2月4日、大阪城ホールで行われたU20日本室内(※今年20歳未満の選手が出場可)で、女子60mに出場した齋藤愛美が7秒39のU20室内日本新記録をマークして優勝を飾った。一躍注目を集めた高2シーズン、そして苦しんだ昨年から復活を遂げるまでを追った。
齋藤愛美にとって、倉敷中央高の青いユニホームを着て走る最後の舞台。60m予選のアップの時点で、調子が良いのがひと目で分かる走りだった。予選3組で7秒47。決勝では大会記録7秒40の更新が期待された。
「タイムはそれほど気にはしていませんでした。日本一を取るつもりで」
7秒40は、1992年の伊藤佳奈恵(当時・恵庭北高)と2012年に土井杏南(当時・埼玉栄高、現・大東大)がマークした記録。当時の室内日本記録だった。
「沖縄で行われている日本陸連の女子短距離合宿に、12月から月に1度参加させていただき、暖かいところで練習できていたので体は動きました」
森定照広先生からは、「冬期練習の確認、“中間テスト”だな」と送り出されたという。
中学時代にあこがれた青いユニホームを身にまとっての最後のピストルの音を聞いた。予選より「思い切って」飛び出し、前傾をしっかり意識。体が起きたときには誰も並べなかった。重心が腰からしっかり乗り込み、持ち味の力強い推進力と脚の回転は、200mでU20日本記録を連発した16年の好調時そのもの。
先頭で駆け抜け、フィニッシュタイマーは『7.40』で止まり、消えた。
「記録を見て、『え? (タイムが)違うんじゃない』と思いました。狙っていたわけではなかったですが、あのときと同じように『変わって』と思っていました」
16年秋の日本ユース選手権(現U18)。女子200mで、齋藤は自身が6月につくった23秒46のU20日本記録の更新を狙って爆走した。そのとき、フィニッシュタイマーは『23.46』で止まり、消えた。そして、『23.45』と表示され、0.01秒更新。そのときの光景が大阪でも再現された。
祈るような表情で確定を待つ齋藤。掲示された数字は、『7.39』だった。U20室内日本新は、“中間テスト”として満点合格だろう。高校最後のレースを見事な結果で締めくくった。
齋藤は中学時代から県内ではトップ選手だった。中3の全国大会200m8位入賞。高校進学後も、1年時から成長を遂げ、世界ユース出場など、陸上界では知られた存在だった。
2年生で迎えた16年シーズン。齋藤を取り巻く環境はさらに大きく変化した。春から好調を維持し、日本選手権100m・200mで2位。4×100mR日本代表にも選出された。夏には地元・岡山で行われたインターハイで、100m・200m・4×100mRの短距離三冠。2020年東京五輪代表と“ネクスト・福島千里”を期待され、地元メディアはもちろん、全国的に注目されることになる。
齋藤は明るく負けず嫌いな性格だが、元々それほど積極的に自分を発信するタイプではなかった。練習でも「入学当初は先頭で練習するタイプじゃなく、最初は先輩の後ろにくっついていた」と森定先生も以前に話していた。試合後のインタビューで記者に囲まれると、「目立ちたくない」と照れ笑いをしていたほど。
記録も伸び、代表にも選ばれた。そんなときには注目を集めるのも楽しいもの。しかし、そのプレッシャーは徐々に齋藤を苦しめることになる。
ちょうど1年前の室内大会を機に、その歯車は一気に狂い始めた。絶好調で冬期練習を積んでいたが、室内大会の直前に学校でインフルエンザが流行り、自身は感染しなかったが練習の中断を余儀なくされた。
室内60mは優勝したものの記録は思ったように出ず、靴擦れだと高をくくっていた右足の痛みは、アキレス腱炎でしばらくはスパイクを履くことすらできない日が続いた。さらに軽い貧血にも悩まされ、走れないストレスで間食も増えてしまう。一時は陸上から離れ、「やめたい」とさえ思うようになっていた。
17年シーズンが始まると、明らかに動きは変化し、そのスピードは影を潜めた。それでも、「勝たないといけない」「記録を出さないといけない」というプレッシャーが支配したまま、山形インターハイを迎えることになる。「戻ってきました! もう大丈夫です!」とレースのたびにインタビューに答えていたが、今までのように走れないのは自分が一番分かっていた。
連覇を期待されたインターハイは、一つもタイトルを取ることなく終わった。100mは準決勝敗退。得意の200mでは8位に終わった。中学時代も「8位」。齋藤は、同じ景色からリスタートを切った。
これまでも多くの選手が、こういった状況から下降線をたどり苦しむ姿があった。しかし、齋藤愛美は戻ってきた。
「自分には練習しかない。練習を積めば大丈夫」
10月上旬の愛媛国体では100m2位と復調の気配を見せ、その2週間後のU20日本選手権100mで優勝。U20日本記録を樹立した思い出の地で復活の一歩を刻むと、U20室内で完全復活を印象づけた。
「沖縄合宿のおかげ」と森定先生は謙遜するが、学校での練習の雰囲気も「原点に戻って、楽しく練習をしていますよ」と好調の要因を挙げる。
沖縄では、1月には前山美優ら先輩たちとセット走などを行い、手動で11秒台、24秒0をマークするなど、この時期では上々の仕上がり具合だったという。また、日本記録保持者の福島千里から「世界に行くんだよ」と声を掛けられ、高い意識をあらためて実感した。
何度も押しつぶされそうになった齋藤を突き動かしたのは、原点である「悔しい」気持ちと、「速くなって世界と戦いたい」という純粋な思い。そして、誰もがつぶされそうになる“記録保持者”という重圧に打ち克った、U20日本記録保持者としての矜持だった。
春からは関西の強豪・大阪成蹊大に進学する。親元を離れ、生活環境はガラリと変わる。
「今年はU20世界選手権(フィンランド)の200mで決勝にいくのが目標です。100mは11秒3台、200mは23秒1台を目指します。でも、一番は東京オリンピックにつながるように、リレーの代表として来年のワールドリレーズに出場するための標準記録を切りたい」
その表情に、もう一点の曇りもなかった。
「2年生のときは運を使い切って、去年は落ち込みましたがこの1年成長したと思います。彼女にとって幸運なのは、苦しいシーズンが高3で来たこと。家族もいたし、チームメイトが声を掛けて支えてくれました。齋藤は陸上が大好きです。真面目に、みんなから応援される選手になってほしい」(森定先生)
「森定先生は本当にいい先生です。倉敷中央高を選んで良かった」。齋藤は、二つ上の三宅真理奈(現・甲南大)にあこがれ同校に入学し、その背中を追って成長してきた。「最初はインターハイに出場したいという思いだけでした。それがまさか……」。今度は齋藤が後輩たちからあこがれられる存在となった。倉敷中央高のスローガンは「夢叶う」。大きな大きな夢を叶えた今、齋藤は次の夢に向かってはばたく。
これから先、ずっと順調にいくはずがないことは身を持って経験し、十分に理解している。それでも想像以上に厳しい、茨の道になるだろう。苦しくなり、逃げ出しそうになる。そんなときは原点に戻って、「夢叶う!」と、また走り出せばいい。
文/向永拓史
齋藤愛美(さいとう・あみ)/1999年8月26日、岡山県生まれ。162㎝・56㎏、O型。高梁中→倉敷中央高。小学生時代は2年から陸上クラブに通いながらサッカーやバレーボールも経験。2015年世界ユース代表、国体・日本ユース優勝。16年インターハイ三冠、高校タイトル三冠、17年U20日本選手権100m優勝。春からはチームメイトの野口理帆と共に大阪成蹊大に進学する。自己ベスト100m11秒57=U20&高校歴代3位、200m23秒45=U20&高校記録
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