柔道が初めてオリンピックの正式競技となった1964年東京大会から2016年のリオ大会まで、“柔道王国”日本は史上最多のメダルを獲得してきた。そして、その長い歴史の中で燦然と輝くのは卓越した技量で他を圧倒し、表彰台の頂点を極めた金メダリストたちだ。ここでは、各階級のレジェンドからリオ大会の大野将平、ベイカー茉秋、田知本遥まで、『日本柔道オリンピック金メダリスト列伝』として1人ずつ紹介。今回は、1972年ミュンヘン大会80kg級・関根忍をクローズアップする。(※文中敬称略)
※写真上=72年ミュンヘン五輪80kg級の表彰式で穏やかな笑みを浮かべる関根忍
写真/BBM
関根忍は全日本とオリンピックを獲り、世界選手権でも無差別で3位になった一流の柔道家だ。実績では申し分ない。だが、華やかな雰囲気は前面に出ない。自分の過去を誇るわけでもなく、勝ったのは「幸運だった」としか言わないからだ。
現役時代、スタミナと稽古量では誰にも負けないという自負を持っていたし、故障知らずの頑丈な体がプライドを支えていた。それに加えて、“天下御免の左変則”。関根と試合をする選手は満足な組み手になれず、イラついて自滅した。関根はそこを巧みに衝いて得意の左小外刈り、体落としで「一本」を取った。
茨城県大洗町で生まれた彼は幼少の頃から砂浜を駆け回り、相撲を取って、泳いだ。自然に体が鍛えられた。特に砂浜は足腰を鍛えた。後年、左変則の左足を狙って右小外刈りや大内刈りを掛けてくる相手は多かったが、簡単には倒れなかった。
その関根と同郷だったのが東京五輪同階級の金メダリスト、岡野功だ。高校までは同学年だったが、関根は卒業後1年間は社会人だったので、中央大では岡野が1年先輩になる。関根は岡野と練習することで、自分の力量を客観的に把握した。だから、岡野を先輩として、自分の柔道を引き上げてくれた柔道家としてリスペクトしていた。ミュンヘン五輪で金メダルを獲得したのも前述のように、強い足腰や変形が作用していたのだが、根本は天才的な同郷柔道家との真剣な稽古が心気力を支えていたからだろう。
岡野が組織と距離を置き、独自の、孤高の柔道家としての道を歩んできたのに対し、関根は全柔連の主要なポジションを経て日本の柔道界に尽力した。両者のカラーの違いが表れていて興味深い。
ミュンヘンで金メダリストになったのは29歳のとき。この頃は敗者復活戦で勝ち上がれば決勝に進めた。関根は5回戦で呉勝立(韓国)に判定で敗れたが、敗復を突破して決勝で呉と再戦。ほとんど呉に攻勢をとられていたが残り30秒、必殺の片襟左体落としがポイントとなって優勝した。
オリンピックは中量級で戦ったが、本当は無差別の方が得意だった。だから72年の全日本を制したし、その前年の西ドイツ世界選手権では無差別で3位になった。このときは準々決勝と準決勝で何度も小内刈りで相手を投げたが、審判が3回に1回しか取ってくれず、決勝進出はならなかった。それでも、自分より2回りは大きい相手と互角以上に戦えたことで彼は自信を持ち、ミュンヘンの金メダルにつながったのだ。
文◎木村秀和
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