2019年シーズン注目の大会の1つ、グランドスラム大阪(11月22~24日/丸善インテックアリーナ大阪)の開幕までファイナル・カウントダウン。東京五輪代表争いが佳境に入り、トップクラスの選手たちによる優勝争いが熱を帯びると思われるが、高い能力を持つ若手の活躍にも注目したい。ここでは、その中で特に有望な選手をクローズアップ。男子からは90kg級の村尾三四郎(東海大学1年)を紹介する。
※写真上=講道館杯でライバルのベイカー茉秋を破って優勝した村尾三四郎(上)。好調をキープしてGS大阪でも頂点を見据える
写真◎近代柔道
講道館杯からGS大阪、そして、その先へ――。これが、東京五輪イヤーの前々年に立てた村尾の目標、いや、自分に課した大命題だった。東京五輪の代表になり、最高の色のメダルを獲得するためには、なんとしてもそれを遂行する必要があったのだ。
第一関門となった昨年の講道館杯。初戦をGS「指導3」で粘り勝ちした村尾は、ここで今までにはなかった手応えを掴む。「苦しい立ち上がりでしたが、我慢して我慢して勝てた。自信になりました」と振り返った通り、持ち前のセンスを生かした豪快な柔道とは対極の勝ち方に、新境地の一端を見出していた。「たぶん一番きついヤマに入ったと思うんですが、その中で格上のシニアの人たちに勝てて良かった。結果は3位でしたけど、前年より上位に行けましたし、達成感はものすごくありましたね」と率直な感想を述べた。
そんな彼には、間違いなく心地よい追い風が吹いていたのだろう。次なる目標であるGS大阪へのキップは、いったんは手にできなかったものの、出場予定選手が負傷のため欠場。幸運にも繰り上がりで出場が決まったのだ。「正直、めちゃくちゃうれしかったです。ここまで行かないと(その先が)なかったので、何が何でもこのチャンスを…という気持ちになりました」
実はこの頃、村尾は、とある日に連続してレアな出来事に遭遇していたという。「講道館杯の後、愛用の自転車が盗難に遭ったんです。で、仕方なく歩いて帰っていたら、途中でなんとタヌキに遭遇した(笑)。たった一日の間に、今までなかったことが続いたので、これは逆に運が来ているのかな、これは何かあるのかなと思っていたんです」。普通なら平常心ではいられないような状況もポジティブに捉えられる柔軟なメンタル。これもまた、彼の才能の一つといえそうだ。
幸運な流れに乗って迎えたGS大阪は、気負うことなく平常心で臨めたという。外国人選手を意識した組み手など、ある程度の対策は講じたものの、特別なことはせずに浪速の舞台へ。「逆に、それが良かったのかもしれません」という回顧に実感がこもった。
初戦から伸び伸びとしたパフォーマンスを発揮。準々決勝で「技あり」負けし敗者復活戦へ回ったが、ここでも過日からの幸運の残り香があり、「不戦勝」で勝ち上がる。そして3位決定戦では、実力者のマルギアニ(ジョージア)に対してしぶとく戦い抜いてGS「指導3」で勝利し、表彰台に歩を進めた。
この結果に関しては一瞬、「う~ん」と言葉に詰まった村尾だが、「外国人選手と組んだときに、投げることができる! いける!…と思えました」と言葉を弾ませた。「できれば(優勝した)向(翔一郎)選手と決勝を戦って結果を残したかったけど、終わってみて、一年間ホントに長かったな、やっとここまで来られたなという気持ちが上回りました」
姉の影響で始めた柔道。生まれ故郷のアメリカ・ニューヨーク州から2歳で横浜へ移り、その後、茨城へ引っ越した5歳のとき、筑波大柔道部総監督の岡田弘隆氏が代表を務める、つくばユナイテッド柔道の門を叩いた。
「負けず嫌いだったので、ひたすら練習していた記憶があります」と笑うが、柔道に止まらず、それ以外のスポーツに幅広く取り組んでいたことも、三四郎少年のフィジカルのタレント性に磨きをかける要因となった。「ラグビー、相撲、水泳、体操。小学校の終わりには、合気道も少しかじっていました。休みなく、日ごとに違うスポーツをやっていた感じです」
彼ほどの身体能力ならば、他競技で成功する可能性も高かったかもしれない。そう問うと、即座に頭を振られた。「幼稚園の頃から、将来は柔道選手になると決めていましたから。体操では今でも宙返りができますけど、それが柔道のちょっとした捻りに生きている。それぞれ特性の異なるスポーツを通して、様々な運動能力が身につきました」。“三四郎”という名に相応しく、進むべきは“柔道一直線”の道だったのだろう。
そして中学は、茨城を離れて兵庫の姫路灘へ。「先生の家で下宿させていただいたのですが、親元を離れての生活は正直きつかったです(苦笑)。朝5時起きで、朝ご飯をソッコーで食べてから平日は毎日朝練。そして授業があって練習して、帰ってからも食事後にトレーニング。お風呂に入って寝るのがやっとでした。でも、とても良くしていただきましたし、洗濯から皿洗い、掃除まで、自分のことは何でも自分でやっていたので、親への感謝の気持ちも強くなった。あっという間に過ぎた3年間でしたが、貴重な経験になったと思います」
そうして必死に頑張ってきたことが、3年時の全中制覇という大きな成果に結びつく。「全小では優勝できず、予選を勝ち上がって真の日本一になれたのは初めてだったので、そのことは嬉しかったです。学年ごとに階級を1つずつ上げて、81kg級で手にした全国タイトル。年々、体が大きくなって力がついて、技術もメンタルも成長できた」
大きな勲章と共に、高校は神奈川の桐蔭学園へ。「オリンピックを知っている高松(正裕)先生のところで強くなりたい」という思いで進学を決めた。2004年に73kg級代表としてアテネ五輪の畳を踏んだ高松監督。その恩師の現役時代に蓄えた経験と知識が、3年間の不断の鍛錬を通して、前途洋々の若武者に還元された。
団体戦、個人戦、両方を通じて数多くの実戦をこなし、順調にキャリアを積み重ねてきた高校時代。「特に、いろんなタイプの相手と試合をできたのが良かった。勝っても負けても貴重な経験になり、勉強になりました」と振り返る。
時折、屈託のない笑みとともにユーモアも交えるが、非常に真摯な努力家だ。そのことを証明するのが、長く継続してきた“柔道ノート”である。「今日の稽古でできたことや、ダメだったことなどを書いて、次の日にやるべきことも付け加える。常に課題を持って稽古に取り組むためです。その積み重ねが大きかったかもしれませんね。稽古で何かできないことがあると悔しいじゃないですか。そんなときは居残り練習やトレーニングもしました」
努力は必ず報われる。現実的には思い通りに事が運ばないこともあるが、努力する才能に磨きをかけ、やるべきことを怠らなかったからこそ、昨年の講道館杯後からの幸運も彼の身に舞い降りたのではないだろうか。
一戦一戦の重みが、より高まった2019年シーズン。「接近戦で寄られたときにどうするかが課題ですが、外国人選手特有の不意を突く技や、組み際の払い巻き込みや肩車などに反応できれば大丈夫だと思います。まだまだ筋力アップの余地はありますし、今でも組み合ったときに力負けはしていないので」と意気込んでいた村尾は、国内外でコンスタントに上位成績を残し、東京世界選手権では男女混合団体戦の一員として大いに奮闘。最高の色のメダルを手にし、講道館杯では見事に初優勝を飾った。
東京五輪代表を勝ち取るために絶対負けられない戦いが続く今冬。まずは、GS大阪で内容の濃い勝利を積み重ね、表彰台の一番上から次の戦いの場へ鋭く視線を向ける。
文◎佐藤正宏
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