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2018-06-12

あの日、イギリスが悲しんだ もうひとつの出来事

※教会を改造したジム内は飼い犬も闊歩していた
写真/ボクシング・マガジン

ナジーム・ハメド(右)とブレンダン・イングル
写真/Getty Images

「今日は悲しい日です」

 ジェイミー・マクドネルが東京のリングでナオヤ・イノウエという名の爆風に吹き飛ばされた5月25日。帯同してきたイギリス最大勢力を誇るプロモーター、エディ・ハーンは、BBCニュースのインタビューに応えて言った。イギリスにとって、なんて日だったのだろう。

 ブレンダン・イングルが逝った。77歳。脳出血だったという。

 プリンス・ナジーム・ハメドを育てたトレーナーとして知られるイングルは、イギリスの地方都市シェフィールドで長くボクシングに貢献した人だった。育てた世界チャンピオンはハメドのほか、クルーザー級のジョニー・ネルソン、スーパーライト級のジュニア・ウィッター、そして最近ではウェルター級のケル・ブルックら。その数以上に、イギリスのボクシング界で大きな敬意と親しみを持たれた人だった。1998年にはボクシング界への多大なる功績を称えられ、大英帝国勲章を授賞している。

 教え子ネルソンはインスタグラムに哀悼の意を表した。

「良き友であり、良き父であり、世界で最高のトレーナーが、この地上から消えた」

 ブレンダン・イングルはアイルランドのダブリンに生まれ、18歳でイングランドのシェフィールドに移住。ミドル級のプロボクサーとして15年間の現役生活で19勝14敗の成績を残した。33歳で引退後はシェフィールドのウィンコバンクという街で教会の仕事に従事するようになり、やがて教会をジムに改築。自宅と道を隔てたこのジムで、多くの少年少女を指導した。

 そこではチャンピオンや世界ランカーに混じって子供たちも一緒に汗を流すし、大きな飼い犬までのんびりとうろつく風景は、指導者の寛容さを物語るようだった。

 指導法も型にはめず、自由そのもの。大人と子供が仲良くサンドバッグやリングをシェアし、手が空いた大人は子供の練習を喜んで手伝う。人種も年齢も超えた、こんな温かいジムでイエメン移民の息子ハメドも育ち、奔放で型破りなスタイルを身に付けていった。

 幼い頃からイングルに教えられたハメドだが、スーパースターになってから師への反発を強め、最後はひどい言葉を浴びせてアメリカの有名トレーナーの元へ走った。

 残されたイングルはウィンコバンクで選手を育て続けた。この街にイングルのジムがなかったら、はたしてハメドはボクシングと出会っていただろうか。

 21年前、私がハメド会いたさに、シェフィールドのジムまで行って怒鳴られた顛末はすでにこのWEBに記した。痛い思い出ではあるが、見るからに温厚そうなイングルが、初見の日本人に与えてくれた笑顔と親切は忘れられない。彼と会ったのは、その1回きり。あのとき、今の私と同じ歳だったのか。接した時間はわずかだったのに、親しい人が亡くなった思いだ。イングルは誰にもそう思われる人だったろうし、ハメドも今は冥福を祈っていると信じたい。

 街の小さな教会から生まれたジムで、奉仕の精神を持ってボクシングを伝え続けたブレンダン・イングル。その功績はボクシング史に深く刻まれるだろう。  (ボクシング・マガジン 藤木邦昭)

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