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2017-12-29

日本最北端の町・稚内から東京2020を目指す選手も! 競泳・中高校生トップ選手が集うナショナル合宿取材後記

 日本水泳連盟が定めた学年別のナショナル標準記録を突破した(大会の指定あり)中高校生選手が参加するナショナル強化合宿。同年代の選手の中には、すでにナショナル標準を突き抜けて、さらに上のレベルであるジュニアエリートA、インターナショナル標準記録に到達し、東京・国立スポーツ科学センター等で日本のトップ選手たちに混じって練習する同世代の選手もいるが、将来的に国際舞台で活躍できる選手の育成を主旨としたナショナル合宿は、未来の日本代表選手への登竜門的な場であることに変わりはない。

 12月某日、そのナショナル合宿が行なわれていた三重県鈴鹿と静岡県富士に足を運んだ。実に10年ぶりの取材。そのときは、小学生時代から怪童として名を知らしめていた萩野公介、まだ全国トップレベルまでには達していなかった瀬戸大也が中学1年生として初参加したときで、当時の記事を読み返すと、萩野の存在は上級生からも意識されるほどのものだったことが分かる。瀬戸に関しての記述はなかったが、その翌年に萩野を初めて全国大会で破り、さらに8年後の2016年には、オリンピックの舞台でそろって400m個人メドレーの表彰台に上るとは、まだ想像もつかなかったころだろう。

 さて、鈴鹿では北海道の最北端の町・稚内から参加した男子平泳ぎの選手がいた。中学2年生の大日向海斗だ。極寒の地の稚内だけに、水泳のイメージが沸きにくいが、あいさつや礼儀、練習態度を含めてコーチ陣からも高い評価を受けていた。話を聞いても、自分の意見をしっかり言葉にできる少年で、「2020年のオリンピックには出たいです!」と言い切る口調にも、さわやかさとともに強さを感じさせた。

北海道・稚内からやってきた大日向。初めてのナショナル合宿に、最初は緊張したというが周りに溶け込み、充実した練習を積めたという

 また、数年前からは英国のジュニア選手も参加しているとのことで、今年は鈴鹿で2名の男子選手がともに汗を流していた。2人の引率で来ていた英国水泳連盟のドーン・ピアート女史は、ナショナル・プログラム・マネジャーという役職で、海外の連盟との交流促進に携わっている。もともと水泳のコーチで、2006年から連盟の仕事に就き、「数えきれないくらい日本に来ているわ。英国にコウスケ・ハギノも短期で練習に来ていたし、連盟間の国際交流に関して携わっているわ。日本は2020年のオリンピック、翌年の世界選手権もあるので、それまでにも代表チームの合宿地等の視察を含めて来る予定よ」という。

 現在、同連盟のインターンとして2000年シドニー、2004年アテネ五輪代表の三木二郎が働いているといい、持参した名刺の裏には、「二郎が書いてくれた」という日本語で書かれた役職や人名を見せてくれた。

英国水泳連盟のピアート氏。来日回数は数知れず。男子2選手とは合宿前に東京観光をするなど、街の雰囲気を味わわせたという。今後の世界大会に向けても日本に来る予定

 富士では、現役時代によく取材させていただいた人物が、コーチとして参加していた。豊川高校の堀畑裕也コーチである。2011年、上海世界選手権では400m個人メドレーで銅メダルを獲得。世界選手権の同種目で日本人初のメダリストとなり、翌年のロンドン五輪にも出場し、決勝進出を果たしている。

 もともと、目標としていた母校の水泳コーチとなり、恩師の小池隆治先生、深田大貴先生とともに指導に当たり、今回は男子バタフライグループの主任を務め、選手たちを鼓舞しながら取り組んでいた。

現役時代は小柄ながら、個人メドレーの日本代表として世界で戦った堀畑コーチ(写真左)。今回は男子バタフライの主任コーチを務めた

40年以上、継続して実施されてきたナショナル合宿。名称やその内容、参加者たちの気質も時代によって変化してきたが、日本水泳界の強化基盤としての価値は、変わず、大きなものだ。

レポートの詳細はスイミング・マガジン2018年2月号にて。

文◎牧野 豊

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