人生は、まさに山あり、谷ありであります。
山にあるときは実に気分爽快、この世はオレのためにあるように思えるものですが、谷にあるときはお先真っ暗、気分も落ち込んで耐え難いものです。
そんなとき、何かの拍子で運命が一気に開け、再浮上することもまた、よくあることです。
まして、一瞬の勝負に人生のすべてを賭けている力士たちは。
気になるのはそのきっかけです。
どうやって負の連鎖を断ち切り、運命を切り開いたのでしょうか。
力士たちは次のように証言しています。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
自分を信じてただ、他力本願ではなく、自分を信じ、貫きとおす、というのも人生の流れを変える大事な要素だ。
平成27(2015)年秋場所13日目、優勝争いの先頭を走っていた当時大関の照ノ富士は、これまた大関の稀勢の里(現二所ノ関親方)に寄り倒されて右ヒザから崩れ落ちた。このとき、
「ヒザのあたりから音がしました」
と話している。優勝候補に異常事態が発生したのだ。右足を引きずりながら土俵を降りた照ノ富士は、すぐさま国技館内の相撲診療所に向かい、さらに都内の別の病院でMRI検査などの精密検査を受け、右ヒザ前十字靱帯損傷で全治1カ月と診断された。最終的な診断が出たのは夜中の2時のことだった。
重傷だ。このケガは、のちに序二段まで転落する要因の一つになったのはご存じのとおりだ。とても満足のいく相撲を取れる状態ではない。師匠の伊勢ケ濱親方(元横綱旭富士)は、
「もしかろうじてつながっている靱帯が切れたら、1、2年、棒に振ることになる。優勝のチャンスは、きっとまた来る。無理するな」
と話し、休場をすすめた。
当然である。しかし、照ノ富士は、
「待ってください。後悔だけはしたくない。ここまで来たら、やるだけやって終わらせたいんです。横綱が2人(白鵬、日馬富士)も休場しているし、大関の責任もあります」
と出場を強く懇願。翌14日目、通常の倍以上の痛み止めを飲み、右ヒザに分厚いテーピングをして土俵に上がったが、豪栄道(現武隈親方)になすすべなく敗れた。
しかし、このままでは終われない。千秋楽、代わって単独トップに立った鶴竜(現音羽山親方)を、192センチ、179キロの巨体をぶつけるようにして一気に寄り切り、自分との優勝決定戦に持ち込んだのだ。根性の勝利だった。自分を貫いたご褒美だ。
ただ、優勝決定戦はいち早く左上手を取った鶴竜がうまさを発揮し、上手出し投げで大きく転がされた。背中に大きく砂をつけて引き揚げてきた照ノ富士は、
「こういうこともあるんだな。うれしさもあるし、悔しさもある」
と表情を引きつらせていたが、自分を貫けば道は開けることを知った瞬間でもあった。
たとえどんな状況でも、周囲の空気に惑わされたり、弱気になって、自分を見失ってはいけない。これがいかに大事か。7月場所、照ノ富士はいまだに両ひざに爆弾を抱えているにもかかわらず、このときの鬱憤を晴らすような優勝をやってのけ、このことを証明してみせた。
月刊『相撲』令和2年9月号掲載