果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
※昭和43年春場所、平幕優勝を決め浪速の街をパレードする若浪(旗手は同部屋の戸田、のち羽黒岩)
写真:月刊相撲
【前回のあらすじ】軽量でありながら、相手を抜き上げ振り回さないと気がすまない取り口が災いし、十両2場所目に足首複雑骨折の大ケガを負った若浪。力士生命の危機から脱すると、大横綱大鵬を吊り上げることに目標を定めたが、とうとう一度も倒すことはできなかったーー
チャンスはどんな人間にも巡ってくる。問題は、それをつかみとる勇気と根性を持っているか、どうかだ。
若浪にとてつもないチャンスが転がりこんできたのは、昭和43年(1968)春場所のことだった。このときの若浪の地位は東前頭8枚目。とても大きなことを言えるような番付ではない。
ところが、3日目に栃東、8日目に禊鳳に敗れ、前半で2敗を喫したにもかかわらず、上位陣は総崩れし、終盤、この平幕の若浪が優勝争いのダークホースに躍り出てしまったのだ。
「毎晩、一升飲む」
これが十両のときから若浪が欠かさず続けている場所中の大事な日課のひとつだった。
負けた日の酒は心の傷を癒やし、明日の闘志をかきたててくれるし、勝った日の酒は喜びを二倍、三倍にもする。この場所の若浪の酒の味は、いつにも増してうまかった。信じられないように体がよく動き、面白いように白星が積み重なっていくのだ。
「神がかり的、というのは、ああいう状態を言うんだろうなあ。いつもの場所だったら、とっくに負けているような相撲でも、逆転しちゃうんですよ。13日目の関脇前の山(のち大関)戦なんか、完全にそう。攻め込まれて、攻め込まれて、どうしようもないところから引っくり返したんですから」
と玉垣親方。
しかし、奇跡も何度も重なると、だんだん落ち着いていられなくなる。大詰め、いよいよ優勝争いが北の富士、豊山、麒麟児ら数人にしぼられてくると、若浪の晩酌の量が一升から一升半に5割アップした。
若浪は、それまで自分の心臓の大きさに自信を持っていた。誰もが一番プレッシャーを感じるという十両昇進と、幕下優勝がかかった36年初場所の終盤も、酒を一杯、グッと引っ掛けて横になり、目を覚ますと、いつも朝だった。
ところが、さすがにこのときはいけない。酒を飲むには、時間つぶしをやっているようなもので、いくら飲んでも全然眠れないのだ。若浪は、小心な自分を発見して、あきれ返る思いだった。
14日目を終わって大関豊山、小結麒麟児、それに平幕若浪の3人が横一線。千秋楽は、もうまわりにいつもの強気ポーズをとる余裕もなくなっていた。
「まず自分が海乃山に勝ちましてね。てっきり優勝決定戦になるかと思っていましたから、自分の開け荷のところでうつ伏せになって、みんなの取組が終わるのを待っていたんですよ。テレビはガンガン放送していましたけど、そんなもの、見る元気なんてあるもんですか。ところが、二人(豊山、麒麟児)がまるで申し合わせたようにバタッバタッと相次いて負けてしまって、あっという間に自分の優勝が決まってしまったんですよ。でも、こっちはうつ伏せになっていて、そんなこと、ちっとも知らないものですから、付け人が知らせてくれたとき、冗談を言っている、と思いました」
と玉垣親方。最後までツキまくった優勝だった。
しかし、一世一代のチャンスをものにした喜びはひとしお。若浪が賜盃を持って部屋に凱旋すると師匠の立浪親方(元横綱羽黒山)が、まさかこんなことになると思いもしなかったものだから、空の四斗樽に一升瓶の酒を何本もつぎ込んでつくった即席の祝い樽を用意して、玄関で待っていた。
その酒のなんとうまかったこと。
「なるほど、これが優勝の味か」
と若浪はこの二日間の睡眠不足も忘れて、ひたすらむさぼり飲んだ。
若浪はそれから4年後の昭和47年春場所限りで引退し、年寄「玉垣」を襲名した。最高位小結。その後、審判委員を経て、平成2年2月から監事に昇格し、協会運営の異能ぶりを発揮した。(終。次回からは横綱・北勝海編です)
PROFILE
若浪順◎本名・冨山順。昭和16年(1941)3月1日生まれ。茨城県坂東市出身。立浪部屋。178㎝103㎏。昭和32年春場所初土俵、36年春場所新十両、38年夏場所新入幕。43年春場所、平幕優勝。幕内通算52場所、351勝429敗。優勝1回、敢闘賞2回、技能賞2回。最高位は小結。47年春場所限りで引退。年寄大鳴戸から玉垣として、平成18年(2006)2月に停年、翌19年4月16日死去、享年66歳。
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