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2018-03-05

2018年インカレ戦線注目選手 石山 歩・潮﨑 傑・古谷拓夢・ヘンプヒル恵 “常識”を覆す選手たちの大学ラストシーズン

石山歩、潮﨑傑、古谷拓夢、ヘンプヒル恵。この4人には共通点がある。中学時代に全国タイトルを獲得し、高校時代には高校記録を樹立してインターハイも優勝している選手たちだ。そして、今も日本一を目指して戦い続けている。中学時代からトップを走り続ける4選手の大学ラストシーズンに懸ける思いとは――。

土壇場に強い男・石山 歩

「今年、結果が出なかったら陸上をあきらめて普通に就職活動をしよう」

 そう決めて臨んだ2017年シーズン。7月の西日本インカレやり投で、石山歩(中京大)が放った一投は高い放物線を描き、77m91を記録した。

「あんなに喜んだことないくらい、人生で一番叫びました」

 80mも見える“やり投選手”になった日。陸上を続けられる。やはり、この男は土壇場に強い男だ。

 中学時代から“怪物”として全国区であり、同世代の投てき選手たちの目標だった。優勝候補として臨んだ2011年の奈良全日中。砲丸投予選で自己ベストを投げるも、決勝では3投を終えて4位にとどまっていた。そして最終6投目。渾身の投げで逆転優勝。「危なかったっス」。無邪気に笑った。

 実は相当プレッシャーもあり、ユニホームの上に着ていた半ズボンのまま投げようとしていたという。ちなみに、“有名人”がゆえ、いつ連絡先を聞かれてもいいようにメールアドレスを書いたメモを用意していたそうだ。

 兵庫から京都・花園高に進学すると、砲丸投でインターハイ3連覇、高3時のインターハイは砲丸投と円盤投の二冠を獲得した。円盤投でも高校新を樹立している。しかし、石山は小さいころからのあこがれであるやり投にこだわった。

 やり投で世界を目指すと決めて中京大に進学したが、なかなか思うように結果が出せなかった。特に2年時はヒジ痛などケガも重なり苦しいシーズンを送る。

「しんどかったですね。中学、高校と全国で勝たない年がなかった。大学1年目は70mも出たし納得できましたが、2年ではベストも出ないし、日本選手権にもやり投で出られない」

 それでも、地元に帰れば同級生たちが応援してくれたし、田内健二先生やディーン元気らも「絶対に投げられる」と励ましてくれた。「自分一人じゃないんだ」。そして、西日本インカレでの快投につなげた。

 この冬はドイツで練習を積むなど順調に過ごしている。左スネには、高校時代に手術した際のボルトが入ったままだ。競技を続ける限りはそのままいく。

「練習でも安定してきましたし、80mも見えてきたので、今年は春先にしっかり投げたいです。目標は学生記録(84m28)の更新。アジア大会を目指します」

“怪物”から一人のやり投選手として世界へ――。その第一歩が見られるかもしれない。

常に世代をリードしてきた石山は、やり投で世界を目指している(写真/中野英聡)

王座奪還に向けて・潮﨑 傑

 2016年の関東インカレ十種競技で優勝を果たした潮﨑傑(日大)。「やっとここまで戻ってこられました」と語ったが、昨シーズンは思うように結果がついてこなかった。

「自分は中学、高校とそれほど苦労せずに記録が出て、結果もついてきていた。そこに自分の甘さがあったんだと思います」

 潮﨑は中学時代、走高跳と四種競技を得意とし、全日中は四種競技、ジュニアオリンピックは走高跳で優勝した。滝川二高に進学し、八種競技でもその才能はすぐに開花。高2のインターハイ近畿地区大会では、史上初の6000点超えとなる6037点の高校記録を樹立。その勢いのまま、2年で全国の頂点に立った。

 190㎝の長身で、「こんな選手はなかなか出てこない。混成界の宝だ」。そんな声も聞かれた。だが、3年のインターハイ路線は腰を痛めた影響で力を発揮できず、悔しい思いを残して大学に進んだ。

 日大進学後は、1年時から「土台をつくる」というテーマで十種よりも個別の記録会などで徐々に成果を上げていく。円盤投と棒高跳という追加される種目もそつなくこなせるようになった。

 その結果、大学2年での関東インカレ制覇。しかし、昨シーズンは肩の脱臼癖が影響し、棒高跳で肩を痛めることが増えてしまう。

「ケガもそうですが、何より心が弱かったです。思うような結果が出ないと、どこかであきらめてしまうことがありました」

 十種競技は、2日間通して行う、すべてがうまくいくことなどない過酷な種目。だからこそ、あきらめず、泥臭く、気持ちを切り換えて挑まなければならない。

 後輩には、潮﨑の記録を塗り替えてきた田上駿(順大3年)、丸山優真(日大2年)といった、こちらも十種競技界を担う選手たちがそろう。同じ近畿出身で、丸山に至っては同じ大学。その強さも才能も、痛いほど感じる。だが、負けるつもりはない。

「やっぱり、大学で一番になりたいです。将来も続けていくつもりですが、大学の一番にはこだわりたいです」

 自分の心の弱さと向き合い、打ち克ったとき、潮﨑は大学陸上界の“王”として君臨する。

王座奪還を目指す潮﨑(左)。田上、丸山ら強力な後輩にも負けるつもりはない(写真/中野英聡)

臙脂の主将として・古谷拓夢

 古谷拓夢(早大)はインターハイ史上初めて110mH・400mHの2年連続二冠を果たし、13秒83の高校記録はいまだに破られていない。

「でも、ベストは大学2年の13秒73ですし、去年は更新できませんでした。たった0.1秒しか伸びていない。キープしていると思われても仕方ないです」

 そう悔しそうに話す。

 古谷は中学時代にジュニアオリンピックを制し、名門・相洋高に進学してからは110mHの高1、高2最高記録を次々と更新。400mHと共に国際大会で活躍している。まさに無敵だった。

 早大に進学してからも、関東インカレ3位、日本選手権2位、日本インカレ3位と好成績を収めた。2年時にはU20世界選手権110mH(ジュニア規格)に出場し、この種目で日本人初メダルとなる銅メダルを獲得。すべてが順調に見えた。

 迎えた3年目は、六大学対校でセカンドベストとなる13秒75で順調な滑り出しをしたが、その後脚を痛め、関東インカレ3位のあと、日本選手権では準決勝敗退。日本インカレも決勝で失格となるなど、苦しいシーズンだった。

「U20世界選手権でもメダルを取れて、『このままいけば大丈夫だろう』と、どこか自分でも甘さがあったんです。その気持ちのまま冬期練習に進んでしまった」

 実は、2年時の春に古谷の母が急逝。前日までは普通に連絡を取り合っていたという。

「そのシーズンは母のために、という思いでやっていました。それを引きずっていたこともあります。でも、この冬に実家に帰って、1年半過ぎてようやく向き合えた気がします」

 今年は原点に戻ろう。自分のためにしっかり競技をしよう。初めて寮に母の遺影を持ち帰った。

 古谷は、新シーズンの早大の主将となった。練習でも中心となって声を出し、雰囲気をつくっている。

「自分が明るく声を出すことで、後輩たちも自然に出すようになってくれればいい」

 相洋高の銭谷満先生は、常々「古谷のいいところは人間性」だと話していた。

「競技の面ではパワーもスピードも向上していますし、礒(繁雄)先生の下で成長できています。人間性の部分では、高校時代を思い出してゴミをきちんと拾うなど、もう一度原点に戻ってやっています。“銭谷先生なら何て言うかな”と考えながら」

 過去の栄光も、プライドもどうでもいい。後輩たちや女子選手にもアドバイスを求める。強くなるためなら何でもする。

「個人の目標は13秒5台。飛び抜けたいです。10台目からフィニッシュまでは気持ち。しっかり記録を残してアジア大会に出場したい。今が一番、陸上が楽しいんです」

 そのために、どこでどんなタイムを出す、と細かく設定している。

「早大で臙脂のユニホームを着て戦うからには勝ちたい。相洋高といういつも総合優勝を争うチームにいたので、その経験で引っ張りたい。男子はインカレでトラック優勝、女子は関東インカレ5位、日本インカレ3位を目標にしています」

 早大の主将として、稀代のハードラーとして、今年は突き抜けるための勝負の年となる。

昨シーズンはケガに泣いた古谷。復活、そしてタイトルに向け順調に過ごしている(写真/中野英聡)

止まるつもりはない・ヘンプヒル恵

 競技人生で初めての長期離脱だった。ヘンプヒル恵(中大)は昨年8月のユニバーシアードを前に故障し、後半シーズンはすべての試合を欠場。ユニバーシアードでは台北には帯同し、本人はギリギリまで出場したいと調整していたが、スタッフは止めるつもりでいた。

 今年の冬。ヘンプヒルは、中大伝統の群馬練習で雪が残る山を駆け上がっていた。

「少し脚が細くなった気がするんですが……気のせい? じゃ、大丈夫か!」

 まだ一部リハビリを行っているが、すでにほぼすべての練習に復帰している。やはり、女王は精神力も回復力もケタ違いだ。

「中学、高校も厳しい練習で強くなった。自分は練習しないとダメになる」

 そんな思いで京都文教高を卒業し、中大を選んだあとも、忙しく走り回る日々は変わらなかった。

 入学後、七種競技は昨年まで日本選手権と関東インカレ3連覇。インカレでは七種競技に加え、100mH、走高跳や走幅跳、ときにはやり投にも出場し、リレーでも激走した。昨年のアジア選手権でも2位となりロンドン世界選手権にあと一歩。そのツケが来たのか、昨年のケガにつながってしまう。狙っていた日本インカレ4連覇は2で途切れた。長期離脱は、少し休めというサインだったのかもしれない。

 高1から七種競技を始め、毎年必ず自己ベストを更新してきたヘンプヒル。それでも、「小さい記録の更新はいらない。6000点まで突き抜けないと」と、日本記録(5962点)の更新、そして初の大台突破を常に目指してきた。

 走幅跳の記録の波や、100mHのキレ味、走高跳の調子、投てきの一発など、まだまだ足並みがそろわない。それこそ七種競技の難しさであり、面白みでもある。

 ケガ明けのシーズン。不安もある。「少し様子を見ながらでいいんじゃないか」。そんな声もある。だが、いつも前を向いてきた。

「日本選手権でしっかり結果を出して、アジア大会に行くつもりです」

 七種競技で世界に行くのは私でありたい。もうすぐ、それを実現するための大事な一年が始まる。今年も、走って走って、走りまくる。

まだまだ完調ではないが、回復量も人並み以上。今季も走り続けるつもりだ(写真/田中慎一郎)

 中学時代に活躍した選手が高校でもトップクラスとなり、今もなお、世界に向かおうとしている。

「中学時代にトップ選手は世界に行けない」「高校強豪校は大学に行くと伸び悩む」

 陸上界には、そんなジンクスがある。

 もちろん、これまでも為末大や矢澤航(デサント)などがいるが、やはりきわめて稀有な存在だ。

 早熟なんていうのは他人が勝手に決めること。常識なんて関係ない。陸上界を変える。そんな想いが、いつも感じられる選手たちだ。

 ほかにも世界を目指す有力選手は多数そろうし、もちろん今季で引退を決意している選手たちもいる。すべての選手が9月に“やり切った”と胸を張れるように――高校時代から激闘を繰り広げてきた選手たちが迎える、大学ラストシーズンが幕を開ける。

文/向永拓史

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