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2021-08-12

【アメフト】カレッジの名将ボビー・ボウデン死去 フロリダ州立大を率いディビジョンIで357勝、史上2位

オハイオ州カントンの「プロフットボール栄誉の殿堂」式典会場では、ボウデンの姿が大スクリーンに映し出され、全員で黙とうをささげた=photo by Getty Images

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米カレッジフットボールの歴史的名将だったボビー・ボウデンが、現地8月8日死去した。91歳だった。米スポーツ専門局ESPNなどによると、死因は膵臓がんだった。ボウデンはフロリダ州立大学のヘッドコーチ(HC)を34シーズンに渡って務め、304勝を挙げるなど、3つの大学で通算377勝を記録した。うち、ディビジョンIで357勝は、ペンシルバニア州立大学のジョー・パターノの409勝に続く史上2位だった。

  亡くなった8月8日は、奇しくも、マイアミ大学HCからNFLカウボーイズに転出して大成功を収めたジミー・ジョンソンのプロフットボール栄誉の殿堂入り式典が行われた日だった。同じフロリダ州のライバルチームとして、ボウデンとジョンソンは激しく戦った間柄だった。オハイオ州カントンの式典会場では、ボウデンの姿が大スクリーンに映し出され、全員で黙とうをささげた。

  ボウデンは1929年生まれで、アラバマ州バーミンガムの出身。少年時代に大病を患ったりしたが、高校では回復し、QBとして活躍した。憧れていた地元のアラバマ大学に進んだが、2年からハワード大学(現在のサムフォード大学)に転校した。ハワード大ではQBとして活躍し、卒業後はフットボールコーチとなる道を選んだ。

  初めてHCとなったのは30歳。その後、フロリダ州立大のWRコーチを経て、ウェストバージニア大のオフェンスコーディネーターからHCに昇格した。この1970年11月に、カレッジフットボールの歴史に残る悲劇が起きる。ウェストバージニア大のライバル校だったマーシャル大フットボールチームが、遠征先からの帰途、旅客機事故に遭い、選手やコーチ、支援者ら60人以上が犠牲となったのだ。
 
  ボウデンは、マーシャル大のジャージを着用してプレーしたいと申し出るがNCAAに却下された。それでも、マーシャル大の後任HCになったジャック・レンゲルと、新コーチ陣のために、ウェストバージニア大のプレーブックを見せ、試合分析用のフィルムを見せた。ボウデンがマーシャル大に伝授したヴィアーオプションは、OLが弱いチームのためのものだったという。

  ウェストバージニア大の7シーズンで6回勝ち越したボウデンは実績を認められ、フロリダ州立大のHCに就任した。1年目の1976年こそ負け越したが、後はずっと勝ち越しを続けた。

   1987年からは14年に渡ってシーズン10勝以上をマークした。この時代、カレッジフットボールはボウルゲームを含めても1シーズン12試合か13試合だった。フロリダ州立大は14年間で152勝19敗1引き分け、勝率8割8分8厘という驚異的な成績を記録した。14年続けて、AP通信と全米コーチ投票の両方で5位以内に入り続け、この間ボウルゲームも11勝3敗だった。全米王者にも2度輝いた。

  NFLの名選手も数多く輩出した。CBディオン・サンダース、LBデリック・ブルックスという、ディフェンスの2大スターをはじめ、LBピーター・ボウルウェア、Sリーロイ・バトラー、Tウオルター・ジョーンズ、RBウォリック・ダン、WRアンクワン・ボールディン、QBブラッド・ジョンソン、Kセバスチャン・ジャニコウスキーら、ポジションを問わなかった。QBチャーリー・ウォードのように、ハイズマントロフィーを受賞しながら、NFLへ進まず、NBAで活躍する選手もいた。

 2000年代に入ってから、フロリダ州立大の成績は少しづつ落ち始めた。1991年に加盟したアトランチック・コースト・カンファレンス(ACC)では、当初は当たり前のように優勝していたのが、他校の後塵を拝するようになった。2006年には、ACC内で3勝5敗と負け越しの屈辱も味わった。ボウデンが実子のジェフ・ボウデンをオフェンスコーディネーターに起用していたことが露骨なネポティズム(縁故主義)と批判を浴びた。

 2009年のシーズンを最後にボウデンは引退した。80歳になっていた。その後には、選手の学業スキャンダルも発覚し、2006年と2007年の2シーズンから12勝を取り消された。通算成績は377勝129敗4引き分け。ディビジョンIの歴代最多勝を争っていた、ペンシルバニア州立大のジョー・パターノも、ほどなくして、部下の性的虐待を握りつぶしていたとして辞任に追い込まれた。

   ◇

 ボウデンの死去に当たって、教え子で、今はカレッジフットボール、ジャクソン州立大のHCを務めるディオン・サンダースは
「神様、どうか、ボウデンさんの家族、友人、彼が愛した人たちに恵を与えてください。私の祈りはあなた方と共にあります。私はこれまでに教わった最高のコーチの1人を失いました」とツイッターに投稿した。

 ボウデンの力は、フィールドだけでなく、リビングルームでも発揮された。優しく穏やかな人柄で、リクルートしようとする選手の父母や祖父母を、家庭訪問で虜にした。

 優れた高校生LBだったデリック・ブルックスをリクルートするため、ボウデンが彼の自宅を訪れた時に、ブルックスの幼い妹がボウデンの膝の上で眠ってしまった。その状態で、ブルックスの母に熱心に話をするボウデン。母の顔を見たブルックスはフロリダ州立大学進学を決めたという。

 現在、ノースカロライナ大のHCを務めるマック・ブラウンは「有望な選手をリクルートする時、ボウデンとの争いになったら、勝ち目はなかった。彼は、『家』にいるときも、気をつけなければいけない相手だった」と語っている。

 「コーチ・ボウデンは、私たち全員にとって父親のような存在だった」と、1997年のオールアメリカン選出DE、アンドレ・ワズワースは話した。
「初めてチームに参加した日、コーチは我々に、結婚するまでは女性とベッドを共にしてはいけないと言った。また、21歳になってもお酒を飲んではいけないとも言われた。彼は私たちを息子のように扱うと言い、その通りにしてくれた。彼はフットボール以上に私たちのことを大切にしてくれた」。

 ボウデンが、憧れのアラバマ大に入学しながら転校したのは、高校時代からの恋人と結婚するためだった。当時のアラバマ大は新入生は結婚できないルールがあったので、ボウデンはフットボールよりも愛を選んだ。その恋人アン・エストックさんが、72年以上に渡って連れ添い、最期を看取ったアン夫人だった。

 ボウデン夫妻は6人の子ども、21人の孫に恵まれた。子どものうち、長男のトミー、次男のテリー、三男のジェフがフットボールのコーチになった。トミーはACCに所属するクレムゾン大学のHCとなり、9回にわたって、父の率いるフロリダ州立大学と対戦。メディアからは「ボウデン・ボウル」と名付けられた。次男のテリーはオーバーン大学のHCとなった。

 ボウデンの葬儀は、現地8月14日にフロリダ州立大学のキャンパスで行われる。また、13日にはフロリダ州立大学のドーク・キャンベル・スタジアムで、日曜日には母校のサムフォード大学のキャンパスで、一般の人も参加したセレモニーが開かれるという。

【小座野容斉】

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