close

2017-12-10

●コーチ、競泳マニア必読連載 歴代トップスイマー比較考察 第3回:男子バタフライ マイケル・フェルプス(米国/2000~10年代)×ミハエル・グロス(旧・西ドイツ/1980~90年代)

 身長201㎝、指極211㎝。「アルバトロス(あほうどり)」の異名を持ち、主に1980年代に世界を席巻、旧・西ドイツのエースとして活躍したミハエル・グロス。そして現代の水泳ファンなら誰もが知っている、個人メドレー、自由形、バタフライで幾度となく世界記録を樹立したマイケル・フェルプス。“何でも屋”の両者はその中でも、バタフライでの良績が多い選手で、共通して“デカい泳ぎ”であることに説明の余地はありません。しかし、バタフライのリカバリー時に両手を高く上げ、その異名通り豪快に泳ぐグロスに対し、地を這うような低いリカバリーでフラットに泳ぎ切るフェルプス。今回はそんな2人のスーパースターの、対照的なバタフライを比較します。

マイケル・フェルプス(Michael Phelps)●1985年6月30日生まれ、米国・メリーランド州出身。記憶に新しい、史上最高の万能型スイマー。5回出場したオリンピックでは、1大会における史上最多金メダルとなった2008年北京大会の8を含む23個の金メダル、計28個のメダルを獲得(2004年アテネ大会=金6、銀2/2012年ロンドン大会で金4、銀2/2016年大会=金5 ※2000年シドニー大会は200mバタフライ5位)、世界選手権でも金メダル26個を含む計33個のメダルを獲得している。
写真:Getty Images

ミハエル・グロスMichael Gross●1964年6月17日生まれ、旧・西ドイツ出身。1980年代に君臨した万能型スイマーとして活躍し、個人種目では100、200mバタフライ、200、400、800m自由形で世界記録を樹立。オリンピックでは、1984年ロサンゼルス大会で200m自由形、100mバタフライで金、200mバタフライで銀、1988年ソウル大会では200mバタフライで金メダルを獲得した。パース世界選手権に出場した1991年シーズンをもって現役引退。
写真:Getty Images

共通する2バタらしいレース展開

【図1】フェルプスとグロスの200mバタフライ・ラップタイム比較
 (タテ軸は「秒」、ヨコ軸は1=最初の50m、2=50~100m、3=100~150m、4=150~200m)
フェルプスは2009年ローマ世界選手権、グロスは1988年ソウル五輪決勝を抽出。グロスはこの2年前に地元・西ドイツの大会で世界新記録を樹立したが、動画が見られるこのソウル大会決勝レースをサンプルとした。

グロスのソウル五輪時の動画
https://www.youtube.com/watch?v=Fz9GwC5uD30

フェルプスのローマ世界選手権時の動画
https://www.youtube.com/watch?v=qKsbCtVOuk4&list=RDqKsbCtVOuk4&t=295

 以前、何かの記事で松田丈志さんが「200mバタフライ(以下、2バタと略す)は疲労困憊になる前提の競技である」(要旨)と、2バタのなんたるかを語っていましたが、【図1】はまさにその通りのラップタイムの変化ですね(笑)。自由形や背泳ぎでは、最後の区間でタイムが上がる選手がいるにもかかわらず、バタフライではあのフェルプスでさえ、ラスト50mでラップタイムを上げるのが難しいことが分かります。グロスにしても然り。グロスは、実は400mや800m自由形でも、あのサルニコフの持つ世界記録を破るほどの持久力を持っていたにも関わらず…です。やはり2バタというのは、そういう種目なんでしょう。特に近年は前半の入りが高速化しているので、なおさら前傾型のレースが多いように見えます。

 このように、一見同じようなレース展開をしている二人ですが、泳ぎはどうでしょう?

グロスの方が“大きな泳ぎ”である根拠

【図2】グロスとフェルプスの各区間のストローク数の変化
(ヨコ軸は1=最初の50m、2=50~100m、3=100~150m、4=150~200m)

 【図2】で、彼らのストローク数の変化を見てみましょう。
 ここを見ても両者同様に、レースが進むにつれて徐々にストローク数が増えているのが、見てとれます。しかし動画をよく確認すると、グロスはスタート後に水中でのドルフィンキックが4回で浮上。対してフェルプスは6回。各ターン後も、グロスは2回程度に対し、フェルプスはレースによって若干の差異があるものの、平均すると概ね5〜6回はドルフィンキックを用い、常に10mくらい潜って浮上します。

 1980年代は長距離もそうでしたが、バタフライでもターン後はできるだけ早く浮上し、息継ぎを行ない、少しでも酸素を多く取り込もうとしていました。グロスは常に6〜7m付近で浮上し、泳ぎ始めていたのです。2バタではどうしても最後の局面でバテますから、その前に少しでも酸素を取り込んで、なんとか粘り切ろうということです。

 1996年アトランタ五輪でロシアのデニス・パンクラートフが、100mバタフライでスタートから25mくらいまで潜り、ターン後も8回の潜水ドルフィンを行い勝ちましたが、200では勝ったものの、ターン後は4回程度と、さすがにそこまで長く潜りませんでした。その後ルール改定で15m以上の潜水が禁止されると、世界的には一旦潜る距離は短くなりましたが、フェルプスの出現により、バサロが流行った背泳ぎや自由形だけでなく、バタフライでも潜る選手が増えてきました。流体力学的に、水中は水面より造波抵抗が小さいことが広まり、ドルフィンキックが得意な選手は、制限距離まで潜ることが科学的には有利であると、推奨されるようになります。加えて水着の開発合戦により、水着と水の摩擦抵抗が軽減されたことも、潜水キックが有利になってきた理由の一つです。

 そうやって鑑みると、泳いでいる距離は、潜らないグロスの方が圧倒的に長いながら、ストローク数はフェルプスと変わらない…すなわち、いかにグロスが大きな泳ぎをしていたかが、理解できます。

指極211cmの長さを生かしたストロークが特徴的だったグロス
写真:Getty Images

プルパターンはグロスが「効率重視」、
フェルプスが「パワー・スピード重視」

 グロスの泳ぎは、徹底的な避抵抗技術・効率重視でした。たとえば、両腕の入水時に両手の甲を合わせるようにしていたのは、正面から受ける水抵抗をできるだけ小さくして腕を入水させるためでした。その結果、入水時の水抵抗が少なくなると、一気に水中深く体幹を沈めることができるようになります。そこに、高い位置からリカバリーの腕が水面に落ちてくるときの勢いが加わるので、さらに速く身体を沈められます。加えて身長が高く身体が細いグロスは、腕の入水後のグライド局面でのスピードが落ちにくい特性があります。まとめると、「腕の入水の勢い」+「避抵抗技術」+「第1キックの加速」+「細長い流線型の身体」により、水中でかなり伸びることができたわけです。

 ストローク動作も手先が「キーホール(鍵穴)」を描きます。キャッチ時のアウトスイープ(外向き)、プル時のインスイープ(内向き)のスカリング動作を使い、1ストロークの推進効率を高めていました。冬場に高地でクロスカントリーなどを行ない、徹底的に鍛錬した体力を、200mの間、効率よく使おうと工夫していたのがわかります。

 フェルプスは逆に、リカバリーでは手先を肩関節より低くして、まるで「振り子」のように振りながら腕を入水させていました。これは、リカバリー中の腕・肩の負担を小さくする意図です。しかし、ストロークはキャッチでのアウトスイープのスカリングをあまり使わず、ヘソのあたりに向かって直線的にかき込んできます。グロスの「効率重視」に対し、フェルプスは「パワー・スピード重視」のプルパターン。グロスとフェルプスの記録の違いは、フェルプスはたくさん潜ってブレイクアウト局面(浮上がり)での高速化を実現したことと、泳ぐ距離を短くして、スピード重視のプルを行ない、グロスよりピッチを上げていたことによるものと考えられます。

アンダーウォーター局面での展開を切り拓いたフェルプス。浮き上がりでの高速化とともに、「スピード・パワー重視」のプルパターンで記録を更新していった
写真:Getty Images

 両者に共通していたのは、プルの際に胸の下あたりで、指先が触れるくらい、左右の手を近づけてかき込んでいたところ。プル局面での肘を曲げ、上腕、前腕のより広い面で水をとらえて、その左右の手・腕の水をぶつけるようにしています。ここは、時代が変わっても必要な技術なのでしょうね。

 このように泳ぎには若干の違いはあっても、結局2バタは、両腕で水をしっかり引っぱり続けて泳ぐ種目。だからこそ、ラスト50mに襲ってくるキツさに耐えることと、そこまでにどんな戦略で挑むかが大事なんだと、2人のスーパースターが語っているような、そんな気持ちにさせられるデータでした。

文/野口智博(日本大学文理学部教授)

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事