンスーンというカードが1963年から67年にかけて100回以上やっている(モンスーンがベビーフェースに転向するまで)。当時のWWWFは東部地区一帯のテリトリーだったので、観客の中には「またモンスーンかよ!」という不満の声もあるにはあったと思うのだが、それでも常に満員だったのだから、プロモーター(ビンス・マクマホン・シニア)としては躊躇なし。同じカードで押しまくって常に満員というのが「一番、楽なパターン」であり、無理に新鮮な挑戦者を用意する必要もなかったのだ。

本稿のアントニオ猪木対スタン・ハンセンは、NWFヘビー級王座を懸けての6度目の対戦。このあとも同王座を懸けて3回やっているので、計9回の記録が残っている。この9回を超えているのは唯一、タイガー・ジェット・シン(NWF&UWA)の17回という記録があるが、私の個人的な感想で言えば後半(1980年代に入ってから)の対シン戦は「またかよ!」のマンネリ感が否めず、食傷気味だったと感じる。シンに比較すると、ハンセンは最後(1981年4月23日、蔵前国技館)までマンネリ感が希薄だったが、敢えてシン戦との差を指摘するならば「フィニッシュの意外性」にあった。その典型的な例がこの2週間後、広島でおこなわれた一戦で、なんと猪木がハンセンにカウンターの「逆ラリアット」を見舞うシーンで観客のド肝を抜いた(最後は逆さ押さえ込み)。「絶対に想像もつかないフィニッシュ」を簡単に醸成できるはずもないのだが、そのあたりは猪木が天才と呼ばれた所以だ。冒頭に列挙したアメリカの対戦カードと決定的に違うのは、猪木対シン、猪木対ハンセンのほとんどがテレビ中継されていたことだ。毎回テレビ中継されながら「マンネリを回避する」というのは、並み大抵の技量でクリアーできるものではない。

流 智美

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