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2026-08-21

タイガーマスク引退!「新日本のいちばん長い日」【プロレス史あの日、あの時1983年8月12日/週刊プロレス】

タイガーマスク突然の引退表明を報じた週刊プロレス1983年8月30日号(No.4)。週刊プロレスmobileプレミアムで配信中

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1983年8月12日
初代タイガーマスクがベルト2本と覆面を返上@二子玉川・富士観会館
 
太平洋戦争(最近は“アジア・太平洋戦争”と呼称しなければならないそうだ)を描いた映画は、過去60年の期間にほぼ全部見てきたが、邦画の中で最も評価が高い作品の一つに「日本のいちばん長い日」というのがある。終戦の1945年8月14日から15日の玉音放送(天皇による敗戦報告)に至るまでを詳細に描いたもので、1967年バージョンと2015年バージョンがあるが、共にクオリティの高い傑作だ。日本人だけで4年間に310万人もの死者を出してしまった戦争の責任者である軍部と昭和天皇の相克を、細部にわたり見事に描き出している。私はそれぞれ5回くらい見返したが、いつ見ても新しい発見がある。

その名画の題名を、72年に及ぶ長い日本プロレス史に投影した作品に仕立てあげるとすれば、その日は本稿の1983年8月12日しかない。もちろん、その映画は「日本の」という部分を「新日本の」に置き替える必要があるが、初代タイガーマスク(佐山聡=当時25歳)の突然の引退という大事件を中心に、社長・アントニオ猪木と副社長の坂口征二、腹心の新間寿、本隊の主砲であった藤波辰巳(現・辰爾)と長州力、そしてクーデターによって体制破壊を目論んでいた山本小鉄の思惑が一気に表面化して、それまで3年近くに亘り構築してきた「新日本ブーム」が「音を立てて崩壊した劇的な一日」になってしまった。

佐山が2本のベルト(WWFジュニアとNWAインタージュニア)とタイガーマスクの覆面を山本小鉄に返上する写真が有名だが、当時の東京スポーツと週刊プロレスには「本誌は素顔のタイガーマスクにインタビューしましたが、本人の強い希望により、本名は公表しません」という注釈がある。プロレス・マスコミはこの時点でもまだ、タイガーマスクの正体が佐山聡であることを書かなかった。よく「プロレス村の結束」などと無責任な門外漢の輩が揶揄する場面の一つかもしれないが、このあたりの配慮こそが、プロレス・マスコミの威厳であり、品格でもあった。

タイガーマスクの引退によって、それまで新日本の内部で蓄積されていた不満のマグマが一気に噴き出した。このあと猪木の不在(カルガリーに到着していた)を利用して山本小鉄グループのクーデターが断行され、猪木社長と坂口副社長が降格。新間本部長が退職に追いやられ、8月26日開幕の「ブラディ・ファイト・シリーズ」は大混乱に陥った。

結局は11月にクーデターが鎮圧されて猪木、坂口がツートップに戻り「何事もなかったかのような」平静が装われたが、この8月12日を境に失った威信は余りにも大きく、少なくとも猪木がトップに居座り続けた1989年6月(参議院出馬のためセミリタイヤ)までの期間に、「新日本ブーム」を再燃させることはできていない。

この8月中旬に発覚した新日本の状況については、過去に何冊もの書籍が発売されており、改めて「真相究明」に踏み込む部分は何も残されていないと思う。43年という歳月を経た今思うのは、「ブームの反動が、いかに恐ろしいものか」ということだ。タイガーマスクという天才がもたらした「未曽有の好況」を消化できないまま、浮足だったフロント陣が結束できないまま組織が自爆してしまった。「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」という有名な諺も、ひょっとしたら、この日のために19世紀の先人が考えたものだったか?

流 智美

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