close

2022-06-17

【ボクシング】「ボクシングが人生に彩りを与えてくれた」──。日本2階級制覇の黒田雅之が引退発表

会見に臨んだ(左から)新田会長、黒田、山上代表

全ての画像を見る
 鋭利で重厚な左フックを叩き込んでKOの山を量産し、日本ライトフライ級、フライ級の2階級を制覇(いずれも4度防衛)。世界王座にも2度挑戦した黒田雅之(35歳=川崎新田)が16日、都内にあるJBC(日本ボクシングコミッション)で引退会見を行った。かつては「口下手」な印象があったものの、すっかり雄弁になった35歳の姿に、ボクサーとして過ごした時の重み、人としての厚みを感じさせられた。通算戦績は42戦30勝(16KO)9敗3分。

文_本間 暁 写真_山口裕朗

 涙は流さなかった。けれども目には潤いと憂いがあった。
「プロボクサーになって17年。人生の半分をボクサーとして」過ごし、酸いも甘いも経験し尽くしてきたのだ。
「『やるなら今しかない』の逆で、『辞めるなら今しかない』。世界チャンピオンになりたくて、なれなくて……。チャンピオンになって見える景色があると言いますが、チャンピオンにどうしてもなりたくてなれなかった人間にしか、見えない景色もあると思うんです。それをしっかりと見て、これからの人生を楽しんで生きていこうと。ボクシングは僕の人生に彩りを与えてくれました」。この場は寂しいものではなく、清々しい新たなスタート。黒田の言葉が、会見場の空気を変えた。

「続けようと思えば続けられる。でも、このヒジの状態での100%は出すことができるけれど、自分が思い描く100%を出すことはできない。そんな状態で試合をするのは、ボクシングに対しても相手に対しても失礼ですから」。

 2020年10月、井上拓真(現WBOアジアパシフィック&日本スーパーバンタム級チャンピオン=大橋)とのスパーリングで左ヒジに違和感を覚え、翌週の井上尚弥とのスパーの際、「ボディブローを“慌て打ち”したときに」完全に痛めた。腱断裂の重傷で、手術を行いリハビリを経て回復したものの、「手術痕のケロイド部に痛みが残る」。フック、アッパーカットは問題ないが、ジャブを思うように打てなくなったのだという。

渾身の左フックで迫ったが、巧いムザラネに及ばなかった 写真_BBM
渾身の左フックで迫ったが、巧いムザラネに及ばなかった 写真_BBM

 モルティ・ムザラネ(南アフリカ)の持つIBF世界フライ級王座に挑戦(2019年5月)し判定負け。この試合からの再起を期した試合を1度流したが、今年1月に後楽園ホールで重里侃太朗(じゅうり・かんたろう、26歳=仲里)と対戦。わずか3戦ながらアマチュア経験豊富なサウスポーのホープに、大胆かつ老獪なボクシングで翻弄されてしまった(8回3-0判定負け)。この試合がラストファイト。3月に引退を決意したのだという。

僕は古い人間だから……

丁寧に言葉を選んで語る黒田。「話、上手くなったなぁ」と新田会長も大いに感心していた

丁寧に言葉を選んで語る黒田。「話、上手くなったなぁ」と新田会長も大いに感心

「思い出に残る試合、ですか? 負けた試合は全部、印象的ですが……。良くも悪くもデビュー戦。あと、新人王の初戦です」。2005年5月31日のプロデビュー戦(石垣洋之=鎌ケ谷、1回KO勝ち)と、2006年4月1日の東日本新人王予選1回戦(丸山康弘=角海老宝石、1回KO勝ち)を挙げた。
「デビュー戦は、控室でのアップの段階から頭が真っ白になって全然記憶がなくて……。新人王戦は、試合前にみんながリングでアップするんですが、そこでフォームが綺麗な選手を見て、強そうだなぁって思ったことが(笑)」。日本タイトルを獲ったり、世界タイトルに臨んだり……ではないところが彼らしい。

 株式会社SOERUTE(神奈川県川崎市)で、2年前から介護、リハビリの仕事に従事している。同席した山上剛史代表によると、「誰からも人気があってアイドル」だという。
「社会人になって2年のまだまだひよっこです。ボクシングと同じで、うまくいかないことばかりですが、うまくいくように努力することが大事」と黒田。不器用でも一所懸命取り組む。ボクサー黒田雅之の臨み方、戦いぶりはこれからも鼓動を続ける。
「体を動かすことを通じて、人生を楽しんでほしい。将来は、自分の施設を持つなどして、スポーツを楽しくやる、人生の一部分とする、そういう人を1人でも多く」──。

 打たれても打たれても諦めない。そんな姿勢と戦いぶりが重宝され、あの井上尚弥(大橋)のスパーリングパートナーを長年務めてきた。彼のプロテストの相手としても知られている。「強い体に産んでくれた両親に感謝です」と照れ笑いする黒田は、それ以上のことは常に語らずだった。信念とプロ根性がそうさせていた。
「僕は古い人間なので、現役中はみんなライバルだからしゃべりたくなかったんです。でも、今は言えます。井上選手はとんでもない(笑)。同じ時代に生きられることが光栄な存在です」。この日ようやくTwitterでフォローしました──そう言って、肩から力を抜いた。

「ジムの開設からずっと一緒に歩んで、ジムの歴史を背負ってきた男。幸せな人生を送ってほしい。今日、しっかりと卒業して送り出すことができます」
 新田渉世会長からの“証書”ならぬ“証言”を得て、ロープのないリングに踏み出した。

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事