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2022-03-06

スマイルスポーツ・コンビ対談 早瀨憲太郎×早瀨久美(デフリンピック自転車競技) 夫婦でデフリンピックのメダル獲得へ

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今年5月、ブラジルで開催されるデフリンピックの自転車競技に夫婦で日本代表として参加する早瀨夫妻(Photo : Smile Sports)

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聴覚障害者のスポーツの祭典「デフリンピック」が5月にブラジルのカシアス・ド・スルで開催される。同大会の自転車競技に夫婦で3度目の出場を果たすのが、早瀨憲太郎選手と早瀨久美選手だ。夫婦でデフリンピックを目指すようになった経緯や、同じ競技に取り組むことの利点、そしてデフリンピックでの目標を、スマイルスポーツの取材を通じて伝えてくれた。(手話通訳:田村梢)

――お二人がデフリンピックを目指そうと思ったきっかけを教えてください。

久美  私は元々、薬剤師の立場からデフリンピックに関わるようになったんです。普段使っている薬でも、スポーツのときには認められないという薬もたくさんあります。でも、そうした知識は一般の薬剤師にはなく、また資料もほとんどありませんでした。世界的にドーピングに厳しくなっていくなか、2009年にアンチ・ドーピングの研修を受けた薬剤師が認定されるスポーツファーマシストという資格ができて、それを取得しました。ちょうど同時に開催される2009年台北デフリンピックで、日本選手団が使用する薬を用意するという仕事を担ったんです。

憲太郎 僕は塾を経営しているのですが、卒業生に2009年台北デフリンピックの日本代表になった子がいました。妻は仕事で関わっているし、僕の教え子が出場するということで、二人で応援に行きました。




――2009年の台北大会でお二人はデフリンピックと接点を持ったのですね。

憲太郎 僕はろう学校の先生になりたいという夢があったのですが、夢を叶えられず、フリースクール、そして塾を立ち上げました。自分で自分の道をつくってきたものの、夢を叶えられなかった悔しさがありました。そんなときに教え子が夢に向かって頑張る姿を見て、自分も夢を求めて生きていく、そんな人生をもう一度やってみようと思って、デフリンックに出たいという気持ちが芽生えました。大好きな自転車競技がデフリンピックにあることを知り、自転車で目指そうと思って妻を誘い、一緒に目指すことになりました。

久美 最初の頃は自転車競技には興味がありませんでした。サイクリングは好きでたまにグルメライドに行くくらい。主人の自転車大会の応援やサポートをしていくうちに少しずつ興味が出てきたんですね。

憲太郎 レースで僕が転んだりとか、結果が出なかったりしたときにダメ出ししてくるんです。思わず「じゃあ自分がやってみろよ」と言ったら「私のほうがうまく走れる!」と妻も自転車競技を始めることになって。あれよあれよと上達して1~2年でレースで勝てるようになりました。そしてまさかデフリンピックでメダルも獲ってしまうとは。

久美 初めて出場した2013年ソフィアデフリンピックのときに、女子のマウンテンバイクが初めて行われたんです。とにかくやってみようという気持ちでエントリーさせてもらったら、あら?という感じでメダルを獲ることができました。メダルは嬉しかったのですが、それ以上に聞こえない人たちが集まった世界大会の雰囲気がすごく好きだなと思いました。デフリンピックという場で海外のろう者と触れ合う、そういう楽しさに目覚めたんです。自転車も楽しいし、スポーツを通していろいろな国の聞こえない人たちと出会うことができる。海外のろうの選手、スタッフともっと話したいと思って国際手話も身につけました。


2017年のデフリンピックでの憲太郎選手(Photo : 一般財団法人全日本ろうあ連盟)


2017年のデフリンピック マウンテンバイク女子の表彰式(Photo : 一般財団法人全日本ろうあ連盟)


――デフリンピックでの目標とこれからの夢を教えてください。

憲太郎  今までもメダルを目指して頑張ってきましたが、デフリンピックの目標はやはりメダルです。メダルの色にこだわるよりは、自分に納得できる結果を出せれば最高かなと思います。また、いずれは日本でデフリンピックを開催したいという思いもあります。僕が2009年に台湾でデフリンピックを見て人生が変わったのと同じように、この大会は、聞こえる・聞こえないに関係なく、いろいろな感動があって、多くの国民の人たちに大きな影響を与えることができると思います。とても素晴らしい大会なので、デフリンピックを日本で開催できるように力になりたいと思っています。

 
久美 次のブラジル大会は私にとって3回目のデフリンピックになります。2大会とも3位だったので、今回も3位かな(笑)。

憲太郎 そうなの!?次はもっと上じゃないの?金メダルとかさ。

 

久美 全部3位でもいいじゃない(笑)。とにかく3位以上を目指せたらいいなと思っています。自転車競技をやっている聞こえない女子選手はとても少なくて、1回目、2回目ともに私が年齢的に一番上でした。今回も最高齢ということになると思います。私は海外の若い聞こえない女子選手たちにとって、まだまだ頑張りたいと思ってもらえるようなライバルという立場でいられたらと思っています。また、2025年デフリンピックは日本で開催することを目指しています。私は選手という立場でありつつも、スポーツファーマシストの仕事も続けています。今後自転車競技を引退したとしても、アンチ・ドーピングの面でずっとデフリンピックに関わり続けていきたいと思っています。

 

こちらのインタビューのほか、2人の第一印象や2人で同じ競技をやって良かったこと、競技者としてお互いを羨ましく思うことなど、カラー2ページにわたるインタビューは、3月1日に(公財)東京都スポーツ文化事業団が発行した『スマイルスポーツVol.89』に掲載されています。
 

デフリンピックとは
国際ろう者委員会が主催する聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会。「ろう者(Deaf)+オリンピック」という意味を持つ造語。設立当初は国際ろう者競技大会という名称であったが、1967年に世界ろう者競技大会に名称変更、さらに国際オリンピック委員会の承認を得て、2001年より現名称となった。


はやせ・けんたろう
1973年4月27日生、奈良県出身。横浜で学習塾「早瀨道場」を経営。東京都大塚ろう学校早期教育相談指導員を務め、映画監督としても活躍しており最新作「咲む」を全国順次公開中。2015年アジア太平洋ろう者競技大会自転車競技金メダリストで、デフリンピックには2013年、2017年、2022年と3大会連続出場。NHK北京オリ・パラのハイライト番組に出演。


はやせ・くみ
1975年4月25日生、大分県出身。薬剤師の国家試験に合格したものの当時の薬剤師法の欠格事由により免許申請を却下された。法改正を経て2001年にろう者として日本で初めて薬剤師免許が交付された。アンチ・ドーピング専門のスポーツファーマシストとしてオリ・パラ・デフの選手のサポートをしている。デフリンピックではマウンテンバイクで2013年、2017年と2大会連続で銅メダルを獲得。


早瀨憲太郎選手と早瀨久美選手の素顔が分かる○×インタビュー動画と読者の皆様へのメッセージはこちら


 
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