
【前回のあらすじ】「幕下全敗」という屈辱を乗り越えて十両、そして幕内へ昇進した栃東は、持ち前の技能で三賞の常連へと飛躍を遂げていった。しかし、新関脇に昇進した昭和45年春場所に、突如、原因不明の発熱と悪寒に襲われる――
「最初は、背中のあたりが妙にかゆいなあ、といった程度だったんですよ。それがいつまでも疲れが抜けなかったり、食欲がなくなったりとドンドン症状がひどくなって、そのうち黄疸は出るわ、体重も113キロあったのが、あっという間に90キロまで落ちるわ。余りにも短時間にいろんなことが起こったので、自分でも何が何だか、よく分からない状態でした」
と、栃東が呆然自失となったのも無理はない。
病名は「風邪のウイルスによる急性肝炎」だった。ただちに入院。もちろん、次の夏場所は全休で、7月の名古屋場所前にようやく退院。およそ2カ月振りに土俵に降りてみると、急激な体力の落ち込みで幕下にも勝てなくなっていた。
医者は「無理は絶対に禁物。この病気は快復するまで時間がかかる」と長期戦を宣告し、すっかり戦列復帰の自信を失った栃東が、「オレの力士人生はここまで」と悟って、それまで「まだまだ先のこと」と見向きもしなかった年寄株「玉ノ井」を借金して入手したのは、この直後のことだった。このとき、まだ26歳になったばかり。この早過ぎる第二の人生設計に、栃東の落ち込みぶりと、悲壮感があふれている。
それからの栃東は一進一退。ところが、いたずら好きの勝負の女神は、こんな病気上がりの栃東にひょんなところから、思いもしなかった幸運の矢を打ち込んできた。
昭和47年(1972)の初場所、11日目を終わって7勝4敗とまだ勝ち越しすらしていない栃東に、なんと初優勝の目をもたらしたのだ。この場所、ひとり横綱の北の富士が13日までに6敗し、千秋楽目前の14日目から途中休場するなど、上位陣が総崩れ。
このために優勝ラインがドンドン下がってきて、12日目から連勝した栃東が棚からぼたもちで、いつの間にはトップグループの仲間入りをしていたのである。
あと1日、という14日目を終えて、トップは4敗の大関の琴櫻、西前頭3枚目の福の花、それに西の5枚目の栃東の3人。
もともと優勝なんて思いもしていなかった栃東は、
「決定戦にでも出場できたら、オレもあのとき、こういうことがあったんだぞ、と、後でみんなに自慢できるなあ」
と軽い気持ちで千秋楽の控えに入った。相手は西の正大関の清國。西前頭5枚目の力士が千秋楽の結びの一番に、それも東から上がる、というところに、この場所の異常ぶりが浮きぼりになっていた。

昭和45年初場所千秋楽、結びの大一番で大関清國を上手出し投げに破る
その出番を待つ栃東の前で、思わずほおをつねってみたくなるような信じられないことが次々に起こった。それまで横一線に並んでいた福の花と琴櫻の2人がまるで申し合わせたように負けて後退していったのである。
突然の病気で失意のどん底にたたき込まれた男に舞い込んできた、これに勝てば優勝、という夢のようなビッグチャンス。これには、さすがにそれまで我関せず、という顔付きで淡々と振る舞っていた栃東も、土俵下でワナワナと震えた。
しかし、不思議なことに、体はカーッと熱くなっても、
「オレはあくまでもオレ。今更横綱や大関のような相撲を取れ、といっても取れないんだから。それで負けたらしようがないじゃないか」
と頭の一点だけは冷ややかに冷めていたのを、よく覚えている。
この開き直りが、栃東に大きな活路を与えた。
注目の一番。栃東はいつものようにうまい前さばきで左四つ、頭を付けて浅く右上手を取ると、流れるような動きの中から得意の上手出し投げを打った。この場所、左足を痛めていた清國は、この投げについていけず、そのまま大きく泳ぐとバッタリと四つん這いに。
ザブトンが舞い、大歓声の沸く中で、栃東は、
「オープンカーに乗って帰ったら、きっと師匠やおカミさんはビックリするだろうなあ」
とボンヤリと思っていた。
昭和52年(1977)の初場所5日目に引退し、年寄「玉ノ井」を襲名。その11年後の63年(1988)、ずっと部屋付きの親方をやってきた玉ノ井は、停年を1年後に控えて後継者に中立(元横綱栃ノ海)を指名するなど、後始末に忙しい春日野親方にこう申し入れた。
「親方、私が師匠と呼ぶのは、この世にたった一人だけです。あなたしかいません。その師匠がやめるんでしたら、私もこの部屋をやめます。出て行く。この年齢(当時44歳)になって独立するのは不安ですが、このときを逃すと、もう二度と一本立ちする勇気はわいてこないでしょう。これまで師匠からいろんなことを学びました。それをこの手で、若い者たちに教えてやりたいんです。どうか私のわがままを許してください」
これまでこの名門部屋は、ファミリー意識が強くて独立した力士はいない。春日野親方も、この愛弟子の申し出に、「バカヤローッ」と最初は猛反対したそうだが、最後には、
「そんなにやりたいのなら、やってみろ。でも、部屋を持ち、人を教えるというのは、決してなま易しいことではないぞ。いい加減なことをしたら、オレが飛んでいってブン殴るよ。いいか、分かったな」と首を縦にうなずいた。
元栃錦の春日野親方は、停年の直前にこの世を去った。その後、東京都内で部屋を興した玉ノ井親方は、あの独立を許してくれたときの師匠の目に宿っていた温かいぬくもりを、いつまでも忘れられない。(終。来週からは横綱千代の富士編です)
PROFILE
とちあずま・ともより◎本名・志賀駿男。昭和19年(1944)9月3日生まれ。福島県相馬市出身。春日野部屋。177㎝115㎏。昭和35年九州場所初土俵、40年夏場所新十両、42年春場所新入幕。47年初場所で幕内最高優勝。最高位は関脇。幕内通算59場所、404勝448敗23休。優勝1回、殊勲賞4回、技能賞6回。昭和52年初場所限りで引退。平成2年(1990)に玉ノ井部屋を創設、次男の大関栃東(現玉ノ井親方)らを育てた。平成21年9月停年退職。
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