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2018-06-26

●コーチ、競泳マニア必読連載 歴代トップスイマー比較考察 第9回:男子自由形短距離 M・ビオンディ(米国/1980年代)×P・ファンデンホーヘンバンド(オランダ/2000年代)

※100m自由形で史上初の49秒の壁を破ったビオンディ(左)と48秒の壁を破ったファンデンホーヘンバンド
写真◎Getty Images

「歴史の壁を打ち破った」ふたり

 1984年ロサンゼルス五輪では400mフリーリレーメンバーとして決勝第3泳者で登場した、当時の無名のマット・ビオンディ。トップを奪ってアンカーのラウディ・ゲインズに引き継いでみせた泳ぎで、関係者は「あれは誰だ?」と色めき立ちました。そのロサンゼルス五輪翌年の全米選手権の100m自由形で人類初の48秒台をマーク(48秒95)。世界一になっても学生時代は水球との「二刀流」で戦っていた圧倒的なパワーで、50、100m自由形と100mバタフライを中心に活躍しました。

 一方、2000年シドニー五輪の100m自由形準決勝で、人類初の47秒台に突入し、シドニー、アテネ五輪100m自由形を連覇したピーター・ファンデンホーヘンバンド。パワーで圧倒するビオンディとは対照的に、50に良績がなく、200mでのイアン・ソープとの度々のデッドヒートから、技巧派のイメージがあります。さらに、シドニー当時は医学部生で、どことなく知的な雰囲気があり名前がやたらと長いイケメンスイマーとして話題にもなりました。

「歴史の壁を打ち破った」という実績が共通点のふたりですが、レース展開もよく似ています。

数字で見るレース比較

表1/ふたりのレース展開とストローク数の推移

 表1は、ビオンディは1988年ソウル五輪、ファンデンホーヘンバンドは2004年アテネ五輪での100m自由形決勝のレースをもとに、彼らの前後半のスプリットタイムとストローク数を示しました。前半のストローク数とラップタイムは、なんと、ふたりともそう変わりありません。50mのベストからすると、ソウル五輪当時のビオンディのベストは22秒14。ホーヘンバンドはアテネ前年に22秒29。こうして50mの絶対スピードからレース前半のペースを比べてみると、ファンデンホーヘンバンドの方が、より「最初から突っ込んだ」レースのように見えます。しかし、後半のスプリットタイムは、ホーヘンバンドの方が0.52秒も速いのです。ということは、ファンデンホーヘンバンドの方がより「余力があった」ということになります。

表2/100mレース中のストロークタイム比較

★参考動画:ビオンディ ソウル五輪100m自由形決勝
https://www.youtube.com/watch?v=cfJuVrkH7kQ&index=23&list=PLv4g_Lrh40u8fpB7r3Kf-9yFSfbMukhhQ

★参考動画:ホーヘンバンド アテネ五輪100m自由形決勝
https://www.youtube.com/watch?v=7WeJ7N4_w88&list=PLv4g_Lrh40u8fpB7r3Kf-9yFSfbMukhhQ&index=20&t=51s

 ふたりの100mレース中のピッチ(ストロークタイム:秒)を、片道3局面に分けて、3ストロークずつ計測し、それを1ストローク分にして比較してみました。ふたりともレース距離が進むに連れて、徐々にピッチが遅くなっていくのが見てとれます。特にビオンディはターン後のピッチが極端に遅くなっているのがわかりますね。

 動画を見ると、88年当時のプールの波はけがあまりよくなく、7mくらいのところで浮上したビオンディが、波が収まるまでの区間、プルの入水後に普段のキャッチポイントを探すような感じで、ピッチを上げ損ねているのが見てとれます。

 一方で、アテネのプールも正直「Fast pool(高速プール)」とは言い難い構造でしたが、ソウル五輪のプールと比較すると、まだ波の高さがそれほど高くはありませんでした。加えて、2000年前後に豪州の選手達が、ターンアウト後すぐに2〜3回ほどストレートアームリカバリーを入れ始め、ターン後にテンポアップさせるようにしていました。それ以降、ターン後の初速の高さを利用して、落ちかけていたテンポをいったん上げて、そこから後半のスピードをできる限り維持させていく…そんな展開が、世界的に定着していたのです。もちろん、イアン・ソープ(豪州)のように、ドルフィンキックのうまい選手たちは、ターンの際に自らが引き連れてきた大きな波を、水中からくぐって浮上する選手もいました。しかし、クロールでそれが使われるようになったのは、高速水着が流行る前の2007年メルボルン世界選手権、2008年北京五輪あたりになります。

 ビオンディ、ファンデンホーヘンバンドともに200mも泳げる選手でしたが、ビオンディは200mではわりと取りこぼしがあった一方で、ファンデンホーヘンバンドはシドニーで、前半100mを50秒という、超高速ラップの消耗戦でソープを競り落とすなど、「高速の持続力」で、他を凌駕していました。そのあたりの違いが、ターンアウトのテンポアップの違いを生んでいたのかもしれませんね。アテネのVTRのように、圧倒的なスプリント力のあるローランド・スクーマン(南アフリカ)をギリギリで交わした、ファンデンホーヘンバンドの巧さの一旦が垣間見えます。

マット・ビオンディ(Matt Biondi)●1965年10月8日生まれ、米国カリフォルニア州出身。オリンピックでは1984年ロサンゼルス大会の400mフリーリレーで金メダルを獲得しその名を知らしめると、1988年ソウル五輪では50、100m自由形、400mフリーリレー、800mフリーリレー、400mメドレーリレーで5冠、さらに100mバタフライで銀、200m自由形で銅と計7個のメダルを獲得。次の1992年バルセロナ大会でも400mフリーリレー、400mメドレーリレーで金、50m自由形で銀と3つのメダルを手にした。
写真◎Getty Images

ピーター・ファンデンホーヘンバンド(Pieter van den Hoogenband)●1978年3月14日生まれ、オランダ・リンブルグ州出身。18歳で1996年アトランタ五輪に出場(100、200m自由形共に4位)後、世界トップ選手への階段を歩み始め、2000年シドニー五輪では100、200m自由形2冠、2004年アテネ五輪では100mで連覇を達成し、2008年北京五輪では5位と、オリンピック4大会出場と息の長い活躍を見せた。
写真◎Getty Images

フォームの共通項

 さて、両者の泳ぎには共通項があります。

 ファンデンホーヘンバンドは、左のキャッチはグライド局面がなく、右側の呼吸と同時に「カチッ」と手・前腕がキャッチに入り、逆に右腕は一旦水面で前方へグライドしてから、エルボーアップしてプル局面に入ります。
 ビオンディは左呼吸なのですが、ファンデンホーヘンバンド同様、右腕は入水後グライドせずにすぐにキャッチに入り、左腕は一旦前へ手先をグライドさせてから、キャッチ動作に入ります。

 ビオンディのようにストロークタイムが1.2秒台中盤から後半であれば、グライド局面が入る余裕があります。しかし、ファンデンホーヘンバンドのように1.1秒台のピッチになると、グライド局面を入れるのはかなり難しいように思えます。恐らく、ふたりとも片方のストロークでグライドを使わず、より速くかき、逆側でしっかりとグライドからエルボーアップを入れて、プル局面を長く保つことで、ピッチとストローク長を両立させていたのかな? と思えます。

 原則として、どんな泳法でも泳速度を高くするためには「ピッチを上げる」ことが条件となります。しかし、ピッチを上げるときに問題になるのは、速く水をかこうとして水を壊してしまうことですね。そのスイマー自身が生み出している泳速度より速く手部を動かしてしまうと、生じる現象です(技術書などでは「インピーダンスマッチング」と言われます)。指導者や選手は、このジレンマに悩まされながら、より速いストロークを常々追い求めているわけです。

 後年、マイケル・フェルプス(米国)にも見られたような、左右非対称のテンポの泳ぎが「ギャロップ・ストローク」と呼ばれてメジャーになっていきますが、この手の変則的なテンポの泳ぎは、きっとそのジレンマの中で「最速ピッチ」でかつ「最大効率」を追い求めた、歴代のスプリンターの知恵と経験知の結晶なのかもしれませんね。

 男子100m自由形の世界記録更新は、2009年で止まったままです。このまま行くと、来年でまる10年、世界記録の更新がないということになります。そんな歴史の中で、49秒の壁を破ったビオンディは「水球との二刀流」、48秒の壁を破ったホーヘンバンドは「医学部生との二刀流」でした。現行ルールで47秒の壁を打ち破るのは、きっと何かとの二刀流の選手となるのかと予測していますが…、果たして。

文◎野口智博(日本大文理学部教授)

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