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2026-09-06

前代未聞の放送事故…「ワールドプロレスリング」タイトルマッチ生中継開始直後に乱れた映像【週刊プロレス】

藤波辰巳(当時)vsダイナマイト・キッドのWWFジュニアヘビー級選手権試合

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昭和時代、プロレス放映の大半は生中継だった。プロ野球やサッカーのようにホームスタジアムからの中継なら段取りも一定だが、全国各地の体育館やスポーツ施設を巡業するプロレスでは、中継車の配置や放送コードの設営は会場によって異なるにもかかわらず、大きな混乱が起こらなかった。しかし1度だけ、生中継開始早々に映像が乱れたことがあった。それは1981年4月10日、福岡・北九州市の西日本総合展示場からの「ワールドプロレスリング」生中継での出来事だった。

ちょうど1週間前の1981年4月3日、東京・後楽園ホールで「ビッグファイト・シリーズ第2弾」が開幕した。同シリーズでは新日本プロレスが提唱したベルト統一構想を始動させるにあたって、最終戦となる東京・蔵前国技館での防衛戦を最後にアントニオ猪木が保持していたNWFヘビー級王座が封印されることが一番の話題だった。

そのためシリーズ中盤から後半には、ボブ・バックランド、スタン・ハンセンが特別参加して、NWFに連続挑戦するタイトルマッチが組まれていた(バックランドがスケジュールの都合で緊急帰国したため、猪木vsハンセンの2連続タイトル戦に変更された)。

開幕2週目の生中継の舞台となったのが西日本総合展示場。同会場は国鉄(当時)小倉駅北側に広がる浅野地区に1977年5月に開業した見本市会場。駅から徒歩5分ほどで、駐車場を挟んで海に面した施設である。

現在は隣接した米町小学校跡地を中心に、新館として北九州メッセ、AIM(アジア太平洋インポートマート)ビル、北九州国際会議場、北九州スタジアム(ミクニワールドスタジアム北九州)が建設されている。プロレスでは開館当初から使用され、小倉北体育館と並んで北九州の常打ち会場だった。

会場に隣接する駐車場。そして、その向こうに広がる海。中継車から電波を飛ばすにあたって、遮るものはない。

1981年4月の「ビッグファイト・シリーズ第2弾」といえば、初代タイガーマスクがデビューする直前。TV生中継開始直後には、藤波辰巳(当時)vsダイナマイト・キッドのWWFジュニアヘビー級選手権試合が組まれていた。この一戦の実況担当は保坂正紀アナ。山本小鉄が解説を務める。実況席の紹介を終えてゴングが鳴ってリング上の展開を追っていたところ突然、お茶の間の画像が乱れた。

実は会場のすぐそばに小倉港が広がっており、当時は四国、神戸を結ぶフェリーが発着していた。生中継開始に出港。離岸してまだスピードが上がる前、中継車が飛ばしている電波を遮ってしまったのだ。

放送前のテストの段階では問題なかった。中継時間中にフェリーが出港するとは思っておらず、まさかの放送事故が起こってしまったわけだ。

とはいえ、定期運航のフェリーが相手とあっては中継スタッフが問題を解決できるわけない。数分後、フェリーは港を離れたことで、ようやく問題なく映像が届けられることになった。

ちなみにタイトルマッチは18分37秒、藤波がアルゼンチン・バックブリーカーで爆弾小僧をギブアップさせて21度目の防衛に成功。その後、前年暮れにMSG(マディソン・スクウェア・ガーデン)でプロデビューを果たした谷津嘉章の海外武者修行中の試合を紹介。メインでは翌週の生中継でNWF王座をかけて激突する猪木とバックランドの前哨戦(猪木&長州力組vsバックランド&リック・マグロー組)をオンエアして生中継は終了した。

現在は全国各地から生配信されることも多いが、インターネット回線を使ってのもの。地上波での生中継も地方会場からも常打ち会場からとあって、中継マニュアルが出来上がっていることから、このようなアクシデントは起こることは考えにくい。

逆に考えれば、あれだけ毎週のように生中継しておきながら、よく放送事故が起こらなかったものだ。
 
橋爪哲也

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