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2020-02-05

半世紀ぶりスーパーボウル制覇のチーフス 創設者の故ハント氏が変えたNFLの歴史

2月2日、米フロリダ州マイアミのハードロックスタジアムで行われた、第54回スーパーボウルはAFC代表のカンザスシティー・チーフスが、NFC代表のサンフランシスコ・49ナースを31-20で破って、1970年以来、半世紀ぶりの待ち焦がれたタイトルを手にした。

 49ナースの強力なディフェンスのプレッシャーに苦しみ、インターセプト2本を喫したチーフスのQBパトリック・マホームズだったが、第4クオーター残り12分からのオフェンスで、本来の力を発揮、2ドライブ連続でタッチダウンパスを決め10点差を逆転した。
 マホームズは、スーパーボウルMVPに選出されたが、24歳138日での受賞は、RBマーカス・アレン(レイダース)、WRリン・スワン(スティーラーズ)に次ぐ史上3番目の若さ。QBとしては最年少でトム・ブレイデイの記録を抜いた。マホームズは前シーズンにリーグMVPを獲得しており、NFL史上初めて、25歳になる前に2つのMVPを受賞した選手となった。
 チーフスヘッドコーチ(HC)のアンディ・リードは、フィラデルフィア・イーグルス時代から21シーズンで、初のスーパーボウル制覇。ポストシーズンも含めた222勝目が、待望の王座獲得を決める勝利となった。

.半世紀ぶりスーパーボウル を制覇、ロンバルディートロフィーを掲げるチーフスのアンディ・リードHC(Photo by Maddie Meyer/Getty Images)

ハント氏創設AFLとの競争がNFLに隆盛もたらす

 創設100年目を迎えた今季、多彩な取り組みを展開してきたNFL。スーパーボウルは50年ぶりのチーフスの勝利で大団円となった。チーフスのラマ―・ハント元オーナーが存命であれば、だれよりも喜んだに違いない。
 創設100年というが、今季は、AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)創設60年の節目でもあった。AFLを作り上げたのがハント氏だった。

チーフスの創設者でオーナーだったラマ―・ハント氏=2001年1月撮影( Ed Zurga/ALLSPORT/Getty Images)

 テキサスの石油王の一家に生まれ、父の遺産を継いだ富豪のハント氏は、当初、NFLのチームオーナーとなろうと試み、エクスパンションに応募したが、拒絶された。次にハント氏は、既存のチーム(シカゴ・カージナルス。今のカージナルスとは別チーム)を買収しようとしたがこれも拒まれた。
ハント氏はあきらめなかった。仲間を募って新プロフットボールリーグ創設に動いたのだ。

・ニューヨーク・タイタンズ(現ニューヨーク・ジェッツ)
・ボストン・ペイトリオッツ(現ニューイングランド・ペイトリオッツ)
・バッファロー・ビルズ
・ヒューストン・オイラーズ(現テネシー・タイタンズ)
・ロサンゼルス・チャージャーズ
・デンバー・ブロンコス
・オークランド・レイダース

そしてハント氏がオーナーとなった

・ダラス・テキサンズ(現カンザスシティー・チーフス)

計8チームでAFLは船出したのだった。
 NFLの対抗リーグは、それまで必ず失敗し、潰れていた。アナザーリーグを作ったハント氏たちの試みは「愚か者のクラブ」と揶揄された。
 しかし、AFLは生き残った。当時の新しいメディア、テレビ局と手を結んだのだ。テレビ中継自体は1950年代からあったが、カラー化が進み、娯楽の中心となる中で、テレビ局はプロフットボールを優良なコンテンツとして見た。AFLは全米ネットワークのABCと契約を結び、潤沢な資金はNFLとの競争を支えた。
 1966年にはドルフィンズが参加しチーム数が増えたAFLは、NFLと手を結ぶことを決め、4年後の合併を決定した。その時に開催されたNFL-AFL選手権が、後からさかのぼって第1回スーパーボウルとなった。
 チーフスオーナーとしてのハント氏の苦労は続いた。第1回NFL-AFL選手権は、ハント氏のチーフスが、NFL王者のグリーンベイ・パッカーズと対戦した。「AFLは新興リーグで格下」「NFLに敵うわけがない」と考えるメディアやファンが大半だった。その下馬評通りに、チーフスは名将ビンス・ロンバルディー氏が率いる黄金期のパッカーズに10-35で大敗した。第2回大会でもAFL代表のレイダースはパッカーズの前に敗れた。
 流れが変わったのは、第3回大会だ。戦前の予想では圧倒的な不利だったジェッツが、QBジョー・ネイマスの活躍もあって、ボルティモア・コルツを撃破。そして、第4回大会で、ハンク・ストラムHCが率いたチーフスは、34歳のベテランQBレン・ドーソンの活躍で、ミネソタ・バイキングスに23-7で快勝。ハント氏がリーグを立ち上げて10年目に、チーフスは悲願の全米王者となった。それだけでなく、NFL-AFL選手権の対戦成績も5分となり、堂々の対等合併となった。NFLは、多くのチームがNFCに編成され。AFLはAFCの母体となり、いくつかのチームがNFLから移って来た。

野球を抜きNo.1スポーツに

 ハント氏の恩恵を最も享受したのは、かってハント氏をアウトサイダーとして拒み続けたNFLだった。1950年代、全米の人気のNo.1スポーツは野球のMLB、NFLは水を開けられた2番手スポーツだった。チーム数は全米で12、16球団だったMLBの3/4だった。
 AFLの創設と前後して、NFLには、ダラス・カウボーイズ(1960年)、ミネソタ・バイキングス(1961年)が新加入する。ハント氏のAFLがABCと契約したことで、NFLも同じ道を歩んだ。クリーブランド・ブラウンズを除く全チームがCBSと一括契約で対抗した。
 各球団の財政基盤は強化され、マーケットは拡大し、1960年代後半にはアトランタ・ファルコンズ、ニューオリンズ・セインツが加入、NFLは16球団となった。AFLも1968年にシンシナティ・ベンガルズが加わって10球団。合併時は26球団となり、MLBの24球団を追い抜いた。1960年代の競争と成長の10年が今のNFLを築き上げたと言っても過言でなはい。
レイダース、ドルフィンズ、ブロンコス、ペイトリオッツは、リーグを代表する人気チームとなった。AFCに移動したスティーラーズも、お荷物球団から常勝チームに生まれ変わった。なによりもハント氏が名付け親にもなった「スーパーボウル」は、単独の試合としては世界最大最高のスポーツイベントとなった。
 ハント氏は2006年に亡くなった。そして、今のNFLに問題がないわけではない。続発する脳震盪など安全面の問題。選手が引き起こす様々な犯罪。現在の労使協定(CBA)は2020年シーズンまでのため、リーグとNFLPA(選手会=労働組合)の交渉も、今後予断を許さない。ただ、一つ言えることは、アメリカンフットボールは進歩と競争の歩みを止めることはないということだ。スーパーボウルの冒頭で流れた映像の最後にあった「次の100年」に向けて、NFLは動き続けるだろう。【小座野容斉】

スーパーボウルMVPに選出されたチーフスのQBパトリック・マホームズ(Getty Images)

.チーフスが半世紀ぶりスーパーボウル を制覇した(Getty Images)

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