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2021-03-14

【ボクシング】伝説のチャンピオン、マービン・ハグラー氏が死去

ミドル級史を彩ったレジェンド、ハグラー氏

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1980年代、無敵の世界ミドル級チャンピオンとして君臨した“マーベラス”・マービン・ハグラー氏(アメリカ)が13日、自宅のあるアメリカ・ニューハンプシャー州で死去した。66歳だった、妻のケイ氏が公式フェイスブックで明らかにしたもので、詳細はまだ明かされていない。

 突然の訃報だった。一部報道では、胸部の痛みと呼吸系のトラブルがあったと伝えられているが、速報段階ではこの偉大なボクサーの直接の死因は知らされていない。ただ、早くもニュースは世界を駆けめぐり、多くのボクシングファンは悲報に驚き、ショックを受けている。ESPN.comでは速報を打ち、かつてハグラーの試合の多くをプロモートしたボブ・アラム氏は「トップランクプロモーションの試合に登場した最高のボクサーだった。彼は真の男だった」とコメント。PBC(プレミアボクシング・チャンピオン)もそのサイトで速報している。

 ハグラー氏は1954年5月23日、アメリカ・ニュージャージー州ニューアークに生まれ、マサチューセッツ州ボストンの南30㎞のブロックトンに育った。1973年5月、ボストンで開催されたアマチュア全米選手権ミドル級で優勝。その決勝から6日後の18日には、早くもプロデビュー戦を行い、KO勝ちを飾っている。

 アマチュアで52勝(43KO)2敗(一説には57勝)の戦績を残したサウスポーは、ニューイングランドのリングで快進撃を続けた。74年8月には、1972年ミュンヘン五輪金メダリストのシュガー・レイ・シールズ(アメリカ)に判定勝ちし、初めて注目を浴びる。その後、2度の敗北を経験したが、1977年には同じマサチューセッツでアマチュア時代からのライバルだったマイク・コルバート(アメリカ)をKOで破り、同州公認の世界ミドル級チャンピオンにもなっている。

 1979年には世界ミドル級タイトルに初めて挑み、ビト・アンツォフェルモ(アメリカ/イタリア)と引き分け。1980年にイギリスに遠征し、地元のWBA・WBC統一チャンピオン、アラン・ミンターを3ラウンドでストップして、初めてメジャーの世界チャンピオンシップを手にした。

 このタイトルは7年間も守り、12度の防衛に成功。“石の拳”と呼ばれた、これまた伝説の強打者ロベルト・デュラン(パナマ)戦以外の11度の防衛戦は、すべてKO・TKO勝ちという圧倒的な強さを誇った。アンツォフェルモとの再戦、25戦オールKOの“ザ・ビースト”ジョン・ムガビ(ウガンダ)、タフなラフファイター、ムスタファ・ハムショ(シリア)などファンを痺れさせる痛快なKO劇を連発。とくに“ヒットマン”トーマス・ハーンズ(アメリカ)と死闘に等しい打撃戦の末に、3ラウンドでストップした一戦は史上に残る名ファイトだった。

 1987年、3年ぶりに再起してきたウェルター級、スーパーウェルター級の元チャンピオン、シュガー・レイ・レナード(アメリカ)に微妙な判定負け。これを最後に現役を退いた。

 引退後は、イタリアに移住して、俳優をしていた時期もあった。
 プロ戦績は67戦62勝(52KO)3敗2分。サウスポー主体のスイッチヒッターで、ハードパンチャーでありながら、きわめてすぐれた技巧派だった。安定感抜群のペースメイクから着実に追い詰め、仕留めにかかる凄味は圧巻。フックをほとんど用いず、ストレート中心に切り崩す秘術の持ち主でもあった。さらにレナード、ハーンズ、デュランとともに四天王として、1980年代、中量級ボクシングの黄金時代を彩った空前のファイターでもあった。

写真/ゲッティイメージズ

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