※写真上=オットー(左)とマニュエルは、フォームは対照的だが、レースでの力配分はよく似ている
写真◎Getty Images
1988年ソウル五輪では50、100m自由形だけでなく100mのバタフライと背泳ぎでも金メダルを獲り、リレー含めて6冠に輝いた旧・東ドイツのクリスチン・オットー。そして2016年リオ五輪では豪州のキャンベル姉妹に挟まれながらも、落ち着いたレース運びで100m自由形を制し、米国の黒人女子選手として初の金メダリストとなったシモーネ・マニュエル。
このふたり、泳ぎの方はどうでしょうか? オットーはソウル五輪女子100m決勝を、マニュエルはリオ五輪女子100m決勝の、いずれも彼女らのベストレースとも言えるレースをサンプルとして扱うことにします。
●オットーの参考動画:ソウル五輪女子100m自由形決勝
●マニュエルの参考動画:リオ五輪女子100m自由形決勝
オットーは、前半50mを26秒36、後半50mを28秒57で泳ぎきっていました。マニュエルは前半が25秒24の、後半が27秒46。
これを、トータルタイム(オットー54秒93、マニュエル52秒70)の比率で比較してみますと、オットーは前半が47.99%、後半52.01%。マニュエルは前半が47.89%、後半52.11%。なんと、このふたりの前後半のペース配分は、0.1%しか違わないことが明らかとなりました(表参照)。
動画を見ると、オットーが前半から積極的に逃げてギリギリ粘りきった感じに見えましたし、マニュエルは後半にジワジワとスパートをかけて、キャンベルを最後の最後に交わしたように見えましたが、実は、彼女たち自身の力の配分という側面から見ると、このふたり、極めてよく似た展開になっていたというわけです。ひょっとしたら、この配分は女子100m自由形を勝ちきるための、黄金比なのかもしれませんね。
では、フォームの方はどうでしょうか? 実はこっちは結構対照的で、ピッチ依存型のオットーに対し、ダイナミックな泳ぎのマニュエル…という構図が見てとれます。
ストローク数を見ると、オットーは前半47回、後半49回と、相当たくさん腕を回していたことが改めてわかりました。対してマニュエルは前半34回、後半37回。もちろん、スタート、ターン後の潜水区間が圧倒的にマニュエルの方が長いので違っていて当たり前ではありますが、それにしても、前後半合わせて25ストロークもオットーの方が多かったことは驚きですね(表参照)。
彼女らの100mレース中の、テンポの変化を図にしたものを示しました。オットーは前半の50が概ね1秒以内で1ストロークを回していて、さすがに後半は若干テンポが落ちるのですが、キックでその減速を食い止めていた感じがします。
オットーの泳ぎの特徴は、リカバリーの際に、手先を低い所から高いところへ持ち上げて、一気に入水後にキャッチに入るところです。通常はリカバリー中盤に、エルボーアップ型であれば肘が、ストレートアーム型であれば手先が最も高くなるのですが、オットーの場合は腕を頭の上あたりに出したところが、手先が最も高くなっています。不思議な動作ですが、これにはキャッチで素早く水をとらえるメリットがあったのでしょうね。肩関節が相当柔らかくないと、できない技術です。ストローク後半は、あまり最後まで水をかかずに、とにかく速く次のストロークへ移行させようという感じの泳ぎになっています。入水からキャッチ、短いプルで高く加速をさせ、それを次々とテンポ良く行なうことで、高い推進力を維持していたのでしょう。
そして動画を見ると、ゴーグルが正面から見えるんじゃないか? というくらい、頭の位置が高いのが見てとれます。当時は、ボートのように速度が上がると船首(人間で言えば頭)が高くなる現象から、頭は高い方が良いといわれていました。これは、実際には、水面での移動速度が高くなると水面と身体の境目に揚力が発生し、物体を浮かせる力が働くので、頭を高くしたら身体と水面の間に揚力が働くわけではないということがわかり、今ではスプリンターでも、マニュエルのように頭を低くして泳ぐのが一般的です。
一方で、頭を高くすると足が沈みやすくなり、キックが打ちこみやすいという利点が、確かにありました。今でも、背泳ぎでは頭頂部が水面より高く、アゴを引いた姿勢で泳ぐトップスイマーがいますが、これはキックの蹴り下ろしがしっかり入るというメリットがあるからです。
こうやってオットーの泳ぎを多角的に見てみると、前半はプル中心でテンポを上げて加速し、後半はピッチを少し落としつつも、キックをしっかり効かせてペースを維持させ、47.99%—52.01%のペース比率を保っていたことがわかります。
一方のマニュエルは、テンポが1ストローク1.2秒あたりで75mまでを泳ぎきっています。動画を見ると、腕の入水後、ほんの少しですが指先を前へ伸ばすグライド期があって、指先や手首から水を押さえ始めて、その後肘を高く立ててから腕全体で水を押している様子が見てとれます。オットーと比べると、ストロークのプル局面が長く、プッシュ(フィニッシュ)局面もしっかりと手で水を後方へ押出している様子がうかがえます。ひとかきひとかきをしっかりと力を入れて、水をかいているように見受けられますね。
マニュエルの最後の25mは、若干テンポが落ちます。男子のネイサン・エイドリアン(米国)によく似た展開です。エイドリアンはここでノーブレスを入れて頭を水中に突っ込んで、前のめりになりながらゴールタッチをしていく感じでしたが、マニュエルはテンポを少し落として、オットーと同様にキックをしっかり効かせて、最後の減速を抑えているように見てとれます。そのキックは、水中映像でも見ることができますが、1ストロークに1、2回程度、水中深く蹴り下ろされる瞬間が確認できます。蹴り足の幅が広すぎると、高速で泳いだ際には、足そのものが水の抵抗を受けてしまいますが、マニュエルのキックは、蹴り下ろしから蹴り上げの動きの切り返しが速く、抵抗を受ける時間が極端に短い上に、この切換えの際に足裏の蹴り上げが効いて、推進力にはプラスになっているように思えます。
こいったことから、マニュエルの泳ぎはプルをしっかりかいて高い加速を得る泳ぎであることがわかり、レース展開では終盤にピッチが遅くなっても、この瞬間で得られるキックの推進力が高いために、47.89%—52.11%の比率を保てているのだと考えられます。
見た目は極端に違うふたりの泳ぎですが、力の配分や「最後はキック」というところは共通していたかと思います。しかし、私が個人的に驚いたのは、オットーのストローク数。あれだけ大きな選手がこれだけストローク数を増やして加速していた点です。今年の日本選手権でオットーより速く泳いだ日本選手は、たったふたりしかいない事実を合わせて考えると、日本の女子短距離の泳ぎづくりは、体型に対して大きな泳ぎを求めすぎなのではないかな? とも、考えることができるのではないかと思います。日本の短距離も池江璃花子選手は別格として、もう少し極端にピッチに依存するような選手が出てきたら、面白くなるのではないでしょうか。もちろん、上げたピッチでしっかり加速するには、ストレングス(身体の強さ)の土台が必須になるわけですが…。
ぜひ、女子短距離選手を担当されているコーチの方には、ご一考いただけたら幸いです。
文◎野口智博(日本大文理学部教授)
●Profile
クリスチン・オットー(Kristin Otto)●1966年2月7日生まれ、旧東ドイツ・ライプツィ出身。オリンピックでは1988年ソウル大会で個人種目4、400mフリーリレー、400mメドレーリレーを含めて6冠を達成。また、世界選手権でも1982年グアヤキル大会で3冠、1986年マドリード大会で4冠に輝いている。
シモーネ・マニュエル(Simone Manuel)●1996年8月2日生まれ、米国・テキサス州出身。オリンピックでは2016年リオ大会の100m自由形、400mメドレーリレーで金メダルを獲得。世界選手権は2013年バルセロナ大会から3大会連続出場し、2017年ブダペスト大会100m自由形で優勝したほかリレー種目も合わせて7個の金メダルを手にしている。大学は名門・スタンフォード大出身で、この夏からプロ選手となり、東京パンパシフィック選手権では銀4、銅1の計5個のメダルを獲得した。
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