3月25日、福島県からスタートしたTOKYO2020の聖火リレーは、33個目の都道府県となる富山県につながれている。世は新型コロナウイルスとの戦いの途上、それでもオリンピックのシンボルが日本全国、希望の道をつないでいく。
さて57年前、日本で初のオリンピック開催となった1964年東京大会の聖火リレーの全正走者名簿が、当時小社が発行した『スポーツ・マガジン』10月号に掲載されている。
1964年9月9日、鹿児島県、宮崎県、北海道の3カ所からスタート(北海道スタートの聖火は青森県で二手に分かれた)し、10月10日の最終ランナー坂井義則氏まで、その数、全4341人。これはそれなりに貴重な資料だろう。
1964年10月に発行された『スポーツマガジン10月号』の表紙。ここに聖火ランナー(正走者)4341人の全リストが掲載されている57年前の聖火リレーは4つのコースに分かれて日本国中を巡り、皇居前で一つにまとまって国立競技場まで繋がれたインターネットという新たな情報伝達ツールが全盛を迎えている今、57年の時を経て改めて、紛れもなく1964年東京オリンピックの一部を彩った聖火ランナーたちの名前を、歴史と記録に刻み直すことが当社の使命であると考えた。
今年の聖火リレーが走るタイミングに合わせて、「57年前の聖火ランナー(正走者)」の名前を、都道府県別にリレー方式で刻んでいくこの連載。
第33回目の今回は「富山県」。
1964年10月1日、石川県から小矢部市で引き継いだ聖火は県内北部の国道8号線沿いに東へと走る。高岡市、富山市、滑川市と経由して、10月2日に新潟県へとつながれた。
余談だが、“オリンピックおじさん”の愛称でおなじみの山田直稔さん(故人)は富山県出身。
1964年の東京オリンピックの観戦をきっかけに、その後2012年のロンドン五輪まで、なんと夏季13大会連続で現地に馳せ参じ、ド派手な格好と応援で日本選手団を鼓舞し続けた(日本選手団が参加をボイコットした1980年のモスクワ五輪も現地観戦している)。
山田さんは1964年当時、すでに38歳。地元を離れて会社を設立していたが、きっと地元・富山を走る聖火を応援していたことだろう。
山田さんは2019年の3月に亡くなったが、生前は2020年、66年ぶりとなる地元・東京大会での応援を心待ちにしていたという。
57年前に富山を駆け抜けた聖火ランナーの正走者72名は、こちらだ。
※氏名は『スポーツ・マガジン 10月号』に掲載された情報通りです。 1964年東京オリンピック聖火ランナー【富山県】
1964年10月1日〜2日 第1コース 72名
1 柴 美智子
2 山水 裕
3 山本 清
4 松尾 秋生
5 江向 耕一郎
6 竹内 絹子
7 黒川 恒子
8 山本 久男
9 藤井 成正
10 山崎 彰
11 大橋 軒司
12 杉本 ゆき子
13 高藤 千鶴子
14 金森 勝
15 西岡 良夫
16 林 貞宰秀
17 赤田 純三
18 石丸 徳幸
19 北本 宏
20 石丸 憲次
21 川腰 喜久雄
22 萩野 英和
23 四柳 政吉
24 宮島 久雄
25 桑原 幸夫
26 藤井 勝之
27 藤田 朗
28 武部 尚志
29 柴田 美和子
30 四十万 隆
31 永森 真佐子
32 開発 邦彦
33 中田 十二
34 高森 博之
35 中村 和郎
36 青山 裕照
37 宮成 与一
38 姿 善元
39 表 稔和
40 堀井 信義
41 高原 一和
42 河合 友久
43 吉井 美恵子
44 清水 卓児
45 安川 希久男
46 藤元 宗義
47 島 安夫
48 宮坂 満夫
49 常楽 真佐子
50 大門 孝信
51 橋崎 秋吉
52 有沢 等
53 河上 幹雄
54 高橋 進
55 飯野 吉明
56 森丘 芳郎
57 得能 真昭
58 飯田 喜七
59 米沢 克信
60 守山 弘親
61 多筥 秀正
62 藤塚 正一
63 三日市 寛司
64 坂東 慶幸
65 堀内 武志
66 館田 靖彦
67 松本 研一
68 松浦 美津子
69 柳本 勝弘
70 長津 博子
71 安養 博美
72 横山 政則
次回の1964東京五輪聖火ランナー全リストは6月4日に「新潟県編」を掲載予定です。