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2021-11-12

藤波辰爾に新日本プロレス退団を決断させたのは…家族の一言「もういいんじゃない」とユークスへの身売り【週刊プロレス】

新日本社長時の藤波辰爾

 藤波辰爾は旗揚げメンバーだけに新日本プロレスへの思いは人一倍あったはず。しかし2006年6月30日付で退団。離れようと決断したいきさつ、そして一番の理由は?

「家族ですね。毎日、重いものを持って会社から帰るわけですけど、それがわかるみたいなんですね。そんな姿を見るのがいたたまれないっていうか。ある日、食事をしてる時に、息子(LEONA)だったか女房(伽織夫人)だったか忘れたけど、『もういいんじゃない』って言葉がポツッと出たんです。

 それで自分も立場が楽になったっていうか。それが新日本を離れようっていう決断につながりましたね。選手の離脱があったり危機的状況になったりもしたけど、僕は新日本プロレスという船といっしょに沈むんだろうなっていう覚悟でいたからね。だからそれまでは新日本プロレスを離れるとか退社するなんて思ってもいなかった」

 その前年の2005年11月14日、創業者である猪木が「ユークス」に株を売却して身売りした。それも退団への大きな要因となっている。

「自分としては信じたくなかったね。猪木さんは僕らとは違う部分で、いろいろ考えたんでしょうけど。でもあれで、自分の中で新日本プロレスとの糸がプツッと切れた感じだった。猪木さんが身売りしてなかったら、さっきも言ったように自分は新日本プロレスと運命を共にしてただろうね」

 新日本を退団して「無我ワールドプロレスリング」を旗揚げ。のちに「ドラディション」改称してリングに上がり続けている藤波。最後に今後のプロレスについて尋ねてみた。

「プロレスはいろんな形でこれからもどんどん変わっていくでしょう。団体が減っていくのか増えていくのかはわかりませんけど、なくなることはないでしょう。

 いろんな形で皆さんが応援してくれてますから。応援してくれる形も変わってきてますし、選手の表現の仕方も変わってきてるけどね。ただプロレスがどう変わっていこうと、忘れてはいけない部分がある。その一つが『リングの上は闘いなんだよ』ということ。殺し合いじゃない。そういう心得を持ってリングに上がってほしい。

 その中でドラディションとしては、自分が闘っていく上で楽しくないと。そうじゃないと、見に来てくれるお客さんもそれを読み取ってしまう。リング上で自分が四苦八苦してる、苦悶してると、リング外のいろんな部分で疲れてるんじゃないかという部分が伝わってしまう。ドラディションでは自分だから提供できるものを見せていくべきかなと思ってます」

 2015年3月、WWEの殿堂入り授賞式で「自分にはまだミッションがある」とスピーチした藤波。昭和のプロレス、力道山が築き上げジャイアント馬場&アントニオ猪木がそれをさらに昇華させたプロレスの深み。それが体にしみ込んでいる藤波が、試合を通じてそれを伝える。プロレスが決してなくなってはいけない部分である。

(おわり)

橋爪哲也

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