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2023-06-09

【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第9回「ウソでしょう」その4

平成25年秋場所7日目、横綱日馬富士が立ち合いで変化し、ブーイングの嵐

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世の中はさまざまな矛盾にあふれています。
にわかには信じられないこともいっぱいです。
大相撲界にも「それ、ウソでしょう」と思わず頬をつねり、聞き直したくなる話があちこちに転がっています。
そんな信じられない、ホントの話を集めてみました。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

変化にブーイング

横綱は、この世界の神さまだ。日馬富士は横綱になったとき、「大関までは必死の努力でなれる。でも、その上の横綱になるのは宿命だ」と話している。横綱は、選ばれた者だけがなれる、特別の存在なのだ。
 
だから、決して弱みをみせていけない。立ち合いに変化するなんてとんでもない。でも、追い詰められると、横綱でもひ弱い人間になる。勝負の怖さだ。
 
平成25(2013)年秋場所7日目、横綱日馬富士は東前頭4枚目の豊響(現山科親方)と対戦した。豊響の武器が立ち合いの強烈なぶちかましだ。この日も一発で吹っ飛ばしてやるとばかり、猛然と頭から突っ込んできた。これをバチンと跳ね返してこそ、横綱だ。ところが、日馬富士は、

「ゴメン。いまのオレはそこまでの元気がない」
 
と言わんばかりに顔をそむけ、ヒラリと左に変わって上手を取り、豊響がたたらを踏むところを寄り切ったのだ。
 
当時は白鵬(現宮城野親方)、日馬富士の2横綱時代で、白鵬は3連覇中だった。これに対して日馬富士は、前3場所の成績が9勝、11勝、10勝止まりで、この場所もまた、全勝の白鵬に対して日馬富士は4勝2敗と大きく出遅れている。
 
この横綱らしからぬ立ち合いの変化に館内はブーイングの嵐。まるで負けたような顔で引き揚げてきた日馬富士は、

「相手がこっち側(右側)で仕切っていたから、ついね」
 
と釈明したが、もうこれ以上は遅れを取れない、という切羽詰まった思いがこの立ち合いの変化につながったのは明白。北の湖理事長(元横綱北の湖)は、

「負けられないという意識が強過ぎる」
 
と苦虫を噛み潰していた。
 
こんな弱気では横綱らしい成績は望めない。この場所もまた、優勝は白鵬。日馬富士は10勝台に乗っけるのがやっとだった。

月刊『相撲』令和元年12月号掲載

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