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2024-04-17

八戸にアイスホッケーの「仲間」がやってきた。

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八戸で会食を楽しんだアフリカ・ホッケーツアーの参加者。フリーブレイズのほか、女子チームのクリスタルブレイズ、八戸聖ウルスラ学院の英語科の皆さんが、遠来の客人をもてなした(写真提供・東北フリーブレイズ)

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このほど東北フリーブレイズでは、「フレンドシップ・リーグ」主催のアフリカ・アイスホッケーチームの来日プロジェクトにおいて、アジアリーグの観戦や、フラット八戸での合同練習、八戸市内観光などの交流をお手伝いした。

 来日したのはモロッコ、アルジェリア、エジプト、ケニア、南アフリカ共和国の代表選手・スタッフ計10名。3月16日(土)、17日(日)にアジアリーグの最終カード・横浜グリッツとの2連戦(東京・ダイドードリンコアイスアリーナ)を見たあと、翌18日に八戸に移動し、地元の酒蔵を見学したり、みろく横丁、八食センター、根城の城跡、櫛引八幡宮、せんべい汁体験会、そしてフリーブレイズとの合同練習と、2日間にわたって八戸での生活を楽しんだ。

 ここではツアーを迎えた7選手のうち、すでに帰国してしまったジョン・ドゥピィ、ボイバン・アレクサンダー(ともにFW)以外の5選手に、アフリカからやって来た「友人」の思い出を語ってもらった。

フラット八戸での合同練習で、本当にうれしそうにプレーをしていた田中。高校まで海外でプレーしてきただけあって、温かな雰囲気で人を楽しませることはお手のものだったのだろう
フラット八戸での合同練習で、本当にうれしそうにプレーをしていた田中。高校まで海外でプレーしてきただけあって、温かな雰囲気で人を楽しませることはお手のものだったのだろう(写真提供・東北フリーブレイズ)


「僕にはアフリカに仲間がいる」。そう思えたことが収穫でした。
49 DF 田中健太郎

 アフリカの人たちは、子どものようにアイスホッケーを楽しそうにプレーしていたのが印象的でした。フラット八戸で合同練習をしたんですが、人によってはフルサイズのリンクでプレーするのが初めてという人もいたんです。氷に乗った瞬間から「こんな広い所で滑れるんだ」というワクワクした気持ちが伝わってきました。

 そして練習をしているのに、みんながおしゃべりに夢中なんですよ。最初は日本にアイスホッケーがあるということも知らなかったみたいで、僕らフリーブレイズの選手も彼らの質問攻めにあっていました。

 彼らは日本に関して、すごく興味を持っていました。八戸には2日間いて、八食センターに食事に行ったのですが、そこで出された食べ物を全部、トライしていたんです。生魚を食べるのも初めてで、「これは何という食べ物なの?」「八戸はすばらしいところだね」と本当に喜んでくれたと思います。

 お互いにアイスホッケーをやっていなかったら、今回、こうして彼らと知り合うこともなかったでしょう。アイスホッケーを続けてよかったと思いましたし、自分の中のコミュニティーを広げることができました。「僕にはアフリカに仲間がいるんだ」。それが、このツアーの一番の思い出です。

フリーブレイズの7人の中では最年長の畑。八戸での最終戦(3月10日・HLアニャン戦)に完封して以来の実戦経験だっただけに、合同練習では真剣なセービングを見せていた
フリーブレイズの7人の中では最年長の畑。八戸での最終戦(3月10日・HLアニャン戦)に完封して以来の実戦経験だっただけに、合同練習では真剣なセービングを見せていた(写真提供・東北フリーブレイズ)

積極的に「教えてほしい」と言えるのは、アフリカの良さだと思う。
55 GK 畑 享和

 まず第一に、アフリカの人を見て「コミュニケーションの能力が高い」と思いました。僕もそうなんですが、日本人はあんまり自分から「いかない」タイプが多いんです。でもアフリカの人たちは「ホッケーの技術的なことを教えてほしい」と、恥ずかしがらずに言うことができる。このへんは文化の違いというか、「もっと日本人は積極的にならないと」と思いました。

 今回、アフリカから来てくれた人には、伊藤君とフランスのチームでチームメートだった人がいて、僕も彼としゃべったことで勉強になりました。「日本はホッケーの人気はどのくらいあるの?」のいう質問から「年俸はどれくらいもらっているの?」とまで。競技レベルにもよりますが、フランスの下部リーグはアイスホッケー一本で生活している人はいないみたいで、「えっ、そんなにもらっているんだ。いいなあ」と言われました。「それ、聞きますか?」という話題でも、やっぱり仲良くなると遠慮はなくなるんです。日本で、好きなアイスホッケーで生活できている。あらためて「僕らは幸せなんだ」と気付かされました。

今シーズン横浜グリッツから移籍して、自己最高のスタッツで終えた矢野。アフリカの人との交流は、八戸2年目のシーズンに向けて、いい刺激を自身にもたらしたようだ
今シーズン横浜グリッツから移籍して、自己最高のスタッツで終えた矢野。アフリカの人との交流は、八戸2年目のシーズンに向けて、いい刺激を自身にもたらしたようだ(写真提供・東北フリーブレイズ)

アイスホッケーという「言語」を通して、人の輪を感じました。
37 FW 矢野倫太朗

 アイスホッケーという「言語」を通して、誰しも分かり合える――そんなことを学んだ気がします。僕はアフリカの言葉は分からないんですが、そんなことは関係ないと思えるほど、スポーツの「力」を感じたんです。彼らとのやり取りは、たとえば「シュートってどんな感じで打っているの?」と些細なものなんですが、実際に試合をやってみると、人間同士の「距離感」が全然、違って感じられる。スポーツとは「人と人とを結びつけるもの」だということを強く思いました。

 アフリカに知り合いはいないし、アフリカの人とコミュニケーションをとったこともないのですが、GKの伊藤君の元チームメートがいるということで、「アフリカの人たち」に自分の中でシンプルに興味がわいてきたんです。あいにく僕は東伏見の試合でケガをしてしまって、合同練習以外の行事は参加できなかったのですが、アフリカの人が試合するのを見て「ホッケーが好きなんだ」ということが強く伝わってきました。とにかくみんな、一生懸命パックを追いかけていた。その姿にスポーツの「輪」を感じることができました。それは僕の財産になったと思います。

今シーズン横浜グリッツから移籍して、自己最高のスタッツで終えた矢野。アフリカの人との交流は、八戸2年目のシーズンに向けて、いい刺激を自身にもたらしたようだ
ハーフのロウラーは英語も堪能。トングを持っている何気ないポーズでも、これがまた、いちいち決まっている(写真提供・東北フリーブレイズ)

日本代表に選ばれて、アフリカの人にニュースを届けたい。
73 DF ロウラー和輝

 英語を通じてコミュニケーションを図ることができ、彼らのバックグラウンドは聞いていて感銘を受けました。彼らの多くは「フルサイズのリンクでプレーするのが初めて」。機会というのは必ずしも誰もが一緒じゃないんだと思いましたし、アイスホッケーという文化がある日本は、とても恵まれていると感じました。

 八食センターに行ったときも、彼らは「初めて食べる魚だ」と言って、なんでも食べようとするんです。「何だかこわいな」という発想自体がないんですよ。とはいえ、みんな最終的には肉を欲しがっていましたが(笑)。

 2月のオリンピック3次予選で、僕はハンガリーまで行きながらメンバーには入ることができませんでした。4月に世界選手権の選考合宿がありますが、ここでフィジカルを生かして相手の体を抑えたり、速いブレークアウトにつなげたり、持ち味のプレーをアピールしていきたいです。そして世界選手権に初出場して、アフリカの人に「この選手、日本で会ったことがある人だ」と再会できたらうれしい。そう思っています。

食事の席で、焼き物の「たれ」を周りに注ぎ込む伊藤。日本の食文化にこだわりがあるだけに信州の「そば」も食べてもらいたかったそうだが、それはまた次回の機会に
食事の席で、焼き物の「たれ」を周りに注ぎ込む伊藤。日本の食文化にこだわりがあるだけに信州の「そば」も食べてもらいたかったそうだが、それはまた次回の機会に(写真提供・東北フリーブレイズ)


彼らが日本を旅する姿に「異国で経験したもの」を思い出した。
33 GK 伊藤崇之

 3年前、フランスの「シャンピニー・ホッケークラブ」でプレーしていました。今回のアフリカのツアーの中に当時、一緒にフランスでプレーしたリティムさんがいたんです。日本で再会して、しかも僕のホームリンク・フラット八戸で合同練習をする。本当に夢のようでした。

 東伏見でのグリッツ戦は、2戦とも僕が先発しました。2試合目は、小原さん(大輔・FW)の引退試合ということもあったんですが、連戦の1試合目より2試合目のほうが、いいパフォーマンスができた。リティムさんに、タフさだったり、精神的に安定したプレーを見てもらえたんじゃないかと思います。

 八戸では八食センターの七厘村に行きました。「日本の食事はおいしい」。ツアーの人たちにそう言ってもらえて、本当によかったと思っています。僕は3年間ヨーロッパに行って、食事では苦労することが多かった。「そうでしょう? 日本の食事はおいしいんだよ」と内心、自慢していました(笑)。

 今回、アフリカの人が日本を訪れてくれたように、僕も海外でプレーした国を回ってみたい思いが強くなりました。海外でゴールを守らせてもらって、選手、ファンの方に感謝されましたし、「チームを支えるってこういうことなんだ」ということを体験することができた。フィンランド、フランスではバイト代程度の給料しかもらえなかったんですが、それより、比べ物にならない経験をすることができたんです。海外での「階段」がなければ、フリーブレイズでの経験もなかった。海外にいる当時はお金もなかったので、いつか暇を見つけて「僕の原点をたどる旅」に出てみようと思います。

山口真一

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