2019年度、学生駅伝界における強豪校の主将を、埼玉栄高(埼玉)の同期が務めた。館澤亨次(東海大)、土方英和(国学院大)、中村大聖(駒澤大)の3人が大学卒業前に集い、高校時代の思い出から4年間の学生駅伝を振り返りつつ、将来の目標を語ってくれた。(陸上競技マガジン3月号から転載。取材は1月28日)

写真上=左から土方、館澤、中村。埼玉栄高時代の写真を手に(撮影/矢野寿明・陸上競技マガジン)

箱根の後はサカエ会が恒例

――本日は埼玉栄高(埼玉)出身の3人に集まってもらいました。大学に入ってから、3人そろっての取材は何度目ですか。

一同 いやー、初めてです。

中村 3人で「できればいいね」と話していたのですが。

館澤 いつかLINEでもそんなやり取りをしたよね?

土方 したした。僕が3年生で主将になったときだよ。そのタイミングで(中村)大聖と館澤も学年リーダーになって、この3人全員が主将になれば、面白いよねと話をしたでしょ。もし3人の取材が雑誌などで実現すれば、すごいねって。卒業間近の今回、やっと夢がかないました。

――実現して良かったです。高校同期の3人が、各大学で主将になるのは、そうないことだと思います。

中村 僕は駅伝主将なので、走りだけに徹すれば良かったのですが、この2人はチームをまとめる役割も担っていました。僕にはできなかったですね。

館澤 大したことはしていないよ。副主将の西川雄一朗(4年)が、すべてやってくれたから(笑)。

土方 僕は苦とも思わなかった。ありのままの自分で主将を務めていたから。

館澤 キャプテンらしいことをしていたのは、土方だけだよね?

中村 いろいろ話を聞いていると、相当すごかったみたいよ。

館澤 高校時代からイメージできていたよ。あの頃から後輩に指導できていたのは、土方だけだったから。

――埼玉栄高時代の主将は館澤選手でしたよね。

土方 実は最初は大聖だったんですよ。でも、いろいろあって……。

館澤 全日本の宮崎合宿から戻って来たら、突然、僕がキャプテンに指名されて交代したんです。そのとき、土方が副キャプテンになりました。

中村 詳しいことは、あまり覚えていないです(笑)。

――高校時代から仲が良かったのは、伝わってきます。大学入学後も、3人ではよく会っていたのですか。

館澤 試合以外で3人同時に集まるのは、年に1回、2回?

中村 そうだね。土方とはめっちゃ会っているけど。

土方 選手寮が近いから。

中村 つい先日もジョグで会ったし。

――今年の箱根駅伝の後も、この3人で会ったのですか。

館澤 はい。箱根が終わった翌日にいつも集まるんです。今年は埼玉栄高のほかの同期の家に集合しました。

土方 あの日は館澤が来られるのか、心配したよ。6区のダメージが気になっていたから。1月3日の閉会式のときも聞いたよね。明日、来れるのって。

館澤 電車で行くことになっていたら、相当しんどかった。でも、あの日は神奈川の実家に戻っていたので、親の車で連れて行ってもらったから。

――箱根駅伝の直後に、3人でどのような話をしたのですか。

中村 土方と館澤は2人で陸上の深い話をしていましたよ。

土方 卒業後のことだったり、練習の話とかね。

館澤 あらためて聞かれると、あまり覚えていない。深そうで、浅かったかもしれない。あの日は僕らよりも親が盛り上がっていなかった?

中村 そう、どんちゃん騒ぎ。

土方 親同士も仲がいいんです。

――3人で集まるときは、誰が幹事役を務めるのですか。

館澤 僕からみんなに声を掛けることはないですね。誘ってもらったら、行く感じなので。

土方 僕が仕切り役で、2人に連絡を入れています。

中村 館澤の返信は3日後なんですよ。

館澤 LINEは開かないことが多いから(笑)。いつの間にか通知がたまっていて見る気がなくなるんだよ。

中村 神奈川のあっち方面は、電波が届かないんじゃないの?

館澤 届くわ!

――3人の関係性が見えてきました。館澤選手はイジられ役なんですね。

土方 その通りです。

中村 こんな感じで7年も付き合ってます。イジりまくりです。

館澤 東海大でもイジられてました。

たてざわ・りょうじ/1997年5月16日、神奈川県生まれ。173㎝・64㎏。中山中(神奈川)→埼玉栄高(埼玉)→東海大。卒業後はDeNAで競技継続。

サカエの3人でタスキをつなげた!?

――場も和んできたところで、そろそろ陸上の突っ込んだ話もしますか。

館澤 高校時代に比べると、土方はものすごく強くなったと思います。関東インカレ2部のハーフマラソンで優勝するし、箱根ではいつの間にかエース区間を走っていたでしょ。今年度も出雲駅伝は持っていかれたし。高校であの走りを見せてほしかった。高校時代は僕の方が速かったのになあ。今ではハーフでは絶対に勝てない。敵チームになってから、強くなるのはやめてほしいよ。

中村 館澤とはよく話したよね。「土方は、なんであんなに強くなっているんだ」って。

館澤 高校の頃は貧血やケガも多く、伸び悩んでいたからね。

土方 確かにダメだった。2人は1年から都大路を走って、強くなっていったけど、僕は走れなかったから。あそこで走れた人と走れなかった人の差は大きい。ただ、大学に入ってから周りの人に「なんで埼玉栄は都大路で19位だったの?」と言われるので、そのときは「自分が走っていなかったから」と答えています(笑)。高校時代に最初に走った5000mの3人の順番を覚えている?

館澤 覚えているよ。

土方 大聖が1番、僕が2番、館澤が3番。2回目は僕が1番(笑)。ほとんどタイム差はなかったけど、3年になると、僕は2人に40秒差くらいつけられていた。

中村 でも、大学1年目はうらやましいと思ったよ。僕は走れなかったから、テレビで2人の走りを見ていた。

館澤 1年目はきつかった。5区で区間13位だったし。土方は?

土方 うーん、3区で区間18位。

――今、わざと聞きましたか?

館澤 いやいや(笑)。2年目の箱根は、びっくりした。土方は4区で3位でしょ。3年目は、僕も同じ区間(2位)を走ったんだよ。

土方 そうだね。僕の方が区間タイムは1秒速かったけどね。

中村 そうなの?

土方 1秒でも負けられないから。館澤の2年目は8区でしょ?

館澤 実はあのとき、直前のレースで失速していたこともあり、走ると思っていなくて。3日前に言われたんだよ。でも、結果は区間2位。土方に勝ったって思ったよ。

土方 あの年は埼玉栄勢がみんな快走したね。先輩だけど、東洋大の小笹椋さん(現・小森コーポレーション)は10区で区間賞、国学院の内田健太さんも7区で区間5位だった。

中村 僕は走れなかったけど、2年目は調子が良くて、それだけに残念で。練習をやり過ぎて、ケガをしたから。2年目は悔しさしかない。本当は10区を走る予定だったのに……。

館澤 10区? それは知らなかった。

――大学3年目は3人全員が箱根を走りました。恒例の“1月4日の栄会”では何を話したのですか。

土方 いろいろと。3年目は僕が2区で、大聖が3区で、館澤が4区。みんな中継所ですれ違っているはずだよねって。いま思えば、栄の3人でタスキをつなげたね?

中村 確かに!

館澤 4区で大聖からタスキをもらっていれば、もっと速かった(笑)。

中村 正直、僕は初めての箱根で余裕がなかったから、土方にも館澤にも気づかなかった。駒澤は2区で中継所での出遅れがあったし「絶対に遅れるなよ」と言われて、集中していた。

館澤 あー、そんなこともあったね。もう1年前かあ。今年度が濃すぎて、もう昔に感じてしまう。

ひじかた・ひでかず/1997年6月27日、静岡県生まれ。165㎝・52㎏。新松戸南中(千葉)→埼玉栄高(埼玉)→国学院大。卒業後はHondaで競技継続。

パリ五輪では全員で日本代表に

――では、館澤選手が「濃すぎた」という4年目の話に移りましょうか。

館澤 僕は人生初の大きなケガをして、出雲駅伝も全日本大学駅伝も走れませんでした。箱根も厳しいかもと思っていたので。11月の上尾ハーフではジョグしていましたし。

中村 上尾に出た駒澤のチームメイトたちから「館澤はムチムチだった」という話は聞いたよ(笑)。

館澤 1カ月で4㎏やせたんだよ。

中村 でも、箱根までには間に合うといううわさも聞いていたよ。

土方 僕もそう思った。ただ、まさか6区とは。8区か10区と思った。

中村 そう、走っても4区くらいと思っていたら、6区。

館澤 今年は勝てると思っていたので、個人的には10区で走りたかった。9区までに差が開いていれば、1㎞3分ペースくらいでいいだろうって。それで、最後にフィニッシュテープを切らせてもらえば、こんなおいしいことはないぞと。

――そんなことを言いながらも、6区では驚きの区間賞でした。

土方 びっくりしたけど、最後にやるのが館澤。距離が長くて、最も苦手といっていた箱根で区間賞でしょ。僕と大聖もそこを目指していたのに。

中村 館澤はスタートラインに立てば、やっぱり走るよね。1500mをやっていたんじゃないのって(笑)。

館澤 僕も自分自身で驚いた。あんなに速く走れると思っていなかった。設定は58分台だったので、57分台が出るとは……。区間新だよって。

土方 国学院の主将としてはハラハラどきどきした。2位の島﨑慎愛(2年)に後ろから迫っていたでしょ。

館澤 もうちょっとだった。最後の直線で頑張れたのは、国学院のおかげ。背中が見えたから振り絞れた。

中村 応援の声、聞こえた?

館澤 え!? どこにいたの?

中村 ラスト1㎞地点で、「タテザワ!」と大きな声で叫んだよ。

館澤 あ、思い出した! 最初に駒澤の山下(一貴)を見つけて、その隣に大聖もいたなあ。

――復路の話で盛り上がりましたが、1月2日の往路は?

館澤 東海大の選手ばかりを見ていました。僕自身、6区が不安だったので。東洋大の今西駿介(4年)が後ろに30秒差くらいでいると、やばいなとか。頼むぞって。1区の大聖はきつそうに見えたよ。

中村 しんどかったね。

館澤 2区は土方が引っ張っていたので、「頼むぞ、塩澤稀夕。後ろに付いていけ」と思っていました。でも、2区で引っ張る勇気はすごいよ。

土方 引っ張らされたけど、あの場面は行かざるを得なかったから。

――箱根では結局、3人が同じ区間で走ることはなかったですね。それでも、4年目は中村選手と土方選手は、同じレースで競い合いました。

館澤 3月の日本学生ハーフは悔しかった? 土方もユニバーシアードまであと一歩だったしね。

土方 ラスト1㎞で10秒も離されたので完敗。悔しかったのは大聖と館澤がユニバーに出場しているのを見たとき。

館澤 学生ハーフは土方が優勝すると思っていたんだけどね。大聖が2位になるとは思っていなかった(笑)。

中村 あのときは調子が良かったから。

館澤 出雲でアンカーの2人が競っているのを見たときは、悔しかったなあ。僕も出たかった。

土方 前日、館澤には連絡したよね?「刺激を与えられるように頑張る」と。

館澤 4位でタスキを受けた土方が、先頭の大聖を抜いたら、すごいぞと思っていたら、本当にそうなった。もらったみたいな顔していたね?

土方 そんなつもりはなかったけど、顔はそうだったかも(笑)。

中村 完全にやられました。土方が強かった。お手上げです。

――土方選手と中村選手の勝負は、卒業後に持ち越しですね。3人の将来の夢を教えてください。

館澤 僕は中距離で常に世界大会の決勝レースに残れる選手を目指したいです。日本の1500mといえば、館澤と言われるようになればなと。

土方 僕は2人のように日の丸を背負ってレースに出たことがないので、まずはどの種目でも日本代表を目指します。マラソンで戦える選手になり、パリ五輪、ロサンゼルス五輪に出たい。実業団のHondaでは、ニューイヤー駅伝の初優勝に貢献したいです。

中村 昨年、ユニバーシアード代表で日の丸をつけてハーフマラソンに出場しましたが、次はマラソンの日本代表として世界と戦いたい。土方とマラソンの代表争いができれば、いいですね。

――次はパリ五輪前にこのような集まりが実現すればいいですね。

一同 頑張ります!

なかむら・たいせい/1998年3月28日、埼玉県生まれ。177㎝・55㎏。上尾東中→埼玉栄高(共に埼玉)→駒大。卒業後はヤクルトで競技継続。

取材・構成/杉園昌之 写真/矢野寿明

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