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2021-10-26

【泣き笑いどすこい劇場】第4回プレゼントその4

横綱北の湖から初勝利を挙げた玉ノ富士は殊勲賞を獲得(右)。中央は敢闘賞の朝潮、左は技能賞の増位山

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寒い時期、心温まる話を聞くのはうれしいものです。平成22(2010)年に突然、全国的に広がった、さまざまな事情から養護施設で暮らす子どもたちに幸せのおすそ分けをする“タイガーマスク運動”もその一つですね。思いがけないプレゼントをもらったり、あげたりすると、もらうほうも、あげるほうも、心豊かになります。今回のキーワードは「プレゼント」です。

ポンとン十万

弟子の喜びは師匠の喜びであり、弟子の悩みや苦しみは師匠の悩みや苦しみだ。世の中には、どこからいっても勝てない鬼のようなヤツがいる。

玉ノ富士(元関脇、先代片男波→楯山親方)にとって横綱北の湖がそうだった。北の湖が横綱に昇進した翌年の昭和50(1975)年夏場所から5年がかりでなんと19連敗もしているのだ。

これだけ負け続けると、もうどうしていいか、わからなくなる。しかし、どんな記録だっていつかは途切れるときがくる。

昭和54年秋場所8日目、玉ノ富士はいつものようにかち上げてくる北の湖に、思い切って右に変わって上手を取ると、振り回すようにして体を入れ替え、左ハズで寄ると、さしもの北の湖も土俵を割った。実に20戦目の勝ち星だった。

「あの頃の北の湖は前後左右、どこからいってもスキがないというか、とにかくどうしようもないぐらい強かった。もう悔しくってね。朝青龍に28連敗した琴光喜が夜中に目が覚めて思わず吠えたという話があるけど、その気持ち、よくわかるよ。それだけに、やっと勝ったときはなんとも言えない気持ちだったな」

と玉ノ富士は当時を振り返って話している。部屋に戻ると、師匠の先々代片男波(元関脇玉乃海)が、

「よくやった」

と自分から握手を求め、

「さあ、これで一杯飲んでこい」

とポンとご祝儀をくれた。中身は20万円だったという。いまから40年前の20万円だから、いまでは50万円以上の値打ちがある。口にこそ出さなかったが、師匠も愛弟子の連敗に相当イライラしていたことが、この大盤振る舞いでうかがえる。こういう熱い師弟関係っていいですね。

月刊『相撲』平成23年2月号掲載

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