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2021-03-29

【プロレス】1986年6月19日、アントニオ猪木がIWGP決勝を丸坊主で臨んだ理由とは?

第4回IWGP決勝はアントニオ猪木vsディック・マードック

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今から35年前の1986年、プロレス界で起きた出来事を振り返る。アントニオ猪木が丸坊主でリングに上がった理由とは?

 1986年6月19日、新日本プロレスの看板ロングランツアー「第4回IWGPチャンピオン・シリーズ」の決勝がおこなわれた。

 決勝のカードはアントニオ猪木vs ディック・マードックだった。Aブロックの燃える闘魂は大本命。しかし、Bブロックは伏兵が勝ち上がってきた。

 猪木はシリーズ中に雑誌「フォーカス」にスキャンダル写真を撮られたことに対する“男のケジメ”で丸坊主に。リーグ戦は坂口征二にリングアウトながら初めて敗れたが、アンドレ・ザ・ジャイアントに世界で初めてギブアップ勝ち(腕固め)。第2&3回の覇者が堂々の決勝進出だ。


 Bブロックは藤波辰巳と前田日明のどちらかと思われていた。両者は6・12大阪城における公式戦で同年のプロレス大賞ベストバウトを受賞する死闘を展開。しかし、藤波はこの一戦で右目の上を裂傷。6・17名古屋の上田馬之助戦が不戦敗となってしまい、勝ち点を伸ばすことができなかった。

 一方の前田はマードックとの優勝戦進出者決定戦で敗北。世紀の大一番と言われていた猪木戦はまたしても持ち越しとなる。

 決勝は猪木がマードックからIWGP決勝史上初めてピンフォールで勝利。3連覇を成し遂げたが、何とも言えない後味の悪さも残った。

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