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2019-05-01

【競泳・歴代トップスイマー比較考察】第16回:男子平泳ぎ V・デービス(カナダ/1980年代)×渡辺一平(日本)

先日の日本選手権で自身の持つ世界記録ペースを150mまで更新し、世界初の2分5秒台が見えてきた渡辺一平(TOYOTA)。そのフォームは現段階の世界トップの技術であることはいうまでもありません。
 対するは、1984年ロサンゼルス五輪200m平泳ぎで、カナダ初の金メダリストとなったビクター・デービス。ロサンゼルス五輪は、水面上に常に身体の一部が出ていなければならなかった旧ルールでの最後のオリンピックで、デービスがたたき出した2分13秒34という記録は、当時としては衝撃的な世界新記録でもありました。そうした背景はありますが、今回はあえて渡辺にデービスをあててみます。

 理由は、オチまで我慢して読んでいただけたらわかります。

データから見たふたりの相違点

まずは、渡辺とデービスの世界新記録樹立時のスプリットタイムを並べてみましょう。

【ふたりのスプリットタイム】
     0-50 50−100 100−150 150−200
渡   辺  28.95 32.38 32.69 32.65
デービス  30.43 33.40 34.84 34.67

 当然、記録的には渡辺の方が断然速いのですが、ラップタイムの変動は、ふたりともほぼ同じ配分です。特に凄いと感じたのは、デービスのラスト50m。手で壁にタッチしてから反転する時間も含めて、ラスト50mを、ハッキリとペースアップしきっていますよね。あの当時、このようなラップの刻み方ができる選手は、ほとんどいなかったといっても過言ではないでしょう。

  渡辺のラスト50mも同様に、わずかながらタイムを上げてきています。ターン動作も含めて32秒6ということは、ターン動作を省けば、実質31秒台の泳速度で泳いでいたことが分かります。

 次に、ふたりのストロークタイム(テンポ)を比較してみましょう。

【ふたりのストロークタイム(秒)】
    0-50 50−100 100−150 150−200
渡  辺 1.77 1.85  1.60  1.38
デービス 1.17 1.17  1.14  1.09

 デービスは常に1ストロークにつき1.1秒のテンポで150mまで泳ぎきり、ラスト50mはわずかに1.1秒/ストロークを切るテンポに泳ぎ切り替えてきていました。このテンポアップがきちんと泳速度に反映されていたわけですね。

 一方、渡辺はというと、1.77秒/ストロークと、デービスと比較するとだいぶゆったりした感じの泳ぎ始めです。50~100mでさらにテンポは抑えめになりますが、100mを回ってから1.60秒/ストロークへと、グンとテンポを上げています。ラスト50mは1.38秒/ストロークと最も速くなりますが、それでもデービスのそれと比べると1ストロークあたり0.3秒も遅いテンポであることがわかります。

 次にストローク数です

【ふたりのストローク数】
     0-50  50−100 100−150 150−200
渡  辺  13   15   16   21
デービス  22   25   26   28

ストローク数を見ると、ふたりとも後半に向けて徐々にストローク数が増える傾向にありますが、渡辺のラスト50mのストローク数の増え方が、顕著なのが見て取れます。しかし、ストロークを2つ増やして0.17秒ペースアップしたデービスに対し、ストロークを5つ増やして0.04秒上げた渡辺を見ると、ラスト50mのテンポアップが、泳速度アップに与えた貢献度という面から見た場合、デービスの方がかけたエネルギーコストに対する見返りが大きいというか、逆に渡辺の方が「頑張ったわりに最後が上がっていない」感じに見受けられます。なぜでしょうか?

★渡辺一平の参考動画(2017年東京都選手権200m平泳ぎ決勝/世界新樹立)

Recorde mundial 200 peito Ippei Watanabe

www.youtube.com

★デービスの参考動画(1984年ロサンゼルス五輪200m平泳ぎ決勝/世界新樹立)

1984 Olympic Games Swimming - Men's 200 Meter Breaststroke

www.youtube.com

ルールの違いが及ぼすグライドへの影響

 1984年当時の背景から説明しましょう。

 当時はルール上、頭を常に水面上に出していなければなりませんでした。水面は、身体が水を押しのけその水が身体へ戻る際に生じる「造波抵抗」が大きいため、水面上で伸びている間に泳速度は減速します。1988年ソウル五輪から、身体を水没させてもよいというルールに変わり、その後は平泳ぎも水中でグライド姿勢をとることができるようになりました。水中では造波抵抗がなく、水面より速く進むことができるからです。

 デービスの時代は、グライドを長く取ってしまうと、泳速度が落ちてからプルが始まることになります。ですから、キックの蹴り終わりを合図にプルをかき始めていたので、結果的にストローク数は表のように多くなったのですね。この時代の選手は、泳速度を高めるためには、キックによる推進力をより高くするか、キックの蹴り終わりでプルを開始するタイミングを崩さずに、テンポを上げるようにするしか、速くなる手段がなかったのです。

 現代の平泳ぎでは、頭部の水没が許されるため、呼吸時にある程度以上、上体を水面に出した後、スポンと頭を水中に沈めて、グライドをとることが主流となりました。今の深さまでグライドするようになったのは、おそらく北島康介の影響によるものだと思います。北島はグライド時の姿勢が良く、さらに彼の身体の厚みに対して適切な深さだったからこそ、グライド時の減速が小さかったと思われます。渡辺は、北島のグライドよりやや深めに潜っているように見受けられます。渡辺は体長が長く、流体力学的な抵抗値が小さいという利点と、身体の厚みがありますので、北島よりやや深く潜った方が、より少ない水抵抗の環境でグライドすることができると、考えられます。

渡辺の2分5秒台へのカギはデービスのプル!?

 しかし、考えてみてください。確かにルールの違いによってふたりのテンポとストローク数に違いがあるのは理解できましたが、なぜ、ラスト50mのテンポの貢献度が異なるのか?

 渡辺の泳ぎはもちろん、30cmサイズの足が繰り出すキックの推進力もさることながら、肩の柔軟性の高さ故に、キャッチ局面で水を抑える面が極端に大きいことと、そこからプルで水を引く局面が長いので、推進力に対する腕の貢献度が高いことが、もうひとつの泳ぎの特徴であると言えます。

 しかし、腕を引く距離が長いということは、かき込んだ後に腕を戻す距離も、同様に長くなります。ですから、デービスのようにコンパクトなプルで泳げば、テンポアップとストローク数の増加によって、かき込みの際の加速機会が増え、ストローク数の増加が速度へ貢献しやすくなります。渡辺の場合、プル局面が長いことが、レースペースでの泳効率の良さを支えている反面、同じだけリカバリー時の減速機会も増えてしまい、いったん脚が疲労困憊になってキックの推進力が保てなくなると、疲労時の泳速度をピッチでカバーするのが困難になるのです。

 この課題を乗り越えるためには、実はデービスの泳ぎがヒントになります。

 コンパクトなプルで1.1秒切るテンポで泳ぎつつ、泳速度が上がるということは、すなわち、プルのかき込み際の上腕の筋の出力が、それまでより高くなったと推測できます。ある先行研究では、平泳ぎで、プルの「引き」の局面、ひき込みの局面、リカバリーの局面が50mの泳速度に影響を及ぼすというエビデンス(根拠)があります。また、キックの力の出力はグレーディングできない(力の強弱の調節で泳速度を切り替えるのが難しい)というエビデンスもあります。

 平泳ぎの場合、グライド局面の開始時に高い速度が必要となるため、キックは、最初から力強く使わねばなりませんし、それ故、ラスト50mで脚の出力低下は避けられません。しかしプルは、かき込み局面の大きさや速度は変えずに、出力を軽くすることはできます。クロールでは、序盤、キックを軽く打って、ラスト50mにキックを強く打ち、プルの出力低下を補いますよね? あれを脚と腕を逆にするイメージです。150mまではキック中心。それ以降はプル主導・・・といった感じですね。

 ただその際に、渡辺の場合は「プル局面をどこまで引くのか問題」が浮上しますが、それを解決する糸口として、デービスの泳ぎとプルの出力配分が、ひとつの参考事例になるのではないか? と思えるのです。

 なぜこのマッチメイクを組んだか、その意図がここら辺でわかっていただけましたでしょうか?(笑) 若くして交通事故で亡くなったデービスが、天空で「2ブレの2分5秒ってなんなん? 俺、あの時代で良かったわ」と叫ぶような、そんな渡辺の快泳を見たい、“いちオタク”として、期待を込めたいと思います。

文◎野口智博(日本大学文理学部教授)

●Profile

ビクター・デービス(Victor Davis)●1964年2月10日生まれ、カナダ・オンタリオ州出身(1989年没)。1980年代に活躍した男子平泳ぎの第一人者。世界選手権では1982グアヤキル大会で200m金、100m銀、1986年マドリード大会では100m金、200m銀と4個のメダルを獲得。1984年ロサンゼルス五輪で200m金、100m銀、400mメドレーリレー銀と計3個のメダル、1988年ソウル五輪は個人種目では100m4位が最高だったが、メドレーリレーでは2大会連続の銀メダルに貢献した。1989年に交通事故により他界。享年25。

渡辺一平(IppeiWatanabe)●1997年3月18日生まれ、大分県出身。2014年ユース五輪200m平泳ぎで金メダルを獲得すると、その後はシニアレベルで台頭。2016年リオ五輪では200mで6位に終わるも、準決勝で五輪記録をマーク。2017年1月には東京都選手権で、2分6秒67の世界新記録を樹立し、その名を世界にとどろかせた。2017年世界選手権200mは3位、2018年パンパシフィック選手権200m優勝と国際大会で実績を積み、今年4月の日本選手権では果敢に世界記録に挑戦した末、自己2番目の記録で同大会初優勝を飾っている。

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