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2018-07-30

【特別読み物】それぞれの戦い ~熱血監督の十連覇と58歳の高校生~ 第3回

※飾工の主将・村岡聖哉(左)と上原二段
写真提供/上原裕二

学業と仕事を両立させ、柔道に励む定時制・通信制の全国大会が今年も8月5日に講道館で開かれる。全国高校定時制通信制柔道大会。その中で異彩を放つ存在が2017年の第48回大会で男子団体で10連覇の金字塔を打ち立てた兵庫県・飾磨工業高校の三輪光監督と、58歳にして大会初出場を果たした上原裕二2段。二人の戦いを追った。

文◎中 大輔

ガン飛ばし

「飾工はやっぱり強いですよ! 金鷲旗で、あの修徳から二本とっちゃうんだから! 全日制の全国レベルと戦っても遜色ない力持ってるんですよ。強いですよ!」

上原はまくし立てた。敵であるはずの飾工の強さに興奮し、誇らしげですらあった。

2017年8月6日。上原が、そして三輪率いる飾工が待ち望んだ、第48回全国高校定時制通信制体育大会・柔道大会。飾工の主将・村岡聖哉による選手宣誓で、戦いの幕が開いた。

前年優勝によりシードされた飾工は、5-0、5-0と驀進。準決勝に駒を進めた。

一方、上原が属する連合チームの東京Aもまた、5-0、5-0、4-0と完璧なスコアで勝ち上がった。この三戦ではいずれも上原は出場せず、リザーブに甘んじたが、チームは準決勝に進出した。

四強は兵庫の飾工、前年準優勝の神奈川・修悠館高校、上原の属する東京A、静岡。準決勝の組み合わせは、神奈川×静岡、兵庫×東京Aとなった。

優勝と十連覇を目指す飾工にとって、準決勝は通過点。しかし、東京Aに属する上原にとっては、これこそが晴れ舞台だった。

4年前、六連覇を目の当たりにして初めて飾工を知り、七、八連覇に刺激を受けて戦う決意を固め、迎えた2017年。上原は本当に高校生になり、柔道部員となり、全国大会の準決勝という舞台で、飾工と戦うことになった。10代、20代ではない。58歳が悲願にこぎ着けたのだ。しかも一回戦から三回戦までリザーブに甘んじてきた上原だったが、準決勝の飾工戦では副将に抜擢された。

準決勝直前。飾工の選手たちはひそひそ話をしていた。

「あのおっさん、出るんか?」

「二段らしいな」

「うわ、めっちゃ睨んでるぞ」

睨みつけられたのは、飾工の主将を務め、この日選手宣誓も行った村岡だった。上原は副将戦でぶつかる村岡を睨みつけていたのだ。村岡は息を飲んだ。

(気迫がすごいな……舐めてかかったらやられるぞ)

事前に三輪から58歳の選手が出場するということは聞いていた。しかし、上原は一回戦から三回戦までリザーブだったため、どんな選手なのか全く掴めなかった。58歳の二段。知っていることはそれだけだ。背こそ高くはないが、がっちりとした筋肉太りの体躯。鋭い眼光。不気味な存在だ。何をしてくるかわからない。

18歳の村岡にとって、50代男性がどれくらいの体力や筋力を有しているのか、言い換えれば、男性は加齢によってどれほど体力や筋力が削られてしまうのかは未知数だ。分かるはずがない。しかし、町の道場でも、50代60代で信じられないほど強い人たちがいる。柔道家に年齢は関係ない。村岡は心得ていた。だからこそ油断はなかった。村岡は上原から目を逸らさなかった。

この時、上原は思っていた。

(なんだあいつら、睨んできやがって!)

飾工の選手たちから睨まれた上原は、体の芯が熱くなるのを感じた。

(村岡ぁ、この野郎、負けねえぞ、ぶん投げてやる!)

この時の模様を、のちに村岡は弁解した。

「僕たちから睨んだ? 違いますよ。めっちゃ睨まれたんですよ。すごかったですよ、睨み方。だから睨み返したというか、目を逸らさなかっただけですよ」

上原はこう振り返った。

「俺じゃなくて、飾工がものすごい睨んできたんですよ。あっちは人数多いけど、こっちは一人ですから。だから村岡君を睨み返したんですよ。目を逸らしたら負けですから」

水掛け論だが“高校生同士”の睨み合いが戦いの直前に起こっていたのは間違いない。

真剣勝負

※飾磨工主将の村岡と対する上原二段
Photo/近代柔道

戦いが始まった。先鋒戦、次鋒戦、中堅戦。飾工は圧倒的な力を見せつけ、ストレートで決勝進出を決めた。チーム戦としての勝負は決した。しかし、上原にとっての戦いはこれからだった。

十連覇を狙う18歳の飾工の主将と58歳の高校生。字面だけでいえば、勝敗も力量差も明らか。年配の高校生に怪我がないことだけを祈るような組み合わせ。乱取りや稽古ではなく、試合、ましてや全国大会なのだ。無謀といえた。

しかし、当事者たちは違っていた。上原はのちに語った。

「58歳の俺が飾工に勝っちゃいけないんですよ。定通の王者が58歳に負けちゃうんじゃ、定通柔道は終わりです。地に落ちます。でもやっぱり負けたくないじゃないですか。一瞬でも隙を見せたらやってやる、そう思ってました。しかも相手は村岡君です。飾工柔道部のキャプテンですから、飾工の顔ですよ。選手宣誓もやったんだから、2017年の大会の顔ですよ。そんな選手とやれるんですから、俺はツイてますよ。飾工の選手はみんな強いけど、村岡君とやれなんて、本当に嬉しかったですよ」

受けて立つ村岡はこの時、こんな心境だった。

「上原さんのことですか? 意識してなかったです。誰が相手だろうが関係ないです。目の前の相手に勝つ。それだけです。十連覇を三輪先生にプレゼントする。そのことしか考えていませんでした」

村岡にとって上原は、十連覇への道に立ちはだかる敵の一人でしかなかった。邪魔をする者は誰であろうが容赦しない。58歳だろうが何歳だろうが、忖度も手加減もなし。村岡は上原を特別視していなかった。

互いに礼。村岡が吠えた。上原が両手を高く上げた。組んだ瞬間、村岡は思った。

(力、強いな……!)

毎日の筋トレを欠かさなかった上原の腕力に、村岡は一層気を引き締めた。

上原の額から汗が滴り落ちた。

(押し込んでくる圧がすごい……!)

18歳の若武者が放つナチュラルパワーに、上原は必死に抗った。青梅総合高校柔道部監督の小池が、上原に念を送っていた。

(上原さん、手首うまく使って!)

筋トレで毎日のようにウエイトリフティングを行っている上原は手首をリストが以上に強かった。小池はそれを生かさない手はないと思った。手首を返し、相手が出てこようとしたタイミングで、自分の掌底を相手の鎖骨に押し付ける。これをされると、パワーに相当な自信があっても、前進することは容易ではない。

「まぁよく言われる手首の使い方、ですけどね。上原さんは手首強いですから、それを徹底しようと」

ただし、上原には親指と人差し指に力を込めてしまうウエイトリフティングならではの癖があった。上原自身、小指と薬指を使わなくてはならないことは理屈ではわかっている。しかし、ブランクがある柔道よりも、近年欠かさず行ってきたウエイトリフティングのほうに、指は慣れてしまっていた。

小池は、大会に向けて指と手首の使い方を徹底して指導してきた。

「上原さん、小指ね! 柔道は手首でやるもんですからね。手首のマジックですよ!」

上原は小池の指導を受け、小指と手首を意識した稽古を何度も繰り返してきたのだ。

※上原二段に圧を掛ける村岡
Photo/近代柔道

村岡が重戦車のように圧をかけてくる。上原は掌底を鎖骨に押し付ける。村岡が上体を揺すって上原の掌底をずらす。上原がもう一度当てる。村岡が外す。上原は鎖骨ではなく、頸動脈を狙って掌底を押し付ける。村岡は外しながら、上原の足を刈る。上原はバランスを崩しながらも、必死に掌底を当てる。村岡は外しながら、足を刈りながら、少しずつ前進する。上原が後退を余儀なくされる。上原に指導が与えられた。

村岡はその後も上原の掌底を振り払いながら前進を続けた。

(全然引き付けようとしない……どうしてずっと押してくるんだ?)

上原は村岡の怒涛の前進に抗いながら思った。この時、村岡はすでに戦法を切り替えていた。

(上原選手、ほんま力が強い。無理に一本狙ってもカウンターも怖い。指導で勝ち逃げる。万が一にも負けられん!)

上原に二度目の指導が与えられた。

(指導狙いか……)

気付いたものの、村岡の圧力は強すぎた。

「下がるな! 下がるな!」

ずるずると後退していく上原に向かって、東京Aチームの面々から声が飛んだ。

上原は下がっていたのではない。下がらされていたのだ。村岡は本気だった。58歳の高校生を相手に、一切手を抜かなかった。万が一にも負けない。すでに準決勝進出を決めていたとはいえ、主将である自分が負けてしまえば、決勝戦でのチームの士気に影響が出てくる。ゆえに村岡は、万が一にも負けない方法を選んだ。

小池は感動していた。飾工の主将と必死で組み合う“年上の部員”の姿に、目頭が熱くなるのを感じた。

(還暦間近の人が乱取りすることだって大変なのに、あんた、すごいよ! 10代の学生たちと真剣勝負してるんだから。すごいよ。本当にすごい!)

上原に指導3が与えられ、勝負は決した。

礼をして分かれた直後、村岡は上原のもとへ駆け寄り、握手を求めた。

「ありがとうございました」

鬼の形相を解いた上原は、笑顔で答えた。

「ありがとう。兵庫とやれて、本当によかったですよ」

18歳と58歳の高校生同士が熱い握手を交わした。

奇跡は起こすもの

東京Aを下した飾工は、10年連続、15度目の決勝の舞台に進出した。別山から勝ち上がってきたのは神奈川・修悠館高校。これまで三年連続で飾工と決勝を戦ってきたライバル。

修悠館は燃えていた。連覇劇の引き立て役はもう御免。ましてメモリアルな十連覇は何としてでも阻止しなければならない。飾工と同じく五厘に刈った選手たちは、闘志に溢れ、雪辱を固く誓っていた。

その修悠館を飾工は力でねじ伏せた。5-0の圧勝で十連覇の快挙が遂げられた。

※大会十連覇を達成、胴上げされると飾磨工・三輪光監督
Photo/近代柔道

前人未到の大記録が樹立された瞬間、三輪は全身の血が沸騰し、そして一気に引いていくような感覚に襲われた。

「終わってみれば、素晴らしいチームでした。戦力は過去最弱だったかもしれませんが、チーム力としては過去最高でした。素晴らしい絆を持つチームでした」

大会の二か月前の時点では、三輪は十連覇を完全に諦めかけていた。しかし、子供たちは短期間のうちに激変し、これ以上ない結果を出した。

「私の元へやってくるのは、不良、ドアホ、無気力。もうどうしようもないクソガキたちですわ」

三輪は口が悪い。しかし、髪がぐしゃぐしゃになるほど力いっぱい撫でるような、荒々しくも深い愛情が根底にある。

「普通の教師が匙を投げたくなるようなやつらを、導いていくのが私の仕事だと思っています」

親や教師、つまり大人に呆れられ、見放された子供たち。もしくは見放されたと感じてしまっている子供たちに、三輪は全力で接してきた。おまえたちを諦めない大人もいる、ということを体を張って示してきた。

「役割を与えられ、責任を負う。そうしてひとつひとつ乗り越えていくことで子供たちは自信を持ちます。自信を持つことで子供は激変します。だから、てっぺんを見てほしかった。信念と努力が奇跡を起こすことを、身をもって知ってほしかったんです」

十年間。十連覇。子供たちは奇跡を紡ぎ続けた。三輪は、信念と努力で奇跡が起きることを教えてきたつもりだったが、奇跡は起きるのではなく起こすものだということを、子供たちから逆に教わった。

もしも十連覇を逃していたら、子供たちにどう声を掛けていた? という問いに三輪は即答した。

「ごめんな。俺のせいや。おまえたちは最高のチームやった。ただ、あまりにも仲が良すぎて、勝利の女神に嫉妬されたんやな……そう言ったと思います」

優しい口調だった。

(つづく)

中大輔(なか・だいすけ)

1975年岐阜県生まれ。日本大学法学部卒。雑誌記者、漫画原作、書籍構成等を経て執筆活動に。主な書籍構成に、飾磨工業高校柔道部・三輪光監督の『破天荒』(竹書房)、伝説の女傑・齋藤智恵子『浅草ロック座の母』(竹書房)。2014年『延長50回の絆~中京VS崇徳 球史に刻まれた死闘の全貌~』(竹書房)で作家デビュー。著書に『たった17人の甲子園』(竹書房)などがある。

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